2019年5月12日日曜日

『魂の暦』第40週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第40週、朗読に不向きな翻訳
1913年1月5日~1月11日

Und bin ich in den Geistestiefen,
  そして私は深霊にいる、
Erfüllt in meinen Seelengründen
  私の魂根底において満たす
Aus Herzens Liebewelten
  心の愛界からの
Der Eigenheiten leerer Wahn
  自己固有性という空虚なる妄想が
Sich mit des Weltenwortes Feuerkraft.
  自身を世界語の火力で。

1行目は、
 今、私は霊の深いところにいる
ですし、2行目以降の骨組みは
 妄想が、(宇宙語の)火力に、満たされる
となります。そしてそこに幾つかの装飾が付きます。
「妄想」は「空虚」で、「自己固有性」と言えるものです。
また「満たされる」の状況として、「心の愛界からの魂の根底」において満たされます。つまり、3行目の「心の愛界からの」は魂根底の出所と解釈しています。誰の魂もその根底は愛の世界を起源としているというのは、美しいイメージではないでしょうか。

さて、この週で私は霊界の深みに達し、まず自己固有性など空疎であると知り、そこに宇宙語の火力を受けます。自己の固有性が空疎であると言っても、人間が無個性だと言うのではありません。むしろ、各人がどのような霊性と親和し、どのような霊性を受け止めるかということによって個性が生じると言えるでしょう。私を満たす霊性が私を築いていくのです。これはある意味では聖母マリアの存在と似ているでしょう。マリアはイエスを身ごもるにふさわしい女性であったという意味で、確かに受胎以前も高貴な人物であったかもしれません。しかし、マリアがマリアであることの本質は、マリアがイエスを身ごもった点にあります。高貴な存在を受け入れることでマリアはマリアになったのです。それと同様に、誰しもが自分と結びつくべき高貴な霊的なものを受け入れるなら、その意味で「その人」になるのです。そして、ここで受け入れるのは「世界語の火力」です。宇宙進化の土星紀がトローネの熱から始まったように、私たちはここで「火力」に満たされるのです。

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