2014年8月23日土曜日

イマギナチオーン、インスピラチオーン、イントゥイチオーンについての小考察


これらの二つは英語読みをすると、イマジネーション、インスピレーションで、日常用語でも使われます。しかし、シュタイナーがこれらの言葉を使う際には、基本的に超感覚的体験を指していますので、日常用語との混同を避ける意味で馴染みのないドイツ語発音をカタカナ表記しています。しかし、あまり訳がわからないのも辛いので、これらが初歩的にはどのように体験されるかを簡単に説明しておきたいと思います。
「霊」についての基本的理解も重要なので、「霊界お手軽ランドから霊界へ」も参照してください。

■イマギナチオーン

像と関係しますので霊視とも訳されますが、ここでの像は必ずしも視覚像ではなく、音像もありえます。
仮に「コップを創る」という課題があったとしましょう。
こうした課題に対して、通常は既存のコップを真似し、何らかの素材でそれを作るでしょう。しかし、もっと本質的・根本的なところから出発することもできます。つまり「コップとはどのようなものか」と問い、関連する事柄を挙げていくのです。すると、第一に「液体を人が飲む」という要件が出てきます。液体が漏れてはいけませんが、その他にも「置ける」とか「注ぎ入れる」「持てる」「適切な大きさ」等々の条件も加わります。たとえば、「適切な大きさ」というのは、「何を飲むか」に関係しています。ビールでは大きめですし、強い酒では小さめです。そして通常は「人が飲む水の量」が基準になっているようです。また、飲むためには縁に唇がきちんと付かなくてはなりません。プラスチック容器でうどんの汁を飲もうとすれば、その重要性がわかります。仮に底の部分の方が広い円錐台のコップですと、確かに安定して「置きやすい」でしょうが、重ねてコンパクトにできる紙コップのようには重ねられない、という問題が生じますし、もう一つ致命的問題が生じます。考えてみてください。
このような条件の元で、自分なりのコップを作り出そうとしますと、最初はまったく形のない状態から出発することになります。そして、この形のない状態から次第に形が生じてくるプロセスで、私たちはイマギナチオーンの質を体験します。念のために付け加えますが、これが完全にイマギナチオーンではありません。しかし、その質は持っています。
ペンの考察・・・デザインとは」も参照してください。

■霊的体験の準備はチューニング

シュタイナーの述べる修行とは、基本的に魂の質を霊界の質にチューニングすることにあります。
現代社会では、私たちの周りを特定の周波数を持ったたくさんの電波が飛び交っています。そのたくさんの電波の中から特定の電波を選び取る仕組みをご紹介します。非常に示唆的だからです。
コイル、コンデンサ、抵抗を組み合わせた簡単な電気回路があります。これは電気的な振動を作り出します。そして、その振動数はコイルの強さ(インダクタンス)とコンデンサの静電容量、抵抗値の組み合わせで決まります。言い換えますと、コンデンサの容量を変えると回路の固有振動数が変化するのです。
ラジオにはこうした回路が組み込まれていて、ダイアルを回すことでコンデンサ容量を変化させ、回路の固有振動を変化させることができます。そして、その固有振動を仮に828Hzに調節しますと、NHKラジオ大阪第二放送の電波がそれに共振し、ラジオに取り込まれ、放送を受信することができます。
このように、霊界の活動に沿った(霊界にチューンされた)魂の活動には、霊界の内容が降りてくるのです。

■イントゥイチオーン

さて、コップの理念から物体としてのコップを作り出すことは上述のプロセスで可能です。仮に、ヒマワリの理念からヒマワリの種が、そして芽生えが、さらにはヒマワリの花が出来上がっていく様子をイマギナチオーン的に作りあげる練習を続けたとしましょう。そして、もしその私たちの内的プロセスと「霊界において霊的ヒマワリが物質ヒマワリに形成されるプロセス」が同じになったときには、両者が一体になり、わたしたちは「分かった」という体験をするのです。そして、その内的プロセスが真実のものとして感じ取るのです。この体験、言い換えると「すべての分かった体験」はイントゥイチオーンなのです。しかし、通常の私たちは自らの魂の動きを霊界の壮大な動きに合わせることができません。しかし、時折、部分的に合わせることができると、そこで部分的な「分かった体験」を得るのです。この意味で、高橋巖氏がイントゥイチオーンに《霊的合一》の訳語を当てているのは慧眼のなせる業でしょう。また、シュタイナーの高次認識を体験するには、魂をどれだけ強く、柔軟にしなくてはいけないかは想像に難くありません。

ちなみに、誕生前の人間はまだ肉体を持っていませんから、自身を完全に霊的諸事象に合わせることができ、それらすべてを体験して、地上に生まれてきます。ただ、地上への誕生に向かうことで、その体験を一端すべて忘れてしまいます。たとえば、《円》になりきり、真の《円》を体験して誕生します。そして、地上界で円に近い形を見て、真の円を思い出す(想起する)のです。(この事情はプラトンの《想起説》で述べられています。)

■「分かった」の瞬間はイントゥイチオーン

幾何学の定理、たとえばピタゴラスの定理を学んでいて、全体の記述を何度読んでも、納得できない状況もあります。ところが私たちは、ある瞬間に「分かった」と感じます。その分かったという瞬間には、私たちは霊的対象、ここではピタゴラスの定理と内的に一体になっているのです。その意味では、あらゆる思考にインスピラチオーン要素があると言ってよいでしょうし、シュタイナーも『神智学』の第一章でそのように言っています。

■インスピラチオーン

インスピラチオーンについての説明には「イマギナチオーンで生じた像を意識的に消す」とあります。そして、それによって《意味》が降りてくるのです。
これを示す比喩的現象があります。読書です。私たちは本を読むときには字を読んでいます。しかし、内容に入り込んだときには、文字は意識から消え、代わりにその意味が入り込んで来ます。たとえば、誤植を探すべく字に注目して読んでいると、内容はまったくといっていいくらい入ってきませんし、逆に内容に入り込んでしまっていると、「てにおは」の間違いや誤植は見つけられません。
それと同様に、個々のイマギナチオーン像を消すことで《意味》がインスピラチオーンとして降りてくるのです。神道で言う水鏡に近い状態でしょう。水面が穏やかだと、そこに世界が映し出されるのです。

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