(後半に5年生での動物学についても少し触れています。)
■ 4年生という年齢の特徴
4年生以降、対象と向かい合う姿勢が生まれます。そして、世界を新しく体験しなおすことに喜びを感じます。こうした子どもたちの喜びをうまく活かすには、「美」にアピールするとよい。言葉での表現の仕方、イラストやそのスタイルに工夫をし、授業のすべてが、刺激的で、興味深く、冒険的で、感受性に働き、同情を呼びように構成することを理想とする必要があります。 1~3年生では意志 4~5年生では感情 6~8年生では思考 に働きかける、と考えればよいでしょう。 外の世界のさまざまな叡智を美的な組み上げて教材にし、それによって子どもの行為が駆り立てられるとよいでしょう。■ 人間学そして動物学
前提として、4年生以前に、お話の中などで動物、植物、四季などを簡単に知っている必要があります。 3年生以前には、子どもたちはたくさんのお話を聞いていますが、それらは本来の自然学の授業内容と本質的なところでつながっていなくてはいけません。たとえば、低学年で聞いた「狼」の話が中・高学年で学ぶことと矛盾してしまったら問題です。■ エポックの順の問題
シュタイナーは取り上げるエポックの順について、いろいろ言っています。それでも、基本的には、人間学→動物学→植物学の順にします。そして、自然認識の鍵になる存在である人間から始めます。鉱物、植物、動物のどれをとっても、高次の意味で人間とのつながりを洞察したときに、その本質を理解できるからです。たとえばミミズは土を食べ、体内を土が通過する際にそこに含まれるバクテリアを消化吸収し、残りの土は排泄します。つまり、ミミズはほとんど人間の腸と同じ活動をしています。
■ 人間の形姿
人間の外見を見れば、その三層構造は明らかですし、これが中心的な視点になります。そして、数年間をかけて、さまざまな授業でこの視点に肉付けをしていきます。4年生向けのポイントも、人間の頭部、胴部、四肢を球のメタモルフォーゼとして捉えます。 頭部は太陽的で完全な球 胴部は月のように部分的な球 四肢は星的に放射状 この視点を多角的に捉え、分かり易いかたちで、しかも芸術的に取り組むのが望ましいでしょう。そのためには、実際の人間観察、フォルメン線描、粘土、水彩、線描、さらには適切な作品の朗唱といったことが関係するでしょう。 その際には、身体の三層性に関係した機能も扱います。 頭、胴、四肢で人間は何をするのでしょうか。こうした事柄と、生活体感や芸術感覚を含めて取り組みます。シュタイナーが『教育芸術』の講演で簡単に触れた物を生き生きとした形で授業の中に取り入れることができます。
「人間は頭で何をするか?」と問いますと、子どもはすぐに、「見る」「聴く」「鼻では嗅ぐ」「味わう」「考える」といった具合に答えます。 教師は補足しつつ、まとめます。つまり、 頭部や頭部器官で、人間は外界を知覚し、外界の像を作り、それについて考えます。つまり、人間は外界を自分自身のものにし、内側にすべて持ちます。そして人間は、巨大な外界にあって、唯一人の自分になります。頭は外界に出て行きはしませんが、外界すべてを持って、完全な存在としてそこにあります。 「世界のすべてを持ち、しかも世界から独立した存在を彫刻家が創るとしたら、どんな形が生まれるだろう。それは、世界を丸ごと持っている。どんな形になるだろう。皆もやってみるかい」。 外界から独立し、外界すべてを包括するイメージとして、球ほど適切なものはないでしょう。こうして頭部のフォルムと機能とが対応していることを生徒たちは認識します。
胴部も同様に取り組みます。 胴は、上と後ろでやや閉じ、下と前でやや開いています。(より正確な表現としては、頭部側と背側でやや閉じて、四肢側と腹側でやや開いています。)つまり胴部は一方では球に近く、もう一方では開いた受け皿の形です。それによって球の一部という形態になります。この領域の機能は、呼吸や拍動といったリズムに関連する事柄です。そして、呼吸において顕著ですが、そこでは絶えず内外の相互作用が生じています。吸気、呼気です。 外の世界から何かを取り込み、それを自分自身の一部にし、それを変容させてまた外の世界に返します。つまり、外の大きな世界のほんの一部を自分のものにし、それを自分のものとして終わらせてしまうのではなく、受け取ったものを変容させて返します。胴部にはこうした機能があり、イメージとして具体化しますと、開いた球になります。
四肢は放射状です。「人間の手足は、外の世界から働きかけられ、外に働きかけるから、外とつながるように広がっている」といったイメージで語りますと、子どもはそれをすぐに感じ取ります。 外からの働きかけと、内からの働きかけでは、どちらが先かは検討が必要でしょう。しかし、闇で手を伸ばす場合と明るいところで手を伸ばす場合では、体験はまったく違います。この違いを活き活きと感じ取りますと、外からの流れが重要なことがわかるでしょう。
粘土を使って球形から頭部をつくります。そのときに、粘土を形作る手は、常にその中心に向かっている点に子どもの注意を向けます。 逆に、四肢を伸ばしていくときには、「外のどこか」に向けて粘土を引っ張っていくことにも注意を促します。そうしますと、球では静止、放射状では周囲に向けての動きが感じ取れるはずです。
頭部の球と放射状の四肢は対極ですし、それらがお互いを補っています。そして、これを出発点に子どもは人間生理の三分節、つまり神経活動、呼吸拍動活動、代謝活動の視点を学びます。この視点は、後に動物を学ぶことでより豊かになります。経験的には、きちんとした人間学的導入には、最低3日、場合によっては一週間をかけます。最初の動物はその後に取り上げます。
■ 動物の形姿
動物学エポックについて、シュタイナーは《頭部動物》として一般的なイカ、《胴体動物》として一連の馴染み深い動物、ネズミ、シカ、ヒツジ、ウマを取り上げるよう助言しています。人間学を上述のように行いますと、こうした動物は非常に繋がりよく導入できます。イカは動物界における最高度の頭部形成を見せています。 そして、これとの関連で貝も扱うことができるでしょう。貝はイカやタコと同じ軟体動物です。ただ、ほとんど完全に固い殻(人間で言えば頭蓋骨)の中に入り込んでしまっているのです。 このように、頭部領域だけでも対極性が見られます。イカについては、『教育芸術』第7講、イカは頭の動物のページを参照のこと。
《胴体動物》についても活き活きと描写します。もちろん、イカを描写するときとは違った口調が必要でしょう。シュタイナーが挙げている動物は一般的で、子ども自身がすでに知っているので、教えやすいでしょう。絵や粘土での練習、作文といったものも活用してください。
イカやネズミ、ヒツジ、シカ等の特別な点を学び、 最後にまた人間に戻ります。 イカは身体全体が頭部的な動物であり、ネズミ等が胴体的動物であることを学びました。 そして、人間は《手》があることで人間である、というイメージを子どもに与えます。 これは、特に4年生にとっての重要なモチーフです。《頭》がいいから人間なのではありません。行為を通して、未来に向かって作用できる唯一の生物であるからこそ人間はこの地球で特別な役割を果たすのです。《手》を使って、地球を傷つけることもできますし、自然をいたわり、育てることもできるのです。6年生を過ぎたら、《頭》の重要性も感じ取る必要がありますが、4年生では意志の領域である《手》がまず重要です。
どの動物も非常に起用で、生きるに必要なものを生まれつきほとんど持っています。 ところが人間は、走るのも、跳ぶのも、聴くのも、よじ登るのも、嗅ぐのも動物より劣っています。 しかし、一つだけ人間には可能性が残されていて、それはまた人間だけで可能です。 生きること束縛されず、特に腕を、善きもの美しきものに向けて使うことができるのです。他の人や痛めつけられた地球を救うことができます。美しさに向けて絵を描くことも音楽を奏でることもできます。尊敬に値するものへの敬意を行動として示すことができます。手足によって人間は自由な存在になることができます。
これがこのエポックの終着点です。子どもは、9歳から10歳という人生の過渡期に自身の全生涯をこのエポックの中で展望し、決定的な力を受け取ります。
■ 動物エポックの持つ他の意味
動物学エポックは4年生で中心的な意味を持ちます。また、新しい考察方法も学びます。この考察方法は大人にとっても必ずしも慣れ親しんだものではありませんので、父母会でこのエポックについて、基礎から話しますし、これは決して手を抜かない方がよいでしょう。■ 5年生での動物学
すべての自然学授業において方法論的に中心になるのは、「人間から出発する」という点です。人間の理解が自然の理解につながるのです。しかしこれは、擬人主義ではありません。そうではなく、自然学の授業における方法論に心理学的、認識論的に明晰な基盤を与えるものです。4年生で人間の形態学側面から、つまり形を見れば明らかな三層構造を置き、これが動物学の基礎になりました。5年生では人間の機能的な面における三層性を見ることができます。
- 感覚・神経組織
- リズム的組織
- 代謝・四肢組織
エポックの流れの中でこれらの動物が取り上げた動物のクライマックスになるようにするとよいでしょう。つまり、ワシが鳥全体のクライマックスになります。 取り上げる動物を絞る必要がありますが、そのための基準としてさらなる三層性が有効でしょう。フクロウは鳥の中でも特に目覚めた意識を持つ動物であり、歌鳥は巣づくりや歌に現れるように内面が際だっています。もう一つは水鳥や家禽で、代謝的要素が強く表れています。
ライオンを含む動物群でも三層性は意味があります。クマはライオンに比べ四肢や消化器官がよく発達しています。また、トラ、ヒョウ、チータ、ヤマネコといったネコ科、さらにはオオカミ、キツネ、特に狩の方法や群れでのコミュニケーションとかに見られる賢さ(頭部)です。
ウシの関係では動物の幅が広く、上述のようなはっきりしたタイプがはっきりしません。家畜種ばかりです。 それでも、バイソン、ヨーロッパ・バイソン、チベット・ヤクは牡牛的な要素が根源的な形で現れた例でしょう。 動物の様子を語っていくと、このグループ内での秩序が見えてくるでしょう。 重さの力や素材と密接に関わる動物群、森の環境に対し特別な繊細さを持っている動物群、見渡しとか目覚めた意識に対し特異な関係を持つ動物群です。 第一のグループに属するものとしては、重さに対し特別な関係を持つ山羊、アルプス・カモシカ、自身の代謝系に深く入り込んでいるカバ、ブタがあります。周囲に対し繊細なつながりを見せるのはシカやカモシカです。そして、第三のグループでは頚部の形成が主となったキリンを挙げられます。
こうしてたくさんの動物形態を見渡した後に、再び人間に目を向け、機能的な生理学から人間の魂的活動を理解する方に向かいます。そして、エポックの最後には、三層性からより高次のものが発展している。人間はワシ的ライオン的ウシ的なものを調和させている。古い時代にはある種のイマジネーションがあって、それを絵で表現しています。それがワシ、ライオン、ウシ、天使(人間)という『四動物』です。 これらは、四つの福音書のシンボルでもあります。つまり、ワシ=ヨハネ、ライオン=マルコ、ウシ=ルカ、人間=マタイです。
■ 種の保存について
『演習とカリキュラム』第9講(高橋巖訳、P192、5行)でシュタイナーは「ために働くという表現は避けてください」と述べています。ですから、「動物の形態が用途と強く結びついている」という表現の方が適切です。「有用性」という語には価値判断の要素が入り込むのに対し、用途と強く結びついている、というのは事実を客観的に表現しているからです。たとえば、ウマの蹄は大地を強く蹴ることと結びついている、と表現できるはずです。また、個体保存、種保存の概念も容易にダーウィニズム的解釈につながるので、避けた方がよいと思います。 その生物が生き、またその種が生き延びているのですから、何らかの形で個体保存、種保存はできているのです。ですから、動物のある性質をそこに結びつけるのは容易ですが、それは実のあることは何も言っていないのです。 一例を挙げます。 タラはタラコとしてたくさんの卵を産みますが、種が安定的に保存されるためには、その中から2個体が生き延びれはよいのです。ですから、こうした動物を「多産多死タイプ」と言っています。逆に、ゾウなどは一生の間に産む子どもの数は少ないですが、上手に育て、統計的には1対の雄雌から2頭のゾウが残ります。昆虫でもアフリカの風土病である眠り病を媒介することで有名なツェツェバエは少産です(データを見失いました)。 つまり、多産多死でも少産少死でも種は生き残るのですから、「タラはたくさん卵を産むから種が保存される」という論法は成り立ちません。むしろ、多産多死の動物は環境との関係が密であり、少産少死の動物は周囲の世界から自立していると見て、そこからその動物のキャラクターを読み取る方がゲーテ自然科学的です。
現代においては、子どもはいずれどこかでこのダーウィン的思考法と出会うでしょう。理想としては、適者生存理論の薄っぺらさを感じとれるくらいに、動物エポックの中で、動物の本質と深く出会っていることが望ましいでしょう。
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