目次
- ■イオウは導き手
- ■化学は元素の死んだ姿を捉える
- ■炭素
- ■酸素はエーテルの物質的担い手
- ■窒素
- ■植物とアストラル
- ■水素
- ■瞑想では窒素に静かに触れ、窒素から学ぶ
- ■種子のカオスが宇宙のカオスに感応する
- ■炭素、ケイ素、カルシウム
- ■窒素吸収植物のマメ科
- ■石灰について
- ■気高きもの、ケイ素
- ■全体の概要
03-01
諸力を仲介する物質について説明する。視点は、「宇宙的諸力や地上的諸力は、どの地上の物質を介してどのように作用するだろうか」である。
03-02
農業生産では窒素の意味と影響が重要であるが、窒素作用の本質はまったく見誤られている。 ここでは、自然領域、宇宙領域における窒素の振る舞いに着目する。 また、窒素はそれ自体としては植物に大きな作用はない。しかし植物の理解には窒素の役割が重要である。
03-03
窒素には四兄弟、つまりタンパク質に含まれる炭素、酸素、水素、イオウがある。
■イオウは導き手
目次にもどる 03-04タンパク質の意味理解にはイオウも重要である。 イオウはタンパク質内に存在し、霊的形成力と物質とを仲介する。つまり、物質界で霊の動きはイオウの活動からたどることができる。イオウはほぼ霊の担い手と言える。 サルファーという名はフォスファー(リン、光の担い手)と関係し、古代には広がっていく光の中に、太陽のような光の中に、広がりゆくイオウの霊を見たが故にこう名付けられた。
■化学は元素の死んだ姿を捉える
目次にもどる 03-05化学者は、実験室における諸元素の表面的振る舞いは知っているにしろ、宇宙的活動全体における内的な意味については無知である。喩えるなら、歩く人の様子をその固定的な写真からの推定するようなもの。
■炭素
目次にもどる 03-06《炭素》で思い出すのは、燃料としての石炭や鉛筆のグラファイトである。また、高貴なダイヤモンドもあるが、存在感は小さい。しかし、かつては《賢者の石》と呼ばれた。
03-07
錬金術で言う《賢者の石》とは炭素であったが、それは秘密であった。明かされれば誰でも手に入ってしまうからである。
03-08
炭素が《賢者の石》と呼ばれた理由は知っておくべきだろう。そのためには、石炭やグラファイトとしての炭素ではなく、生物界での活き活きとした活動に目を向ける。すると、石炭やグラファイトは死体に見えるだろう。
03-09
炭素とは、自然界における形態形成プロセスの担い手である。(炭を見れば元の植物の形態がわかる)。しかし、植物と動物ではその質が少し違う。
- 植物形態:比較的短時間にしろ存続的
- 動物形態:絶えず流転
「(人間の)血液は実に特別な液体だ」は正しい。つまり、血液は自我を肉体において表現している。イオウによって潤された道筋に置かれ、波打ち、力を振るい、自らを形成し、その形態を再び解消していく炭素とは、血液中で活動する自我と同じである。人間自我が炭素内に生きるのと同様に、植物には受肉せず宇宙に存する植物の自我が、イオウを介して形態形成と形態解消に関係する炭素中に生きている。
03-11
地球進化の初期段階ではまず炭素が存在し、後に石灰が現われた。人間はその石灰を硬化の素材(骨格)として利用し、それによって炭素を可動的なものに保った。
- 石灰:大地に存在。人間もこれを《地》として内に取り込む。
- 人間:鉱物的な固化から抜け出し、動きのある炭素形成に上昇。
生物の根底には、固化的、あるいは流動的な炭素的骨組みがあり、その形成経路では宇宙霊性が活動し、その宇宙霊性がフォルムとして顕現する。
■酸素はエーテルの物質的担い手
目次にもどる 03-13生命はエーテルが担っているので、炭素的骨組みにはエーテルが浸透し、全体に広がっている。つまり、炭素的骨組みがあるところには必ずエーテルが存在している。
03-14
さて、このエーテル的なものをもしそれだけとして取り出しても、そのものとしては物質的地上では存在しえない。地上では、《霊的なもの》は常に《物質的な担い手》を持たざるをえない。(例:《本の内容》と《紙とインク》の関係)。 この両者の区別は重要で、物質主義者は《物質的担い手》を本質と考え、それについてのみ研究している。 エーテル内で作用する霊的なものの物質的担い手もイオウに潤され、物質の中に入り込み、この構造体に永遠の動きや生命をもたらす。この物質的担い手とは酸素である。
03-15
酸素を取り入れる呼吸プロセスを考える。まず、空気中の酸素は死んでいるが、それ以外の酸素は基本的にエーテルの担い手として生きている。一般に、《生命》と《意識》は対立項で、生命活動が活発だと意識は鈍り、意識が活発だと生命活動はその一部が殺される。ゆえに「失神しないように、呼吸される空気の酸素は殺されている」のである。 しかし酸素は本来エーテルの担い手である。したがって、取り込まれた酸素は体内で再び命を持っている。このように、内側で循環している酸素と、私たちを取り巻く外気中の酸素は別物である。また、地中の酸素も命を持つが、その生命性は、人間内や動物内ほど高次ではない。
03-16
この点は死んだ酸素しか知らない物質主義的自然科学では理解できない。
- 反生命的酸素:オゾン、活性酸素、大気中酸素。
- 生命的酸素:水など。呼吸によって体内に入った酸素は水素と結合し水になる。
炭素による骨組みは植物と人間で違う。人間では自我の表現として動的で、植物では宇宙霊性の表現として固定的である。そこにエーテル的酸素的なものが加わるが、何かが仲介している。
■窒素
目次にもどる 03-18その仲介者は窒素で、炭素によって形態を得た霊性に窒素が生命を結びつける。(窒素はイオウを助けに、酸素と炭素の橋渡し)。つまり窒素とは、人間アストラル体内や地上的外界におけるアストラル的霊性である。 物質科学的状況証拠:アセチルコリン、アドレナリン、ドーパミン、セロトニン、カフェインなど神経活性を持つ物質では窒素原子が重要な役割を果たす。
03-19
窒素が存在するところではどこでもアストラルが広がっている。こうして、《霊性=炭素の骨組み》と《エーテル=酸素》を《アストラル=窒素》が橋渡ししている。
03-20
人間内の窒素は人間の硬い構造を完全になぞり、完全に人間の形になる。もう一方で窒素は生命とも、つまり呼吸プロセスとも直接に関連している。呼吸プロセスでは酸素=エーテル的生命が取り込まれるが、これを炭素的骨組みの場に導くのが窒素である。また、酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出す仲介が窒素である。 物質科学的状況証拠:ヘモグロビンのヘムの中心には鉄があり、その鉄に酸素が結びつくが、窒素原子がその鉄を支える。
03-21
大気は80%が窒素(アストラル)、20%が酸素(生命)で人間を取り巻いている。そして、窒素は私たちに霊的に関係している。
03-22
仮想実験:人間を密閉空間に入れ、その空気中から窒素を少量抜き取る。(人間周囲の窒素濃度を下げる)。すると、外側から補わなくても、空間内の窒素が人間の内側から放出され、通常状態になるように補われる。 人間は、自らの内的全存在と周囲との間に窒素の正しい比率を作り出す役割を担っている。ある霊的関連にとっては現状の空気中と同じ量の窒素が不可欠なのである。
■植物とアストラル
目次にもどる 03-23窒素は、霊内に強く入り込み作用するが、植物の営みにも不可欠である。植物は物質体とエーテル体は持つものの、アストラル体はその中にはない。しかし、アストラル的なものは植物を取り巻き、たとえば植物の開花を促す。つまり、植物外のアストラルが外側から植物に触れている必要がある。
▲窒素の感受性
03-24アストラルも、その担い手である窒素もいたるところにある。空気中の窒素は死体で、地中では酸素と同様、再び生命を持つ。 ただ地中の窒素は、生命だけでなく、感受性をも持つ。つまり、地中の窒素は神秘に満ちた感受性の担い手であり、ここで感受されたものが地上の営み全体に流し込まれる。たとえば「ある地方の水の量が適正かを感じ取り、適正であれば共感し、過不足があれば反感を持つ」「その土地に適した植物があれば共感する」など。
03-25
土星、太陽、月等々の惑星は植物形態や植物の営みに影響する(第2講)。これは誰も知らないが、遍在する窒素は正確に知っている。窒素は、植物や大地の営みに作用する諸天体からの放射も知っている。窒素は、人間の神経感覚系内だけでなく、あらゆるところで感受の仲介者になっている。
03-26
《あらゆるところを動き回る窒素=流れ動く感受作用》、この様子を見ると、自然の微妙な営みが見える。また、窒素の扱いは植物の営みにとって非常に重要であり、後に考察する。
03-27
- 霊性からの骨組み=炭素
- アストラルを組み込み、感受に関係=窒素
- 命を満たす=酸素
■水素
目次にもどる 03-28物質界も完全な孤立、分離をしてしまっては存在不可能で、物質界と彼方の宇宙をつなげるものがある。地上で物質的形態をとって生きるものすべては、宇宙空間に還り、言わば宇宙空間で純化され浄化されえなくてはならない。
03-29
- 青:骨組みとしての炭素
- 緑:エーテル性の酸素
- 黄色:炭素と酸素の橋渡しアストラル的な窒素
生物内で繊細な構造として形成されたものは、単に地球上だけでなく、宇宙において再び消滅できなくてはならない。 霊性は消滅しないが、霊性が引き寄せた生命としての酸素、霊性が構築した炭素は消滅する。 物質に対しても、霊に対しても、考えうるかぎり類縁な水素がその消失を仲介する。 物質科学的状況証拠:水素の原子量が最も小さいことや星間物質として知られている。
03-31
霊性は炭素、窒素、酸素を用いて物質化し、その物質体の中でアストラル的に生き、さらにアストラルの写しの中で自我(霊性)として、物質的な仕方で、物質に変容した霊性として生きている。しばらくすると、霊性にとって居心地が悪くなり、霊性は自らを物質から解放しようとする。このとき霊性は、イオウを利用しつつ、霊的なものにも、物質的なものにも非常に近い水素を必要とする。水素内では霊性はあらゆる規定や構造から離れ、渾然一体たるカオスの宇宙空間に入り込む。形態を与えるもの、命を吹き込むもの、アストラル的なもの、すべてを水素は宇宙の彼方の高みにまで運ぶ。これによって、宇宙空間から再びアストラル的なものが取り込まれるように作用する。このように水素はすべてを解消する。
03-32
五つの元素、イオウ、炭素、水素、酸素、窒素は、生命の領域で、見かけ上の死の領域で作用し動き回っている。これらはある特定種類の霊性と内的につながり、通常の化学的知見とはまったく違う。
■瞑想では窒素に静かに触れ、窒素から学ぶ
目次にもどる 03-33東洋の瞑想ではなく、中部ヨーロッパの瞑想のやり方では、呼吸プロセスには間接的にしか頼らない方法をとる。つまり、集中や瞑想がメインである。しかし、魂的修練によって、対応する身体的作用にも変化が生じる。つまり、瞑想によって、規則正しい呼吸の動きが非常に繊細に変化し、通常の覚醒意識のときよりも二酸化炭素をいくらか多く体内に保持する。つまり、体内にいくらか多めの二酸化炭素が留まる。
- 怒涛の日常生活:大量の二酸化炭素を放出
- 瞑想時:そこまでは多量ではなく、周囲の窒素に向かっていくらか控え目に放出
外界の物体に強くぶつかると自分自身の痛みを意識するが、優しく撫でると対象の様子を意識される。瞑想の原理もこれと同じで、二酸化炭素を静かに放出することで周囲の窒素の体験の中に入り込めるようになり、窒素の中に生きるものを認識できる。また、窒素は非常に賢く、窒素は感じ取ったことを知ってもいるので、水星、金星などの行ないを教えてくれる。瞑想によって、農業において魂的霊的なものと私たちを取り囲むものとの共働作用が生じる。 農業従事者は瞑想によって、窒素の開示に対し敏感になる。すると、農作業のスタイルと意味づけがまったく違ってくる。 突然に農園や農場で逆巻いている諸力についての秘密をすべて知るようになる。
03-35
学者から見れば農夫は愚かに見えるかもしれないが、これは間違いである。なぜなら、農夫は本来瞑想家であり、たとえば、冬の毎晩の瞑想は非常に有意義で、少しではあっても霊的認識を獲得している。そして、圃場を歩いていると、突然に認識がやって来て、言語化はできないものの、それを試すとうまく行く。
03-36
自然界の生命と活動は非常に繊細で、現代学問のような単なる知的作業で大雑把な悟性的理解では捉えられない。さて、イオウ、炭素、酸素、窒素、水素といった元素はタンパク質で一つに合体しているので、タンパク質が関係する種子形成がこれまで以上に正確に理解できる。
■種子のカオスが宇宙のカオスに感応する
目次にもどる 03-37葉、花、つぼみ、根の中にある炭素、水素、窒素は、常に何らかの形で他の元素と結びつき、自立はしていない。そして、諸元素が自立するには二つの道しかない。
- 水素がすべての元素を宇宙の彼方に運び去り、個的な特性を消し去り、普遍的カオスに解消させる
- 水素的なものがタンパク質を小さな種子形成の中に追い込み、そこでタンパク質を自立させ、宇宙からの作用に対し感受性を持たせる
■炭素、ケイ素、カルシウム
目次にもどる 03-38霊性の担い手である元素の振る舞いを見る。
- 人間内の酸素&窒素の作用:秩序。しかし、これらは見えないので、通常の学問ではわからない。
- 人間内の炭素&水素からの派生物:やや無秩序。
さて、石灰とケイ素は植物成長の基盤でもある。これをよく知るためには、人間の消化、呼吸、循環プロセス、骨格形成やケイ素的構造との関連における炭素の振る舞いをさらに深く認識しなくてはならない。人間内は覗き込めないが、もし循環プロセスに潜り込めたら、炭素形態形成が石灰やケイ素の中に輝き込んでいく様子が認識されるはずである。また大地も、上には植物、下には石灰やケイ素を持つという観方から見て、大地の認識は育てなくてはならない。炭素系が石灰系やケイ素系を頼りにしている。その炭素系の中に酸素系が窒素系に捉えられ引き下ろされる様子を認識できる必要がある。また、酸素系は炭素を通り抜けていく。また、大気中の酸素系は地中に取り込まれ、さらに窒素の助けで大地の深みに送り込まれなければならない。地中では炭素が石灰質の中で自らを形成し、またケイ素系を頼りにしうる。
■窒素吸収植物のマメ科
目次にもどる 03-40感受性や見る目があれば、こうしたプロセスはマメ科においてすばらしいかたちで観察される。マメ科は実際に窒素を地中に固定する(根粒菌の働き)。体内で必要とされる酸素を肺で吸収するように、地中で石灰質が必要としする窒素をマメ科は取り込む。地中の石灰質はある種の窒素呼吸のためにあり、マメ科はいわば肺の上皮細胞に相当する。マメ科だけが吸気として窒素を下方に降ろす。その意味では、他の植物は呼気側に当たる。このように、窒素に注目すると、植物界全体が、マメ科とそれ以外という二つに分かれる。
03-41
人間生体全体において個々の器官を位置づけるように、植物界全体において個々の植物種を位置づけるというのも課題である。その観点で見ると、マメ科の持つ大きな意味がわかる。窒素固定などは知られているが、それらの事柄を霊的な背景から認識する必要がある。伝統がますます失われていく中で、それを正しく新たに応用できるためにはそうした観方が必要なのである。
03-42
マメ科の特徴
- 結実傾向:他の植物では上方に偏っているが、マメ科では葉の領域にある。
- 花が咲く前に稔ろうとする。その理由は、他の植物では窒素質が大地から離れたところで展開するのに対し、マメ科では地面に近い側に保たれているからである。
- 葉は通常よりいくらか緑色が暗い傾向。
- 果実部分が退化。
- 種子の発芽能力が短命。
- 植物界の夏的なものではなく、冬的なものを手本に組織されている。したがって常に冬を待つ性質、自分が展開するものを伴って冬を待とうとしていると言える。
- 必要としているもの(空気中の窒素)が十分に見つかると、成長がゆっくりになる。これを独自のやり方で下方に導くことができる。
■石灰について
目次にもどる 03-43この方法で地上や地下での出来事を覗き見ることができる。その際、石灰質が人間の欲望世界と類似する点を知っていると、すべてが活き活きと有機的に結びつく。 石灰(カルシウム元素)は落ち着いてはおらず、酸素と結びついて石灰になろうとする。しかし、石灰になっても満足せず、あらゆるもの、あらゆる金属酸、さらにはもはや鉱物ではない涯青{れきせい}までも取り込もうとする。つまり、石灰はすべてを自分に引き寄せたがり、地中で欲望的本性を展開する。石灰質は植物的なものを引き付けると、欲望的本性が実際に満足されていることが感じ取れる。それは、石灰質が求めるものすべてが、植物内に生きているからである。したがって、植物のために石灰質内のものを絶えず引き剥がす必要がある。これは何ものも求めない気高きものが行える。
■気高きもの、ケイ素
目次にもどる 03-44何も求めず、自己に安息する気高きものとは、ケイ素である。ケイ素は自分自身内で安定に達している。ケイ素は鉱物的な硬い輪郭を持つ物体中だけでなく、ホメオパシー的希釈度でいたるところに存在し、自己内に安息し、何も要求しない。石灰質はすべてを求め、ケイ素質は何一つ求めないのである。知覚器官が自分自身を知覚せず、外界だけを知覚するように、ケイ素質は無私であり、知覚器官のようである。地上的なものにおいて、ケイ素質は普遍的な外的知覚感覚であり、石灰質は普遍的な外界欲望で、ややケイ素質に寄っているものの粘土がこの両者をつないでいる。
■全体の概要
目次にもどる 03-45感性を伴った認識を得るために、一度はこのように全体を見渡すとよい。すべてを自分のところへもぎ取ってこようとする石灰質を欲望小僧と感じ取り、石灰質によってもぎ取られたすべてを奪い返し、大気圏的なものの中に運び、そして植物フォルムを形成するケイ素を気高い紳士と感じ取る。ケイ素は、スギナなどに籠城するか、あるいは、ホメオパシー的な希釈度で繊細に、あらゆるところに存在するかして、石灰質から何かを取り返す。
03-46
炭素はあらゆる植物の中で、本来の形態形成者、つまり骨組みの形成者である。しかし地球進化に伴い、炭素と水以外のものが生じたために、炭素にはそれが困難になった。石灰質が入り込み、炭素を妨害したのである。その妨害を克服する必要があった。そして炭素はケイ素と結びつき、両者が粘土として一体になり、これが再び形成にかかわるようになった。こうした状況下で、植物はどのような営みを行なっているのだろうか。
03-47
植物の様子
- 上では、ケイ素質によって(水生植物のように)繊細で細長く繊維質にされようとする。ケイ素質は絶えず上に向かって放射しようとする。
- 中間部では、本来の植物フォルムを形成しつつ、すべてを秩序に収める炭素が働く。
- 下では、石灰質の触手に捕えられている。石灰質は絶えず下に向かってため込もうとする。
明日は、次の問い「正しく窒素分を植物界にもたらすにはどうしたらよいか」を取り上げ、肥料の話につなげる。
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