2019年5月19日日曜日

『魂の暦』第05週、朗読に不向きな翻訳


復活祭後;第05週

1912年5月5日~5月11日
Im Lichte, das aus Geistestiefen
     光の中で、その光とは霊の深みからのもので
Im Raume fruchtbar webend
     空間の中で実り豊かに織りなしつつ
     (前版の「揺れ動きは誤訳)
Der Götter Schaffen offebart:
     神々による創造を開示する:
In ihm erscheint der Seele Wesen
     その光の中で魂の本質が現れ
Geweitet zu dem Weltensein
     世界存在へと広がった
Und auferstanden
     そして復活した
Aus enger Selbstheit Innenmacht.
     狭き自分性という内的力から

第4週では感受が主役で、そこに光が一体化すると表現されていました。この第5週はそうした光が中心になって詩が展開します。そこでの中心テーマは「光の中に魂の本質が現れる」点で、そこにさまざまな状況が加わります。
前半3行では、この光の様子が次のように表現されます。
  1. 霊の深みに由来する
  2. 空間を実り豊かに織りなす
  3. 神々の創造を開示する

1.からは、この光が霊的な光であることが示唆されます。
そして、2.では実り豊かな作用をおよぼしますので、物理的な意味での光でもあるでしょう。光が植物の成長を促す力を持っていることを思い起こさせます。
3.では、この光によって神々の創造が開示されるとあります。これには二重の意味を感じます。まず、光によって森羅万象が目に見えるようになりますから、「光によって被造物が開示する」というイメージです。しかし、それだけではなくさらに深い意味も考えられます。つまり「霊的な光によって神々の創造行為そのもの」が開示するのです。
被造物だけでなく、創造が開示される。

後半ではこの霊の深みから発した光に、魂の本質が現れます。「開示」に比べ「現れる」は軽い表現で、さらっとそこに出てくる感じです。その魂の本質については次の2つのことが語られます。
  1. 世界存在へと広がること
  2. 復活したこと

1.では、魂の本質がこの春の光に満ちた季節に、地上世界の隅々に広がっていくというイメージはすぐにつくれるかもしれません。しかし、それだけの意味ではなく、地上世界の他に霊的世界をも含んでいるように思われます。その根拠は次行と関係します。
2.の「復活」は auferstanden と表現されています。これは非常に強い表現で、主にキリストの復活で用いられます。つまり、キリストの復活に準えるかたちで魂の本質が狭き自分性から復活するというのです。そしてキリストの復活では、キリストが地上だけでなく、霊界にも光をもたらしています。それゆえ前行で魂の本質が広がり向かう世界存在とは、地上世界を意味するのではなく、霊的世界も含むはずです。
ここで「狭き」と先の「広がる」が対比されていて、光の中で息づく魂の様子が感じられます。

5行目をはたりえこ氏が「宇宙的な存在へと聖化され」としている部分は、geweitet=広がったを geweiht(weihen=聖化する、の過去分詞形)と勘違いしたための単純な誤訳と思われます。

「weben」を「beben」と勘違いした誤訳を木村美雪さんにご指摘いただきました。

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