■元のドイツ語
感受=Empfndung の訳語です。■《知覚》との違い
日本語ではなじみのない表現ですが、知覚にかかわることをより精密に描写するために、訳語として導入しています。シュタイナーが「感覚知覚」について述べるときには、
- Empfindung(エンプフィンドゥング)と
- Wahrnehmen(ヴァール・ネーメン)の
二つを使います。
Empfindungは感受
Wahrnehmenは知覚、つまり、Wahr=真実、nehmen=取る、「真実として取る」という意味です。
ドイツでの《感受》の典型的な用例としては、春先にくしゃみが止まらなくなった人が、「私は花粉に感受的になっている」といったものがあります。
この場合、身体は花粉に反応しいていますが、花粉の存在を意識的に知覚してはいません。
ですので、
- 《感受》=無意識な体的プロセス
- 《知覚》=感受されたものが意識化されるプロセス
というニュアンスで捉えることができます。
ただし、シュタイナーも常に厳密に区別して使っているわけではありませんので、常に文脈から理解する必要があります。
また、感受と知覚の違いは『一般人間学』第07講では重要で、シュタイナーは「感受は思考的要素ではなく、意志的要素」と語っています。
■感受魂
『神智学』や『神秘学概論』では、人間は体、魂、霊の3つに分けられ、それぞれがさらに3つずつに分けられることが述べられている。その中で、人間の魂には3つの構成要素があり、その中で感覚的物質界に向かって開いているのが感受魂である。
また、霊界に向けての窓口となっているのが意識魂、見たこと感じたことに沿って考える部分を悟性魂と呼んでいる。
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