2019年5月12日日曜日

『魂の暦』第35週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第35週、朗読に不向きな翻訳


1912年12月1日~12月7日

Kann ich das Sein erkennen,
  私は存在を認識できるか、
Daß es sich wiederfindet
  存在が再び立ち直るのを
Im Seelenschaffensdrange?
  魂的創造衝動の中で?
Ich fühle, daß mir Macht verlieh'n,
  私は感じる、私に力が授けられたことを
Das eigne Selbst dem Weltenselbst
  固有の自己を世界自己に
Als Glied bescheiden einzuleben.
  分枝として慎ましく入り込んで生きる力を。

第35週は比較的すっきりとした構造で、文の骨組みもわかりやすいでしょう。前半3行は「存在を認識できるか?」という疑問文です。その後により細かい状況が描写されます。つまり、「再び」と「魂的創造衝動の中」という条件が付きます。
ただし、「存在」と訳した定冠詞付きの das Sein、いわば存在そのものが何を指すのかはかなり曖昧です。こうしたところでも創造的想像力を育てることができます。そして、それを認識する場が「魂的創造衝動」だと言います。これは場所というよりは行為に関係するニュアンスですし、私の中に創造的行為への熱を作り出している瞬間にだけ現れます。

そして後半は「認識」から「感じる」に雰囲気が変わります。「自身の自己を世界自己に分枝として合流させる」というのは、まさに創造の際の原体験です。ゲーテは原植物という理念が実際に力を持ち、それが個別の植物を創造するプロセスを共体験していました。彼の創造衝動が自然の創造行為と合流していたからです。それを可能にする力を授けられているのを人間はまず、感じるのです。

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