復活祭後;第26週
ミカエル祭のしらべ
ミカエル祭 9月29日
1912年9月29日~10月5日
Natur, dein mütterliches Sein,
自然よ、その母性的存在よ
Ich trage es in meinem Willenswesen;
私はそれを私の意志本性に担う
Und meines Willens Feuermacht,
そして私の意志の炎の威力、
Sie stählet meines Geiste Triebe,
それは私の霊的な伸び芽を鍛え
Daß sie gebären Selbstgefühl
その芽が自己感情を生み出す
Zu tragen mich in mir.
私の中で私を支えるために
春から夏にかけて人間は外界の自然の中に眠り込んでいます。ところが秋分を過ぎ、このミカエルの季節になると第25週では予感であった内面に向かうベクトルがはっきりと方向を確定します。
第1行には、それまで人間が意志や感情を向けてきた事柄すべてを「自然よ」という言葉に集約し、第2行ではいわばそれをすべて自分の内に取り込みます。ただし、思考、感情、意志の意志の側に担うことになります。これは人間に対し力強く働きかける反面、そこに意識は及びません。それでも意志の領域から働きかけて、霊の芽、つまり霊においてこれから伸びようとするものを強めます。おそらく、太陽が優勢であった季節に人間がどれだけ深く外的自然界とかかわったかで、そうした働きかけの強度が変わると思われます。「霊の芽」は伸びる力は秘めるものの、それだけでは伸びる方向は確定しません。行き先はわからずとも、まずは感情の領域に自己感情を生み出します。ある意味でこの芽は当て所のない旅に出るのですが、芯だけはしっかりと与えられるのです。
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