2019年5月12日日曜日

『魂の暦』第17週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第17週、朗読に不向きな翻訳

1912年7月28日~8月3日-17

Es spricht das Weltenwort,
  世界語が話す、
Das ich durch Sinnestore
  その世界語を私は感覚の門を通して
In Seelengründe durfte führen:
  魂の根底へと導き入れることが許されていた:
Erfülle deine Geistestiefen
  「お前の霊の深みを満たせ
Mit meinen Weltenweiten,
  私の世界の広がりで、
Zu finden einstens mich in dir.
  いずれお前の内に私を見出すために」。

この第17週は第8週の聖霊降臨祭的な雰囲気を持っています。クリスマスの祝福が信条や宗教にかかわらず万人に対しての恵みであるのに対し、聖霊降臨祭は「準備が整った人」にだけ関係するからです。もちろんその「準備が整った人」をキリスト教徒に限定することはできません。本来の季節のめぐりの中で、「準備が整った人への高次世界からの働きかけ」がキリスト教とは無関係に存在していて、それをキリスト教がより意識しやすいかたちで人々に示したのだ考えることができます。別な例を挙げれば、イエスの誕生日について聖書には何の記述もありません。しかし、それが冬至の3日後とされたのは、古代からのミトラ信仰があったからと言われています。
さて、第17週の詩では、世界語がいわば勝手に話します。そして、動詞や助動詞の時制を見ますと、それが話す以前に、それを私の魂の根底に導き入れることが許されています。しかも「感覚の門」を通してです。つまり、思考体験ではなく感覚知覚を介して世界語を受け入れます。
その世界語の内容は、「お前の霊の深みを、私の世界の広がりで満たせ、いずれお前の内に私を見出すために」です。つまり、外界で生起する森羅万象を自らの霊の深みにまでまず受け止めるわけです。そしてそのように受け止めたものが元となって、人間はやがて自らの内にその霊的な世界語を見出すのです。
今は、世界で生起する事柄を、全身を感覚器官にして受け止める時期だと言えるでしょう。考えるのはその後です。

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