2019年6月16日日曜日

シュタイナー関連電子書籍のプリントアウト





学習用のテキスト・プリントアウト

Kindleの電子書籍は通常プリント・アウトできません。しかし、当方で個人販売しているKindle電子書籍は、所定のPDFファイルをダウンロードすることで各自のプリンターで印刷できるようにしてあります。
なお、プリントには入金先が記載されております。しかしKindle版ご購入の方は、半額でご利用ください。

プリントの仕様と使用例

  • 印刷はA4で紙面右側に余白があり、メモを書き留めやすくしてあります。書籍よりも書き込む面積が広いので、学習ノートとしての役割を果たします。
  • 印刷された紙はバラバラなので、綴ることが望ましいです。
    書き込みなど、その後の扱いやすさという点で、画像にある「30穴のゲージパンチ&ファイル」による冊子化がお勧めです。パンチ自体は通販で3,000円弱のようです(26穴B5用は不可)。ファイルは百円均一ショップでも入手できますので、パンチがあると種々の書類整理にも役立ちます。
  • 表紙は各自が工夫されると楽しめるかもしれません。シュタイナー学校では生徒たちがエポックノートの表紙を各自で工夫します。


PDFファイルのダウンロード

Kindleを先にお求めの場合は500円に割引です。

『魂の暦』第10週、朗読に不向きな翻訳

1912年6月9日~6月15日


Zu sommerlichen Höhen
  夏の高みへ向かって
Erhebt der Sonne leuchtend Wesen sich;
  太陽という輝き出る存在が自らをもたげる
Es nimmt mein menschlich Fühlen
  その輝く存在は私の人間的感情を
In seine Raumesweiten mit,
  その輝く存在の空間の彼方に持ち出す
Erahnend regt im Innern sich
  ぼんやり予感しつつ、内側では活発化する
Empfindung, dumpf mir kündend,
  感受が、私にぼんやりこう告げつつ、
Erkennen wirst du einst:
  やがてお前は認識する:
Dich fühlte jetzt ein Gotteswesen.
  今、ひとつの神存在がお前を感じ取ったことを

  夏至に向かうこの時期における人間の感情、感受、予感、認識といった諸活動の関係が示されています。 まず、感情ははるか彼方にまで持ち出されてしまいます。旅行への憧れが強くなるのも、世界が明るくなっていくことと無関係ではないでしょう。とにかく「遠くへ」憧れるのです。 ところが、人間の内面ではその対極とも言うべきことが起きています。感受、つまり何らかの印象を受け取る働きが活発になります。しかし感受は、思考はおろか感情ほどにも目覚めてはおらず、非常にぼんやりとした意識状態でしかありません。 ここで使われている erahnen は ahnen=予感するの類義語ですけれど、ahnenよりさらにぼんやりとしたニュアンスです。 しかしそのぼんやりとした意識において私に次のように告げられます。「やがてお前は認識する」と。 そして、その認識する内容が変わっています。「今、ひとつの神存在がお前を感じ取った」というのです。 やがて認識する、というのが未来形、感じ取ったが過去形で明確に表現されています。


2019年6月12日水曜日

『魂の暦』第09週、朗読に不向きな翻訳

1912年6月2日~6月8日



Vergessend meine Willenseigenheit,
  私の意志の固有性を忘れつつ
Erfüllet Weltenwärme sommerkünded
  世界の熱が夏を告げつつ私を満たす
Mir Geist und Seelenwesen;
  霊と魂存在で;
Im Licht mich zu verlieren
  光の中で私を失うように
Gebietet mir das Geistesschauen,
  霊的観照は私に強く要求し、
Und kraftvoll kündet Ahnung mir:
  そして予感は力強く私に伝える;
Verliere dich,um dich zu finden.
  「汝自身を見出すために、汝を失え」

第一行の「 meine Willenseigenheit=私の意志の固有性」から謎めいた表現です。意志には個的な部分と個を超えた部分があり、その個的な部分は忘れると私は解釈したいです。そして、世界の熱が私に、物質的な部分ではなく、霊と魂存在を満たすというのです。
さて、熱についてシュタイナーが語っている講演『霊的実相から見た宇宙進化』があります。感覚界の背景には霊的な実相があり、熱や光の実相が何であるかを述べています。たとえば熱の霊的な実相は、土星紀におけるトローネのケルビームへの供犠であると述べています。第3位階のトローネが自らのすべてをケルビームに捧げることから意志の熱が生まれ、さらには感覚知覚できる熱が生じたと言います。
また、その体験へ到る道筋では、自分をなげうち、すべてを捨てる勇気が必要だと述べています。そしていわば無になり、いわば自分が細い棒のようになったと感じるまでになります。するとその後で、自分が温かさに包まれ、それを勇気の海のように感じるといいます。この第9週の「失うことで得る」というモチーフは、どこかそうした熱体験、トローネ体験に通じるものがないでしょうか。
また、「光の中で自分自身を失うように」という部分で、熱から光への橋渡しが暗示されます。元素(エレメント)領域とエーテル領域を連続で考えると、地水風火より上にあるエーテル領域では、熱エーテル、光エーテル、化学エーテル、生命エーテルといった領域があります。つまり、光エーテルは熱エーテルの一つ上の領域です。人間はそこに昇って自らを失うことが暗示されています。
熱、光、予感の3段階で、自分を捨てる覚悟が求められます。

2019年6月9日日曜日

『魂の暦』第08週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第08週、朗読に不向きな翻訳


1912年5月26日~6月1日

Es wächst der Sinne Macht
  感覚の威力が増大する
Im Bunde mit der Götter Schaffen,
  神々の創造とのつながりにおいて
Sie drückt des Denkens Kraft
  感覚の威力は思考の力を押し込め
Zur Traumes Dumpfheit mir herab.
  私において、夢のおぼろさに落とし込む
Wenn göttlich Wesen
  神的存在が
Sich meiner Seele einen will,
  私の魂と一体とならんとするなら、
Muß menschlich Denken
  人間的思考は
Im Traumessein sich still bescheiden.
  夢的状態(夢存在)の中で静かに自らを慎まなくてはならない。

復活祭からの第8週目の日曜日はキリスト教ではペンテコステ=聖霊降臨祭(Wiki)です。
そこでは「精霊が炎のかたちとなって」使徒たち降りてきます。その精霊降臨祭の日曜日から始まる週の『魂のこよみ』で主に登場概念は、感覚と思考そして私の魂に結びつこうとする神的存在です。神的存在の方から私の魂に結びつこうとするモチーフはまさに聖霊降臨的です。
感覚の方は、神々の創造と結びつきつつ、その威力=Machtを増します。そして、この感覚の威力は思考を夢のぼんやりした状態に落とします。これは一見ネガティヴにも思えますけれど、思考がそうした状態になることには高次の意味があることが最後に述べられます。つまり、現状の人間では神的存在と出会う際には、明晰な思考を保つことはできず、夢状態で出会わざるを得ないのです。つまり高次な霊的体験は、そうした夢的意識状態、言い換えると形象意識でのみ可能なのです。
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ここで、「存在」と訳している2つの語について説明します。
一つは今週の5行目にも出てきている「Wesen」で、これは「本質」と訳されることもあります。もう一つは「Sein」で、これも「存在」と訳されますし、私もそう訳しています。この週では「Traumessein」つまり Traum+sein というシュタイナーの造語による熟語で登場します。
WesenとSeinの違いはおよそ次のように考えてください。
 Wesen = 主として理念的な意味での存在
 Sein = 主として感覚的な意味での存在。
    あるいは、「それが存在する」というニュアンスです。
    今週の文脈では「夢的状態にある」という語感です。
どちらにも「主として」と付記したのは、曖昧な部分もあるからです。

2019年6月2日日曜日

『魂の暦』第07週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第07週、朗読に不向きな翻訳

復活祭後;第07週(早めに準備、旅行中)

1912年5月19日~25日
Mein Selbst,es drohet zu entfliehen,
   私の自分、それが霧消へと迫られる、
Vom Weltenlichte mächtig angezogen;
   世界の光によって圧倒的に魅了されつつ;
Nun trete du mein Ahnen
   そこで現れよ、私の予感よ
In deine Rechte kräftig ein,
   お前の正当性において力強く、
Ersetze mir des Denkens Macht,
   私において思考の威力に置き換われ、
Das in der Sinne Schein
   その思考は感覚の仮象の中で
Sich selbst verlieren will.
   自分自身を失おうとしている。

前の週では、復活した「自分=Selbst」と真理を開示する「世界=Welt」が提示されました。今週はその両者で生じたせめぎあいが冒頭の2行で表現されています。そして、そこでは「自分」は「世界の光」に圧倒されます。
そうした状況で、「予感」に呼びかけ、その登場を促すという予想もしない展開になります。その予感に期待するのは、思考の威力=Machtに置き換わることです。
その思考は、本来なら仮象である感覚知覚の背後で働く実相に迫る役割を担うはずであるのに、溢れ来る感覚知覚にいわば圧倒され、自分自身を失おうとしているからです。
第04週では、感受が思考に明晰さへ向けて温かさを贈りました。そうした温かさは思考に力を与えるもののまだ潜在的であり、明晰さには至っていないのでしょう。
人生の中には、最高次の思考によっ

6行目の Schein を私は「仮象」と訳しましたが、「輝き」の意味もあり、いわば掛詞になっています。
前出(第02週)の説明の繰り返し:
ここで「威力」と訳したMachtは、「力=Kraft」とはニュアンスが違います。威圧感を感じる存在と出会ったときなどに、その相手に「Macht」を感じると言います。また、Kraft は物理学で使われますが、Machtは使われません。