全体像
北向きから反転して南側を見るとこのようなステンドグラスが見えます。《メイン》
これもまずメインから見ていきましょう。ここに描かれているモチーフは、次の通りです。
1. 太陽
2. 明るさの中に居る存在の3つの段階、羽はやや弱い
1. 上:存在は太陽に向かうが、存在自体が希薄になる3. 炎とそれを越えた人間。(緑色なので、炎という感じは薄いですが)
2. 中:存在は人間に向かい、指を上げている。
3. 下:存在は顔を背け、身を守る姿勢をとる。
さらに、スケッチに書かれている文字は、こうあります。
そして、霊の光
それは人間の光となった
北側の緑のステンドグラスが重さおよび《地》を克服した状態を描いているのに対し、南側では《火》および《熱》を越え、光の存在と出会っています。 《光》…南
《熱》
《火》
《風》
《水》
《地》…北
この存在は、太陽に向かおうとしつつも、それはかなわず、存在が消えてしまいます。また、天使ではあるにしろ翼は小さく描かれています。また、下段では力を失ってしまいます。スケッチでは明らかではありませんが、ステンドグラスを見ると、この下段で、存在を取り巻く光が最も明るく表現されています。この光は、他者を照らす太陽の光ではありません。自らを照らすエゴイスティックな光です。こうしてみますと、この存在は、人類進化にあって人間を誘惑し、予定よりも早く人間を高次存在から独立させたルチファー存在です。 《熱》
《火》
《風》
《水》
《地》…北
《事前》《事後》
《事前》も《事後》も構成は似ています。下に人物(柱)が立ち、その上に何らかの放射が見られます。さらにその上には大きな顔があり、その顔を取り巻くように左側に7つ、右側に5つの小さな頭部が描かれています。構成は似ていますが、状況は正反対です。
これらの関係を一覧でまとめてみましょう。
《事前》 | 《事後》 | |
12の小頭部 | 一部、目が開いている | 目は閉じている? |
大頭部 | 目は閉じ、光は周囲に | 光をはらみ、目を開いている |
放射 | 下から上に手探り | 上から下に、目標を定めて |
人物(柱) | 目は閉じ、手探りで立つ | 光に包まれた柱になる(水星柱) |
ここで柱について考えてみましょう。日常会話でも、人物を柱に喩えることはあります。そして、これは「中心となって支える」という非常にいい意味です。ここでも、それは同じです。しかも、描かれている柱は、ゲーテアヌムの《水星柱》で、そこには自我獲得の徴が刻まれています。
人間の自我こそ、霊界につながる非常に重要なポイントです。これは霊界につながってはいるものの、必ずしもそこに目を向け、目を見開いているわけではありません。その状態では、人間は人生を何の導きもなく手探りで歩まなくてはなりません。
ところが、自我が霊界に対する目を開きますと、自らが進むべき道が自ずと示されます。霊界から導きの光が注がれるのです。そうして地上的人間存在はその道、その目標を実現するための担い手(柱)になります。
シュタイナーは、自我について述べる際に、「私」という語の特殊性を取り上げます。他の言葉、「机」とか「空」では、対象は外にあります。しかし、「私」という語を、私自身を指す指示語として聞くのは、それを自分が発するときだけ、つまり内側からだけです。その意味で、この「私」という体験は、自分の内側からのみ現われ得ます。さらに言うなら、私にとって最も自明な事実、「私は私である」ということを外的に証明することはできないのです。パスポートなどは便宜的証明にすぎません。
霊界の真実が人間に現われるときは、この「私」と同じ仕方で現われます。つまり、何の外的証明も必要としない揺るぎない真実体験として、内側から現われるのです。
添えられたシュタイナーの言葉
《事前》 | 《メイン》 | 《事後》 |
Und Menschenliebe entsteht | Die Liebe der Welt wirkt | Und Menschenliebe ergreift ihn |
そして人間愛が生じる | 愛は世界に作用する | そして人間愛が彼を捉える |
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