2019年5月2日木曜日

『魂の暦』第02週、朗読に不向きな翻訳

『魂のこよみ』第02週

Ins Äußre des Sinnesalls
     感覚総体という外界の中に
Verliert Gedankenmacht ihr Eigensein,
     考えの力はその本来の存在を失う
Es finden Geisteswelten
     霊界にはそれが見出される
Den Menschensprossen wieder,
     人間の伸びる茎が再び、
Der seinen Keim in ihnen,
     その伸びる茎の芽生えは霊界の中に
Doch seine Seelenfrucht
     それに対しその茎の魂的果実は
In sich muß finden.
     人間の内に見出されるはずである。

Gedankenmachtを直訳すると「思考結果の威力」といった語になります。Gedankenは思考の完了形で、「考えられたこと」といったニュアンスです。そこにMacht=力が組み合わされています。「力」といっても、石を持ち上げるたぐいの力ではなく、存在するだけで威力を発揮する力です。
 さて、このGedankeという概念はルドルフ・シュタイナーの思想の中で非常に重要で、2種類を区別し、その関係を理解していなくてはなりません。種類とは次の2つです。
  1. 人間のものではない、霊的・宇宙的な考えで、形成の力を持つ
  2. 人間の考えで、これは影のような写しであり、形成の力は失われている
霊的・宇宙的な考えは、森羅万象を形成する力(Macht)を持ち、それによって世界を創造します。それに対し人間の考えは、霊的・宇宙的考えを反映してはいるものの、何かを形成する力はありません。それゆえルドルフ・シュタイナーは人間の考えをしばしば「影のような考え」と表現します。
さて、この第2週の詩に登場するGedankenmachtは霊的・宇宙的な考えで、そこには森羅万象の創造にあずかる諸法則が含まれるだけでなく、それらを形成する力を内包しています。ところが、そうした諸法則と諸力によって自然界を形成していきますと、霊的・宇宙的な考えは植物や昆虫といった実体の中に注ぎ込まれ、霊界の側はいわば空になります。『農業講座』などでも、「霊的には夏は空で、冬は満ちている」といった内容が語られています。

つまり、宇宙的設計思想に基づいて植物などが形成されますと、霊界のそれに対応する部分は空になります。そのことが最初の2行にまず語られます。
Ins Äußre des Sinnesalls
     感覚総体という外界の中に
Verliert Gedankenmacht ihr Eigensein,
     考えの力はその本来の存在を失う


4行目には Menschensprossen=人間の伸びる茎というルドルフ・シュタイナーの造語が出てきます。Menschen=人間で、Sprossen=伸びる茎 です。この「シュプロッセン」というのは日毎に伸びるような茎で、タケノコをイメージするとわかりやすいかもしれません。そうした「人間の伸びる茎」がいわば基本的に空になった霊界に見られるようになるのです。

そして最後にこの「人間の伸びる茎」の「芽生え」と「果実」についてのイメージが語られます。つまり、芽生えは霊界から始まるものの、その魂的果実は人間自身の中に見出されるはずだというのです。つまり、この人間の茎は霊界に始まり、人間の魂に果実をもたらすと言えるでしょう。

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