2019年5月12日日曜日

『魂の暦』第16週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第16週、朗読に不向きな翻訳

1912年7月21日~7月27日


Zu bergen Geistgeschenk im Innern,
  霊の贈り物を内に秘めるべく、
Gebietet strenge mir mein Ahnen,
  私の予感は私に厳しく命令する、
Daß reifend Gottesgaben
  熟しゆく神の賜物が
In Seelengründen fruchtend
  魂の根底で結実しつつ
Der Selbstheit Früchte bringen.
  自己性という果実をもたらす、と。

先週(第15週)の詩では霊の贈り物とは、私の自我でしたし、それは遮断柵の中にありました。そして、その贈り物はすぐに表に出してはならないのです。十分に成熟させるためには季節のめぐりを経なくてはならないのです。夏の明るい季節に、人間の存在はいわば世界の中に広がり出て、そこで朧気な意識において神的存在と結びつきました。そして、力としての自我を受け取りました。その自我がこの後どのように展開し、人間を育てていくか、とても期待に満ちた雰囲気です。
子どもの頃、はじめて花の種を植えたときを思い出してみてください。土を柔らかくし、種を置き、優しく土をかけ、水をやり、つける花を想像しながら眠りにつきます。そして翌朝から毎朝、芽が出ていないかを期待を持って見にいったことはないでしょうか。私はこの週の詩に、そのような雰囲気を感じます。
「自分は育ちうる」という予感、あるいは感情は人間にとっては何歳になっても重要です。学校の最初の授業で子どもたちにルドルフ・シュタイナーは次のような言葉をかけるように勧めています。
  君たちのお父さん、お母さんは手紙も書けるし、計算もできるね。
  でも、君たちはまだできない。これから学んでいくと、それができるようになるよ。
といった内容です。まず人間の中の「伸びようとする力」にアピールしています。
この第16週の詩では、1年生のように内的な成長を促されてはいないでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿