2019年6月2日日曜日

『魂の暦』第07週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第07週、朗読に不向きな翻訳

復活祭後;第07週(早めに準備、旅行中)

1912年5月19日~25日
Mein Selbst,es drohet zu entfliehen,
   私の自分、それが霧消へと迫られる、
Vom Weltenlichte mächtig angezogen;
   世界の光によって圧倒的に魅了されつつ;
Nun trete du mein Ahnen
   そこで現れよ、私の予感よ
In deine Rechte kräftig ein,
   お前の正当性において力強く、
Ersetze mir des Denkens Macht,
   私において思考の威力に置き換われ、
Das in der Sinne Schein
   その思考は感覚の仮象の中で
Sich selbst verlieren will.
   自分自身を失おうとしている。

前の週では、復活した「自分=Selbst」と真理を開示する「世界=Welt」が提示されました。今週はその両者で生じたせめぎあいが冒頭の2行で表現されています。そして、そこでは「自分」は「世界の光」に圧倒されます。
そうした状況で、「予感」に呼びかけ、その登場を促すという予想もしない展開になります。その予感に期待するのは、思考の威力=Machtに置き換わることです。
その思考は、本来なら仮象である感覚知覚の背後で働く実相に迫る役割を担うはずであるのに、溢れ来る感覚知覚にいわば圧倒され、自分自身を失おうとしているからです。
第04週では、感受が思考に明晰さへ向けて温かさを贈りました。そうした温かさは思考に力を与えるもののまだ潜在的であり、明晰さには至っていないのでしょう。
人生の中には、最高次の思考によっ

6行目の Schein を私は「仮象」と訳しましたが、「輝き」の意味もあり、いわば掛詞になっています。
前出(第02週)の説明の繰り返し:
ここで「威力」と訳したMachtは、「力=Kraft」とはニュアンスが違います。威圧感を感じる存在と出会ったときなどに、その相手に「Macht」を感じると言います。また、Kraft は物理学で使われますが、Machtは使われません。

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