2014年11月24日月曜日

第10講解説(一般人間学)

■身体を球の変形として見る

球を基本形態として考えると、人間の身体は次のように捉えることができる。

  • 頭部:完全な球 
  • 胸部:一部が可視な球(三日月) 
  • 四肢:差し込まれた半径

頭部については、納得しやすいだろう。頭部を描く際には、球+下顎骨が基本になる。 「胸部が三日月」というのも、「まあ、何だか変だけれど」ということで納得できるかもしれない。 ところが、これは感情や夢のあり方と非常に密接な関係がある。 最終的な喜びや悲しみは感情として意識化されるし、夢も像となった部分は意識化される可能性がある。しかし、その背景にある非常に大きな部分に対しては無自覚で意識化できない。それはちょうど三日月のように、本当は大きい(かつ丸い)のだけれども、見える部分は非常に小さい、ということと対応する。
 「四肢が外から差し込まれた」などというのは、荒唐無稽のように思われるかもしれない。しかし、事実がそれを語っている。

 このような証拠もある。

■頭部には、胸も四肢もある
頭部の四肢に当たるのは、頭部における運動器官である顎である。 また、口腔は消化器官の始まりであるので、代謝系に関係している。 人間の胸部には呼吸器系がある。それに対応して、鼻が口の上にある。鼻の両側や眉間のあたりには、副鼻腔の空洞があり、空気とかかわる呼吸器官系の部分は、鼻だけに限らない。

■三者の関係

頭部、胸部、四肢の骨はそれぞれどのような関係になっているだろうか?

■頭蓋骨は椎骨の変形


まず、頭蓋骨と椎骨(背骨のパーツ)の関係から述べている。これはゲーテが発見した事実で、頭蓋骨のパーツは椎骨がメタモルフォーゼしたものである。これは、骨の形態をよく比較すれば納得がいくはずである。


■管状骨は頭蓋骨の裏返り
これを射影幾何学的に示すこともできるらしいが、私はそのオペレーションを理解していない。 しかし、霊的なものと物質的なものが対称関係にある点を考えれば、そのように考えることで、論理体系としての整合性は保たれる。 たとえば、第02章では、表象は像であり意志は萌芽であり、両者は対称関係にあることが述べられていました。 人間の魂の三層構造(思考、感情、意志)について、シュタイナーが初めてまとめた『魂の謎』の中でも、次のように言っています。
例えて言えば、表象の方は着色面を見ている時の感じで体験しています。それに対し、意志の方は着色面上の黒い面を見ている時の感じで体験しています。着色面上からは色彩印象が得られる訳ですが、黒の部分ではまさに色彩知覚が欠如しているがために対極として〈見える〉のです。 

と述べています。

■球の中心はどこにある?


  • 頭部:内部に中心 
  • 胸部:遠くに中心(三日月と同様、少なくとも見える部分にはない) 
  • 四肢:宇宙の周辺全体 

この四肢については、射影幾何学のある対応関係を学ぶと理解しやすくなる。まさに、内に中心を持つ円と対極の関係になる。
頭部は内に中心を持つので、本質的にそこに受肉している個人とつながり、その場に静止している。 宇宙の本質は運動にある。そして四肢は中心をその宇宙に持つ。したがって、四肢の本質はその運動を模すことにある。 一方に運動があり、もう一方に静止があるなら、その間で運動が静止していくプロセスが生じる。それが芸術の本質である。つまり、霊的な運動を模しつつ、それが静止したときに生じるのが芸術なのである。 エジプト、ギリシャ彫刻はこの認識で創られた。

■参考

アントロポゾフィーでは、常に「できあがった形に動きを見よう」とし、「できあがった物質にプロセスを見よう」とする。また、その力を育てないと、アントロポゾフィー的な認識はできない。

■「霊性の否定」からの帰結


  • 四肢が頭部の裏返し、が理解できず、この章を理解しにくい 
  • 物質主義の台頭

■真の人間認識から

ここで述べた真の人間認識を得れば、
  • 一人一人が宇宙の中心であることを認識し 
  • 人間に対する畏敬の念が生じてくる。

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