2019年6月9日日曜日

『魂の暦』第08週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第08週、朗読に不向きな翻訳


1912年5月26日~6月1日

Es wächst der Sinne Macht
  感覚の威力が増大する
Im Bunde mit der Götter Schaffen,
  神々の創造とのつながりにおいて
Sie drückt des Denkens Kraft
  感覚の威力は思考の力を押し込め
Zur Traumes Dumpfheit mir herab.
  私において、夢のおぼろさに落とし込む
Wenn göttlich Wesen
  神的存在が
Sich meiner Seele einen will,
  私の魂と一体とならんとするなら、
Muß menschlich Denken
  人間的思考は
Im Traumessein sich still bescheiden.
  夢的状態(夢存在)の中で静かに自らを慎まなくてはならない。

復活祭からの第8週目の日曜日はキリスト教ではペンテコステ=聖霊降臨祭(Wiki)です。
そこでは「精霊が炎のかたちとなって」使徒たち降りてきます。その精霊降臨祭の日曜日から始まる週の『魂のこよみ』で主に登場概念は、感覚と思考そして私の魂に結びつこうとする神的存在です。神的存在の方から私の魂に結びつこうとするモチーフはまさに聖霊降臨的です。
感覚の方は、神々の創造と結びつきつつ、その威力=Machtを増します。そして、この感覚の威力は思考を夢のぼんやりした状態に落とします。これは一見ネガティヴにも思えますけれど、思考がそうした状態になることには高次の意味があることが最後に述べられます。つまり、現状の人間では神的存在と出会う際には、明晰な思考を保つことはできず、夢状態で出会わざるを得ないのです。つまり高次な霊的体験は、そうした夢的意識状態、言い換えると形象意識でのみ可能なのです。
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ここで、「存在」と訳している2つの語について説明します。
一つは今週の5行目にも出てきている「Wesen」で、これは「本質」と訳されることもあります。もう一つは「Sein」で、これも「存在」と訳されますし、私もそう訳しています。この週では「Traumessein」つまり Traum+sein というシュタイナーの造語による熟語で登場します。
WesenとSeinの違いはおよそ次のように考えてください。
 Wesen = 主として理念的な意味での存在
 Sein = 主として感覚的な意味での存在。
    あるいは、「それが存在する」というニュアンスです。
    今週の文脈では「夢的状態にある」という語感です。
どちらにも「主として」と付記したのは、曖昧な部分もあるからです。

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