2014年8月15日金曜日

最初のぬらし絵「緑&黄より青&黄の方が美しい」

■美的感性を教える

子どもたちに、「青の隣の黄色の方が、緑の隣より美しい」と教えるように、シュタイナーは助言しています。(『教育芸術1教授法』高橋巖訳P65、66、最下段参照)
この表現に戸惑う人、あるいは反発する人は少なくありません。それはおそらく、美的感性を押しつけられるように感じるからでしょう。

■小学生には手本となる大人が必要

「何が善いことで、何が善くないことか」、「何が正しく、何が正しくないのか」、「何が美しく、何が美しくないのか」を、子どもは大人を介して学びます。こうした判断の基準を、生まれながらにしてある程度持っている子どもは確かに居ますが、それでも自分が信頼する大人の感じ方を受け取っていきます。それゆえ、子どもの前に立つ大人は、その人の言葉でも、その人の行動でもなく、その人の在り方が問われるのです。
そうした絶対的信頼感を条件に、客観的な美的感覚を子どもに伝えます。色彩の例の後で、シュタイナーが協和音と不協和音の比較を例に出しているのも象徴的です。言葉にはしていませんが、「音に美しい協和音とあまり美しくない不協和音があるのと同じように、色の組み合わせにも、美しい組み合わせとそうでない組み合わせがある」と言いたいのだと思います。
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【作例】お手本では黄色を円にしますが、子どもが円を描けるかは問題にしません。色彩の体験と形の体験はまったく質が違いますし、ここではあくまでも色彩の体験が第一だからです。

■ゲーテ『色彩論』レベルでの青と黄色

ゲーテの色彩論では、その基幹にあたる対の現象があります。
光の前に濁りがあると黄色が生じ、闇の前に(光を帯びた)濁りがあると青が生じる
という現象で、これをゲーテは根源現象と読んでいます。これはプリズムを通して白黒の境界面を見ることでも生じます。
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上の図をプリズムを通して撮影すると、下のようになり、黄色と青が対称に現れます。
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つまり、青と黄色は色彩論の中で要となる組み合わせであり、論理構造上、美しい組み合わせと言えるのです。さらに言えば、ここには目に見えない美しさも実現されているのです。
もちろん各自の魂的な部分で判断するなら、「緑と黄色の組み合わせの方が好き」という言い方はできますし、これは他者に教えるべきことでもありません。ですから、「好き」という主観的な事柄と、「美しさ」という客観的な基準を分ければよいのです。

■シュタイナー『色彩論』レベルでの青と黄色

シュタイナーは色彩を《輝きの色》と《像の色》に分けています。その中の《輝きの色》は
  • 黄……霊(精神)の輝き
  • 青……魂の輝き
  • 赤……命の輝き
と語っています。私自身は、色彩に対するここまで深い体験はありません。しかし、この言葉が正しいとしますと、シュタイナー学校の最初の水彩で行なわれているテーマ、つまり「周囲に青を描き、その後で中央に黄色を入れる」という絵は、一つの物語になります。
つまり、魂という受け皿に霊(自我)が宿る瞬間の絵になるのです。(「自我の由来と私という呼称」も参照してください。)
1年生の前でお手本を描くときに私は、輪廻転生の中で、一つの自我が、前世の果実を担って、カルマを認識しつつ、地上へと向かう決意をする瞬間をイメージしています。

■参考

『教育芸術1教授法』高橋巖訳P65、66
[シュタイナー]教育芸術1方法論と教授法p065

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