■二人のヴィーナスの素性
プラトンの『饗宴』には、パウサニウスの話として、二人のヴィーナスが紹介されています。・ウラニアのヴィーナス
宇宙の神ウラノスは大地の女神ガイアと交わり、子どもをもうけますが、ウラノスはそれをことごとく殺してしまいました。それでもガイアは我が子を密かに洞窟に隠し、ウラノスの手から子どもを守りました。そしてあるとき、ウラノスがガイアと交わろうとして降りてきたところを、その子どもの一人であるクロノスが大鎌を振るい、そのペニスを切り落とし、海に投げ入れたのです。するとそこから泡が立ち上り、女神ヴィーナスが生まれた、というのです。これがウラニアのヴィーナスです。
・パンディモスのヴィーナス
ゼウスとディオネの間に生まれた女神で、結婚の神とされています。
■二人のヴィーナスのより深い解釈
この二人の素性について、ネオプラトニズムの哲学者プロティノスが興味深い考察をしています。つまり、ウラニアのヴィーナスの方は、叡智の直接の娘であり、物質界(感性界)と関係しない女神だと言うのです。
ラテン語では、《母=mater》(マーテル)ですが、これは《物質=Materie》と同じ起源です。「母がいない」というのは「物質と関係しない」という意味でもあるのです。
このことから、ギリシャ時代から2人のヴィーナスに象徴される二種類の《美》が知られていたと思われます。実際、《美》には二種類あります。つまり
- 物質的であり、目で見ることのできる美(物質的・感覚的な美)
- 物質とはかかわらず、目で見ることのできない美(精神的・霊的な美)
『数学セミナー』という雑誌には、専門家が出題し、読者に解答を求めるページがあります。そのページは「エレガントな解答を求めます」というコーナーです。同じ解答でも、無骨なものも、エレガントなものもあるのです。
あるいは、芸術作品でも、見える美しさがその作品の価値を決めるのではなく、見えない美しさこそが価値を決めると言ってもよいでしょう。当然ながら、両者を兼ね備えた作品もありますが、見える美に傾きがちな人間を見えない美に目覚めさせるべく、見てくれは決して美しくない芸術作品も二十世紀以降、数多く創作されてきました。たとえば、マルセール・デュシャンの『泉』です。これは、世界の美術評論家の投票でピカソの『ゲルニカ』を抑えて1位を獲得した、二十世紀最高の芸術作品と言われるものです。間違いなくスリリングで天才的な作品ですが、その姿は決して美しくはありません。
シュタイナー教育が希求する美は、間違いなく目に見えない美です。目に見える美も無視することはありませんが、それはあくまでも、目に見えない美への橋渡しの役割しかなく、それが自己目的化することはありません。
■資料、プラトンとプロティノスの抜粋(共に、中央公論社刊、世界の名著より)
プラトン『饗宴』(アプロディテ=ヴィーナス)プロティノス『エロスについて』
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