2019年5月12日日曜日

『魂の暦』第39週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第39週、朗読に不向きな翻訳
1912年12月29日~1月4日

An Geistesoffenbarung hingegeben
  霊開示に身を委ねつつ
Gewinne ich des Weltenwesens Licht.
  私は世界存在の光を勝ち取る
Gedankenkraft, sie wächst
  思考結果の力、それは育ち
Sich klärend mir mich selbst zu geben,
  自らを私に明らかにしつつ、自らを私に与える
Und weckend löst sich mir
  そして目覚めさせつつ私に対し
Aus Denkermacht das Selbstgefühl.
  自己感情が思考者威力から離れる

骨組みを見ると、最初の2行では「私が光を勝ち取る」で、その光とは「世界存在の光」であり、受け取る当たって私は「霊開示に身を委ねている」ことになります。この「身を委ねる」という表現からは、このときの私の意識が明確ではなかったことが感じ取れます。そして最後の行では「自己感情が思考者威力から離れる」となっています。ここで「思考者威力」などという変な語を使っていますけれど、これはDenker(思考者) とMacht(威力、存在することで影響を及ぼす力) を組み合わせたシュタイナー造語の直訳です。既存の翻訳でこのDenker=思考者のニュアンスを訳しているものはありません。ここではそれについて考えられる可能性を述べておきます。

自然界の森羅万象は宇宙的である「考え(思考結果)」に沿って創造されますし、それに必要な創造の諸力はすでにその「考え」が内包しています。繰り返しになりますが、私たちの思考はそうした宇宙的考えの写しに過ぎず、そこには森羅万象の法則性はあるものの創造の力は失われています。
さて、この宇宙的考えも考えられた産物ですから、それを考える思考者が存在しますし、それは霊界の高次の領域に属しています。人間がそうした高次の思考者と一体になるためには完全なる帰依が必要で「私」的要素はすべて滅却しなくてはなりません。ところが、そこでの体験を元に地上界で何かを実現していこうとするなら、そうした高次の存在とは離れ、自分に戻る必要があるのです。その意味でこの第39週の詩は霊界の高次の存在と一体にあった後の経過が表現されているはずです。
第3行目では「思考結果の力」について述べられます。森羅万象を創造しうる宇宙的考えが育つのです。そして宇宙的考えの力を私に明らかにしてくれ、さらにそれ自身を人間である私に与えてくれます。人間はいわばこの力の痕跡を持っていて、それを芸術的創造に向け、『自由の哲学』で述べられる道徳的ファンタジーとして具体的に何かを創造していくのです。

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