2019年5月1日水曜日

『魂の暦』第01週、朗読に不向きな翻訳


復活祭 第01週


Wenn aus den Weltenweiten
     世界の彼方から
Die Sonne spricht zum Menschensinn
     太陽が人間の感覚に語りかけ
Und Freude aus den Seelentiefen
     さらに魂の深みから喜びが
Dem Licht sich eint im Schauen,
     見ることにおいて光と一体になるとき、
Dann ziehen aus der Selbstheit Hülle
     個人性という覆いから
Gedanken in die Raumesfernen
     考えが空間の彼方にさすらい出て
Und binden dumpf
     そしてぼんやりと結びつける
Des Menschen Wesen an des Geistes Sein.
     人間の本質を霊の存在に。


この詩の前半2行は春の情景、それに続く2行は人間の魂の反応、特に湧き上がる喜びが描かれています。
後半4行の主語はGedankenで、これは思考の過去分詞の名詞形で「思考結果」というニュアンスがあります。そしてシュタイナーは、2種類のGedanke を述べています。(これについては、繰り返し書くことになります。わかっている人は跳ばしてください)。
  1. 人間のものではない、霊的・宇宙的な考えで、形成の力を持つ
  2. 人間の考えで、これは影のような写しであり、形成の力は失われている

Gedanke=「考え」をこうしたイメージで捉えて、はじめてシュタイナーの言葉が意味をなします。つまり、この「考え」が狭い個人的な覆いを破って、空間の彼方にまで広がり、その根源である宇宙的「考え」に向かいます。
そして最後に人間の本質を霊の存在に結びつけます。しかし、霊的修行を行う前ですと、このように結び付いても人間の意識はぼんやりしたままです。逆に言えば、こうした結び付きにおいて目覚めた意識を保つことが霊的修行の目的とも言えます。

「dumpf」をシュタイナーは「目覚めた」や「眠った」といった表現と共に、しばしば意識状態をあらわす語としてつかっています。それゆえ私(森章吾)は「ぼんやり」という訳語を選択しました。
それを高橋巖氏は「暗く不確か」とより鮮明な訳語で表現しています。はたりえこ氏は「ゆるやかに」、鳥山雅代氏は「かすかに」という訳語を選んでいます。「ぼんやり」という語が日本語としてネガティヴな響きを持ちますので、それを嫌ったのかもしれませんが、内容の本質は外しています。

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