2014年7月9日水曜日

『私たちの中の目に見えない人間』解説01

■人間の四つの構成要素を知っていることが前提

私たちの中の目に見えない人間』(1923.02.11)という講演があり、石川公子、小林國力両氏に共訳で出版されています。

これは、『神智学』や『神秘学概論』に描かれた「人間の本質」 をさらに詳しく述べたもので、アントロポゾフィー的人間理解には欠かせない内容です。つまり、アントロポゾフィー的にやや踏み込んだ内容ですので、前述のシュタイナーの著作を、思考によってしっかりたどり、《肉体》《エーテル体》《アストラル体》《自我》の四つの構成要素に対する確信がなければ、内容も理解できず、ナンセンスに思えるだけでしょう。

■霊的(精神的)存在である《自我》が身体に降りてくるとするなら

霊的存在である《自我》が身体に降りてくるとするなら、とりあえず《自我》は肉体の外側にあり、それがやがて肉体に宿ることになります。これは当然ながら、意識されない側の自我です。この意識されない自我は、誕生前には、《人間化》に向け受精卵や胚に、膜、尿膜、絨毛膜として、外から働きかけます。

そして、ある時点で肉体内に入り込み、以後は内部から《目に見えない人間》として、肉体を形成していきます。そして、この働きが、成長力、食物摂取を含む栄養関連活動、日々の活力再生、意識の及ばない生体活動などを司っています。

■目に見えない人間の四つの機構

この自我機構、アストラル機構、エーテル機構、肉体機構から成り立つ《目に見えない人間》は、誕生と共に《目に見える人間》に入り込まれ、言わば内側から作用します。
誕生前
誕生後の組み込み


肉体はエーテル機構によって生命を維持されています。そのエーテル機構を適切な場所とタイミングで働かせるのがアストラル機構です。そして、それら全体を統御し、まさに《人間の身体》に導くのが自我機構だと考えてよいでしょう。そしてこれは、前述のように、栄養・成長・再生プロセスにかかわり、四肢代謝人間、下部人間とも呼ばれます。(①のライン)

■《機構》と《体》の違い

《自我》と《自我機構》の違いは、前者が主に《自我意識》つまり意識される自我を指すのに対し、後者は、意識される側もされない側も含めたグローバルな元締め、といったイメージです。

■左右の小箱のズレ

この「ズレ」については、アントロポゾフィー医師のハラルド・マテス氏が明確に解説しています。右側は目に見えない「法則性」で左側は人間として実現して持っている部分です。

物質体について言えば、

  物質界の諸法則>>人間物質体の法則≒実現した物質体

エーテル体、アストラル体についても同様ですが、可能性としての法則と人間に実現した部分の差は大きくなります。

自我については、右側の自我機構には形成的力があるのに対し、人間自我においてはその写ししか実現していないので、離れて表現されています。

■意識されない側の自我の働きを示す状況証拠

まず、脳が健全でなければ適切な意識を持つことはできないのは明らかですし、脳が適切に働くための重要な条件の一つが、《直立》であることも納得されると思います。「四つ足であったら、重い脳を支えることができない」という説は昔から繰り返されています。さて、この《直立》には、骨格だけを考えてもさまざまな条件があります。

その一つが、大腿骨の骨頭部分における、「最小限の素材で最大限の強度を出せる構造」です。そして、この構造については興味深い事実が知られています。つまり、病床などで長く寝ていた人では、この構造が不明瞭になり、しっかり直立していると構造が鮮明なのです。この事実は、大腿骨骨頭部分の力学的に合理的な構造が、できあがったものとして保持されているのではなく、重さという抵抗を受けながら、絶えず作り続けられていることを示しています。
ここでさらに問います。「この人間の身体に相応しい構造を作っているのは誰か」と。
その答えは、あらゆる《人間的》なものの元締めにたどり着くはずです。つまり、大腿骨骨頭に働いている秩序化の力も《自我》以外には考えられないのです。このようにして、《意識的自我》が宿るに相応しい人間的構造を《意識されない領域で働く自我》が作り上げています。

■人間における二つの対極的な流れ

第一の流れ:自我機構からアストラル体、エーテル体を経由して肉体へ向かう流れ
これは、栄養摂取、栄養配分、身体構築、四肢運動の役割を担います。つまり、腸などの内側から血液を経て外に向かう、遠心的な流れです。(改変、四肢運動、つまり随意筋の運動はライン2的です。)
またこれは、業界用語でライン1と呼ばれ、《構築的》な流れです。
これは次のような例えで理解されています。家を適切に作り上げるには、設計者、現場監督、大工さん、材料が必要なのと同じように、人間身体を人間のものとして適切に作り上げるには、自我機構(設計者)、アストラル機構(現場監督)、大工さん(エーテル体)、栄養物(材料)が必要、という訳です。
第二の流れ:自我機構が、アストラル体やエーテル体を介さず、直接に肉体に働きかける流れ
これは、感覚系から神経系に流れ込んでいて、人間の意識的な活動と関係します。自我意識が持てるのも、この流れの働きです。
感覚系において「私は私である」という自我意識にとって重要な意味を持つのは触覚で、これは全身に分布しています。そうしますと、この流れは体表から神経を介して内に向かう求心的な流れになります。
これは業界用語でライン2と呼ばれ《解体的》な流れです。
意識が身体に対して解体的に働くことは、単純な事実からわかります。人は、長時間目覚めていることができず、睡眠を必要とする、という事実です。意識的な活動によって、生命的な力が消耗するのです。

■ライン1とライン2の対極性

ライン1
無意識的、構築的、血液、遠心的
ライン2
意識的、解体的、神経、求心的

■神経における解体的作用についての説明

神経での生理活動を見ると、それが死へ向かうプロセスであるとわかります。よく知られているように、神経では電気的な刺激が伝わっていきます。通常の生きた神経細胞では、内がマイナス、外がプラスの状態を保っていますが(分極)、これは生理活動の結果、言い換えると生きている力を使った結果です。さて、神経が興奮するとプラスマイナスの関係が一時的に逆転し、内がプラス、外がマイナスになります(脱分極)。興味深いのは、このプラスマイナスの関係が、神経興奮時=死んだ細胞である点です。つまり、神経が興奮するとき、神経は微細な死を体験しているのです。
事実関係については、Wikiを参照してください。

■ライン1についての重要なコメント

シュタイナーの黒板絵
いろいろに書き加えられた図

シュタイナーはライン1を単純な白色の線で表現していますが、これには若干の手抜きがあります。より正確に考えるなら、次のようになります。
左側は省略

つまり、《自我機構》から発した力は、《アストラル機構》に取り巻かれ、さらにそれが《エーテル機構》に取り巻かれ、実際に《肉体》に作用するのはエーテル機構である、という点です。そして、これら3種の力関係が人間の健康に大きな影響を及ぼします。

■ライン1の自我&アストラル機構が弱いと


エーテル機構はしっかり働きますが、そこに対するコントロールが十分ではなくなり、いわばエーテル体が野放しになります。すると、結核的傾向、炎症的傾向が生じやすくなります。
あるいは、自我機構だけが虚弱になりますと、アストラル体の動物的要素が勝り、自我機構が入り込みにくい部位、言い換えると血液が直接に入り込まない部位において脱人間化が生じます。それによって、特に関節の変形を伴う病気が現れます。

■他の二つの流れ

シュタイナーはさらに二つの流れ(ライン3、ライン4)についても説明しています。
ライン3は、アストラルレベルで直接に肉体にかかわります。それゆえ、ライン2ほどではありませんが、身体的な《解体》に関係し、またその《解体》を代償にある程度の《意識》を手に入れます。そして、これは呼吸に関係します。
ライン4は、エーテルレベルまで降り、おそらくエーテルレベルで活動する経路で、ライン1ほどではありませんが、《構築的》です。そして、これは心拍にその作用が現れます。
そして、《解体》と《構築》の微調整をこの呼吸・心拍の相互作用のなかでおこなっている、と考えられます。



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