Es sprichit zum Weltenall,
それ(仮の主語=自我)が宇宙総体へと語る
Sich selbst vergessend
自分自身を忘れつつ
Und seines Urstands eingedenk,
そして自分自身の原初的立脚点を思いつつ
Des Menschen wachsend Ich:
成長する人間の自我が:
In dir, befreiend mich
「お前(宇宙総体)の中で、自らを
Aus meiner Eigenheiten Fessel,
私の固有性という枷から開放しつつ
Ergründe ich mein echtes Wesen.
私は私の真の存在を基礎づける」。
内容の骨組みは次のようになります。
自我が宇宙総体に語る
「宇宙総体の中に自らの真の存在を基礎づける」と。
第2週ではSinnesall=感覚総体という造語がありました。この第3週ではそれを受けるように、Weltenall=「宇宙総体」が出てきます。そこに人間の自我が語りかけるのがこの第3週のメインです。その中では次のことが問題になります。
- その語る人間自我はどのような状態か。
- 人間自我は何を語るのか。
語るときの人間自我の様子は、まず、自分自身を忘れつつあります。さらにそれは成長しつつあり、そして、自らの根源的立脚点を思っています。この立脚点がどこにあるのかは、人間自我が語る内容から察することができます。
第2週の内容からも「人間の伸びる茎」は霊界にあることがわかります。つまり人間の根源的出発点が宇宙的霊界にあるのです。また、「私は、宇宙総体の中で、私の真の存在を基礎づける」と語るのですから、自らの根源的立脚点は明らかに宇宙、霊的世界にあります。
そしてその際に、「私の固有性という枷」から自らを解放して、その地盤を地上的な自己ではなく、宇宙に置くのです。
最後の1行「Ergründe ich mein echtes Wesen.」の「ergründen」は「Grund=大地、土台、基盤」とかに関係する語で、辞書で調べると、「徹底的に究明する」とか「根本を極める」といった意味が載っています。そしてこの1行を高橋巖氏は「私は自分の真実をきわめたい」、はたりえこ氏は「おのれの本質を 探ろう と」、鳥山雅代氏は「 私の真の存在が、今ここで解き明かされてゆく」と訳されています。これらは、辞書の訳語を尊重した訳です。しかしこの訳では第2週の「霊界に芽生えがある」という内容と関係させ、「基礎づける」としました。
前半の4行の主語はIch(自我)です。文法的にはそれを文頭に持ってくることも可能です。にもかかわらず、シュタイナーは完全に倒置してそれを文の終わりに持ってきました。そこには、地上にあって語りかける自我と、宇宙から地上に向かって成長する人間のイメージが託されているようにも、森章吾は思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿