2014年11月24日月曜日

第03講要約(一般人間学)

■序のコメント、低学年教師について

低学年教師は低位に見られるが、本来は同等の地位である。ただし、本質的な事柄の認識は必要である。

■認識への障害

心理学は霊を忘れているし、本質を外れた「エネルギー不変」という考えは真の認識を妨げる。

■自然との二面的かかわり



人間は、自然とまず認識的にかかわるが、これは死に向かう方向である。 また、自然を感受知覚するが、これは知られてはいないが意志的であり、生の方向に向かう。

■認識的・意志的の両側面を持つ純粋思考


感覚的対象とかかわらない《純粋思考》によって、人間は「自由」でありうる。《純粋思考》では、認識的側面と、法則に則りつつ内容を自ら創り出すという意味で意志的側面を持つ。つまり、死に向かう側と生に向かう側の両面を持つ。

■人間を介して霊界の生の力が自然界に伝わる

本来、《生の力》の起源は霊界である。その力は人間が受け止め、自然界に送っている。
また、人間は余分な動物的なものを排除すること進化してきた。たとえば、過剰な代謝能力をウシに預けることで、明晰な意識を獲得する基盤をつくったと言える。あるいは、進化途上で最も最近排除したのは、類人猿であろう。種々の類人猿の行動を見ると、Sexに関係するものが重要な意味を持っていることがわかる。たとえば、マウンティングによって個体同士の上下関係を明確にする種がいる。あるいは、ボノボでは雌が陰唇部を触れ合わせることが挨拶になっている。また、相手を威嚇する際に、勃起したペニスを誇示する猿もいる。このような観察から、「類人猿は人類から過剰な性的要素を持って行ってくれた」と考えることができる。 ただ、十分に引き取ってくれたかは検証の余地があるだろう。性犯罪で逮捕される者は、巡査から裁判官まであらゆる職種におよぶ。
人間の一生で肉体は霊界からの作用を受け、作用を受けた死体が自然界を活性化している
これは高次の認識であり、検証は難しい。

■自然界から人間に入り込む死の力

生の力が霊界からだとすれば、死の力は外の自然界に由来する。人間はその力を借りて骨格系をつくる。さらには、その死の力を、筋肉血液系の生の力で弱めて神経系をつくる。 また、骨格系には意識されない叡智が宿っていて、幾何学はそれが意識化された一部である。

■人間の魂は宇宙的出来事の舞台

人間は宇宙の観察者である、というのが現代科学の認識であるが、実は単なる傍観者ではなく、人間の魂は宇宙的出来事の舞台であり、人間はその出来事に深く参与している。言い換えると、宇宙の今後の進化は人間しだいなのである。

■方法論的コメント:概念を普遍化するのは誤り

概念によって個別の事柄を述べるに留め、それを普遍化、一般化するのは誤りである。概念とは事柄を分離するために用いる。

■その他

  • 左右の視線を交差できることで、自我認識の可能性が生まれる(馬はそれができない)
  • ロッツェは知覚が意志的であることを予感した
  • ハルトマンはペシミストで人類総自殺を考えたが、人間と地球の関係を洞察していなかったので、「地球の爆破」という余分なことまで入れてしまった。

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