2014年6月15日日曜日

シュタイナー学校1~8年生の算数カリキュラム

エルンスト・シューベルト編集(Ernst Schuberth)


目次


要約

まえがき
ルイ・ロッヒャー=エルンストの『算術と代数』といったやや専門的な本を学ぶと,算数の授業がやりやすくなる.
1年生
「ひとまとまり」の概念.リズム.記憶.四則の数学的背景.
2年生
数に対する感情的なつながり(48と47の質の違い).
3年生
「家づくり」と関連して単位.リズムの中での数の複雑な絡み合い.
4年生
分数の導入(単位分数から).さまざまな幾何学図形の観察.ごく初歩的な空間感覚の紹介.
5年生
分数計算を習熟.定規とコンパス.直角二等辺三角形においてのピタゴラスの定理.
6年生
パーセント,比例,利子計算.ピタゴラスの定理.代数の準備.
7年生
代数.開閉計算.負の数.
8年生
方程式,不等式.面積,体積計算.曲線.プラトン立体.

まえがき
ここではシュタイナー学校の低・中学年のクラスで,数学の授業をどのように展開するかを提案したいと思います. しかし,これはシュトックマイアー(E.A.K.Stockmeyer)編集の『ルドルフ・シュタイナーのカリキュラム提言集』の代わりにはなりません.むしろそれを正確に知っていることが前提になっています.ただ,シュトックマイアーでは簡単にしか触れられていない事柄も多いので,その補足も必要になります. こうした問題点が数学教師のサークルで話題になることも多く,再三検討されてきました.
数学の授業でも,個々の教師が自らの自由な責任において授業を作り上げていくのは当然のことです. しかし,まさに授業法を自由に構成していくために,その教科のしっかりとした基礎が必要です.その基礎づくりに,ルイ・ロッヒャー=エルンストの『算術と代数』が助けになります. その中には,教師の目から見て子供には難しすぎると思える内容も多いでしょう.しかし,教師がそれを確実に身につけているなら,この小冊子で述べている学年毎の教材も無理なく教えられます.
しかし,『算術と代数』は教師用に書かれたのではなく,スイスの技術学校の学生のために書かれた点を考慮しなくてはならないでしょう. ですから,教師は重要な部分を選んで読む必要があるでしょうし,また,練習問題が多くが学校用としては要求が高すぎる点を考えに入れておいてください.取り付きやすくするために,以下では必要に応じて単独の章,場合によっては特定のページを参照するようにしてあります. 実際に教育に携わる方の多くは,位置づけ(オリエンテーション)のために,参照された章の前後も読みたくなるでしょう.
『算術と代数』は授業内容については参考になりますが,教授法的なことは書かれていません. これについてはルドルフ・シュタイナーの諸講演,ヘルマン・フォン・バラヴァッレ,エルンスト・ビンデル,エルンスト・シューベルトなどの著作や論文,あるいはその他多くの提言などがあります.現段階では,人間学,教授法,専門教科の基礎などを包括した著作はありません.
この『カリキュラムの展望』もそうした課題を満たすことはできません
フォルメン線描についても書きましたが,この小冊子では後の数学の授業と関係のある幾何学的な側面だけを強調しています. フォルメン線描の構成そのものについてはクラーニッヒ等著,『フォルメン線描』(拙訳)等を参考にしてください.
数学の授業に関するその他の著作は逐次紹介してあります. また,クラス担任にとって重要な文献は最後にまとめておきました.

1年生
ある意味では集合概念に相当するひとまとまりという概念から出発し,数概念をいくつか導入します. (ルドルフ・シュタイナー,『人間本性の把握から生まれる教育芸術』第5講.
こうしたことと並行して(例えば〈リズムの時間〉に),意志的・リズム的なものを育てていきます. リズムに乗って時間の流れを規則正しく数で分割するのです.
1,2, 3,・・・・
算数の苦手な子でも,こうした練習で多少改善されます. しかし,数を単にリズムとして捉えるのでは不十分です. 毎時間,リズミカルな身体の動きからしだいに個々の数字の意識的な把握へと移行させ,身体をしだいに落ち着かせます.これは,常に基本原則です. 〈数え〉は合唱としても,一人ひとりでも練習します. まずは20まで,そしてだいたい100までです. 決まった限界はありません. リズミカルな数えの前練習として,ふさわしいリズミカルな詩句をやってもよいでしょう.
〈数当て〉の練習はとても好まれ,多くのヴァリエーションが可能です. その際,さまざまな感覚(聴覚,視覚,触覚,等々)を通して数を当てさせます. 指当てや足指当ては楽しいものです.計算ができるためには,子供は絶対に自分自身の身体の末端まで,内的に触れることができなくてはなりません.
記憶力を育てるために,1年生の終り頃に小さな1足す1と九九の最初の段を教えるとよいでしょう.ここではリズム的記憶だけでなく,時間的記憶も養います.
(Rudolf Steiner, Die Weltgeschichte in anthroposophischer Beleuchtung. GA.233, 1.Vortrag).
  • 分析的・総合的思考を考慮すること
  • 記憶力を育成すること
  • 気質に沿った練習を取り入れること
これらが,方法論的に見て重要でしょう. 音楽の場合とよく似て,算数では能力の差は非常に早くから目につきます. ですから,授業の内的な差異化を意識的にする必要があります.しかし,無意識のレベルで子供同士がお互いに助け合えるようにすることも可能ですし,またすばらしいことです. 計算の際には,子供の受肉(意識がしっかりは入り込むこと)と離脱(意識が外へ出ていくこと)のバランスにも注意します.この場合,通常の場合より伸び伸びとやらせてかまいません. まだ筆算は出てきていませんので,フォルメン線描を行なうことで,自分自身の手を動かして何かをやるという意味でのバランスを取れます.
- 専門知識として,教師は諸演算の有機的な結び付きの概要を把握していなくてはなりません. また,10への繰り上がりの問題は一通り考えておく必要があります.できれば位取りのシステム(n進法など)も知っていた方がよいでしょう. 10進法はと,数字との関わり上の完全に習慣的な問題です.数の本性とは関係がありません.
幾何学の授業はフォルメン線描とオイリュトミーで準備します. 教育的な観点は他にもいろいろありますが,教師がやや専門的な興味を持つなら,平面上の曲線についての諸法則も重要かもしれません.そのいくつかはクラーニッヒ等,『フォルメン線描』の第7章にあります.
文献
ルイ・ロッヒャー=エルンスト,『算術と代数』の〈まえがき〉と〈序論〉を薦めます. これで算術の美に対する感覚を目覚めさせられるかもしれません.オリエンテーションとしてはn進数について書かれた第4章と第12章があります.
その他には,
  • ルイ・ロッヒャー=エルンスト,〈芸術と宗教に対する数学の関係〉.
  • エルンスト・ビンデル,『算数』.
  • ヘルマン・フォン・バラヴァッレ,『シュタイナー学校での算数の授業』.
  • エルンスト・シューベルト,『シュタイナー学校の算数の時間』.
  • ルドルフ・シュタイナー,全集番号(GA),34,294,295,301,303,305,306,307,310,311.

2年生
2年生では,小さな九九を確実に覚えているのが望ましいでしょう. 九九の列を単にリズムに乗って言えるだけではなく,「7かける6はいくつ」,「42は何かける何」,という2種類の問いに確実に答えられることが重要です. 2の列,3の列といった数列を扱うことで,初歩的な数字同士の関係を導入できます. 「3の列と4の列はいつ一緒に声を出しますか」. リズミカルな練習では,数字の個性に対して感情が生まれてきます. 例えば48は豊かな数,〈王者の数〉です. なぜなら,たくさんの約数を含み,それらを従えているからです. 47は〈乞食の数〉(素数)です. 数の表現の仕方は,〈乞食の数〉などという言い方の他にも,ファンタジーを働かせればたくさんあります.とりあえずは100までの数字で計算を練習します. その際,計算物語などによって,具体的な状況と結びつけた方が望ましいでしょう.数えそのものに関しては,もちろん上限を設けません. これまでに練習してきた分析的・総合的な演算を全てきちんと書きとめて,確実なものにします.
フォルメン線描では上下対称を練習します. それに伴って三角形,四角形,円,楕円といった幾何学の基本図形が出てきます.
文献
数のリズムについての専門的な背景は『算術と代数』の33章,特に264ページ以降にあります.しかし,記述の仕方は小学校レベルとはかけ離れています. ルイ・ロッヒャー=エルンストの小論,『霊界の芸術作品としての自然数列』には,素晴らしい内容がいくつか書かれています.

3年生
3年生では〈家作り〉〈畑作り〉のエポックで,授業に生活に根づいた実際的な要素が入ってきます. また,m,kg,などの単位を扱いながら簡単な量計算に入ります. 〈測定〉と〈分割〉が量によって特に見えやすくなります.
6m/3m =2 …測定
6m/2 = 3m …分割
筆算に関しては,最低でも加法と減法を扱います. このとき,位取りが本質的な意味を持ちます.
また,大きな九九を学びます. 他には,2乗数などの数列を憶えて身につけてしまうこともできます. 計算問題では,数の持つ素晴らしい関係が現れて来るように,いつでも工夫するとよいでしょう.それには,ルイ・ロッヒャー=エルンストが『算術と代数』の序論が参考になります. 後で取り扱う領域から先取りするのです.例えば,10×10, 9×11, 8×12, 7×13, 等々 といった一連の問題では,掛け合わせる数の和は20で一定ですが,積は小さくなっていきます. この一連の結果にはどのような法則が隠れているでしょうか. 能力のある子供は,こうした一連の問題に喜びをもって熱心に取り組みます.
リズム数学には,複数のリズムが同時に鳴ったり,それらを結びつけたりすることが含まれます. これを利用して,約数・倍数の関係に関連した数の個性を導き,また深めます.例を挙げましょう. 4のリズムと6のリズムがあります. これらはまず,12のリズムで同時に鳴ります. また,2のリズムで結びつけられます. 2のリズムの中では両方のリズムを共に数えられます. このとき 4×6 = 12×2 が成り立ちます.(4と6に対し最少公倍数12で最大公約数2です.4×6と12×2とは同じになり,ここに一つの調和が生まれます.)
フォルメン線描では複雑な対称を練習できます. ルドルフ・シュタイナーは線描を扱う中で〈自由な対称〉というものを提案しています. 教師の専門知識として,さまざまな対称を知っていた方がよいでしょう.(鏡像(上下対称),多対称軸,回転対称,場合によっては,円における対称,:線・点対称). しかし,これらはまだ,全てを芸術的に,また直接のフォルム体験を通して描いていきます.
文献
進数系の構造については『算術と代数』の第4章を参考してください. そこには10進法以外のシステムも出てきますが,これはまだ授業では扱いません. しかし,教師はそうした背景を理解していた方が望ましいでしょう. 42ページ以降には筆算による掛け算が少しだけ取り扱われています. 〈測定〉と〈分割〉は16章にも詳しく書かれています.量の等式が第29章にいくらか書かれています. 量を代数的に扱うのはまだ早いでしょう. Multiplexというカード遊びでも数の関係を学べます.
要約
初めの3年間は,ある観点からすれば,ひとつのまとまりと見ることができます. これらの学年では,具体的な状況,あるいは具体的に設定された状況で自然数を取り扱います.一方では総数を決め,その総数から計算します. もう一方では,数の関係や数のリズムについて考えます. こうすることで,像的要素と音楽的要素の間を行き来できます.計算は最低限,1000くらいまでできるようにします. また同時に,3年生の終わりくらいまでに,100あるいは120までの数字で,個々の数字の個性を見るようにするとよいでしょう.リズミカルな練習で,多くのものをまだ動きによって支えてやることができます. 〈ルビコン川〉までは生得的に数学が苦手な子も,クラスの仲間と一緒に上手に課題をこなしていかれます.
幾何学はフォルメン線描の枠内で芸術的に育ててやります. 一方では幾何学的な基礎図形を知り,もう一方では,その教育的な作用も含めて,対称感覚を育てていきます.

4年生
〈ルビコン川〉を渡った後の算数の授業では,分数計算が新しく入ってきますし,これは重要です. このとき,多くの意味で1年生の最初の時を繰り返すことができます.全体から始めて部分が作られます. 1年生の時と違うのは,最初にあった全体とできてきた部分との関係を見る点です. ここから単位分数の概念が生まれてきます. 分数を幾何学的に目に見えるようにする場合,いつも決まった1つの像だけを用いないことです. ケーキや円ばかりでは不足です. 4分の1は三角形でも表せるのですから.
単位分数を教えたら,分母の同じ分数の加減を行ないます. 約分やその逆でを利用して,まず1/2 と 1/3 といった〈不響〉の分数を足します.3年生の時のリズミカルな数の練習をこうした発展に応用できます. 2のリズムと3のリズムは6のリズムで同時に鳴ります.1/2と 1/3を加える時には6分の1に変えます. 約分は大きなまとまり(分母)からより小さなまとまりに移行することですし,1/2を 2/4変えるのは約分の逆ですが,それもリズムで示すことができます.
〈測定〉と〈分割〉は,ここで更に大きな意味を持ってきます. 量の〈分割〉では分数の加減が関係し,〈測定〉では分数の乗除が関係してきます.
実際に2つ以上の数をまとめるやりかたで小数を導入します. その際,リットル,メートルといった量計算を拡張し先へ進められます.これまで扱っていませんでしたが,筆算のやり方を教え確実にしておきます.
幾何では図形の記述がつけ加わります(記述的幾何学). 三角形,四角形,円,楕円などを,完全に線描的に描き,それを見ながらいろいろ判断してそれらを特徴づけていきます.辺,角,対称といった概念を,後に出てくる証明や定義と結び付けるのではなく,直接体験を記述する時の助けとして使います.
ルドルフ・シュタイナーは空間表象の育成を重視しています. 例として,円盤の影が平面上で楕円になることを挙げています. 空間幾何学を本格的に行なわなくても,授業での話や例示(デモンストレーション)で簡単な空間関係についての思考を目覚めさせてやることができます.
文献
『算術と代数』では分数計算を25,26章で扱っています.学校では代数的な書き方はまだ使いません. 法則を導きだし,言葉によって定式化し,記憶に留めます.
教師の専門としては,通常の分数と小数との関係をしっかり理解しておいた方がよいでしょうし,分数演算の導入を基礎から勉強しておいた方がよいでしょう. 26章では分数と比の数との関係が丁寧に述べられています. GA.301の第14講には,分数計算についてのルドルフ・シュタイナーの重要なコメントがいくつかあります.

5年生
4年生で導入したことを先に進めます. その際,達成目標は次のようになります.
  • 分数を小数に変換し,またその逆もできること.
  • 分母分子を約数に分解し,複雑な分数を約分できること.
  • 複雑な分数同士で,共通分母を手順にしたがって,やり方を考え込まずに計算でき,足し算引き算ができること.
  • あらゆる難度で分数計算が応用できること.
応用例は日常生活の中からいくらでも持って来られます. それと並行して,暗算や素因数分解の際には,数の関係を見ることになり,子供の〈自由な〉数学的な活動が可能です.
簡単な比例算(12:4 = x:5)も始めるのが望ましいでしょう. その際に,例えば量が増えれば価格も増す,といった相互関係に対する感情を育てることに重きを置きます.「まず見積もって,それから計算する」というやり方をしますと,数と実際に取り組む時により確実になります.
幾何学では正確な形に移っていきます. その際に,図形を流動的な動きの中で捉えるとよいでしょう.
定規とコンパスを用いた簡単な作図は5年生の最後に導入しますが,これには子供たちは熱心に取り組みます. 幾何学の最高点としては,ピタゴラスの定理を直角二等辺三角形という特殊な場合で取り上げられるとよいでしょう.
幾何学は,全体として〈手作業的〉な特徴があるとよいでしょう. 例えば,古代エジプト人がピラミッドの平面を描く時に用いた〈ピタゴラスのひも〉の話もできます.また,三角形を切り取ったり折ったりもできます.
文献
教師は教材をより広い関連から見た方がよいでしょう. その観点からすると,『算術と代数』の4年生のところで挙げたものの他に,第29,30章の初めの部分も読んでおくとよいでしょう.
分数計算については Dr.Walter Kraul先生(ミュンヘン)が練習問題を出しています. 幾何学の導入に関しては素晴らしい文献がたくさんあります.例えば,Alexander Strakosch, Geometrie durch u"bende Anschauung. Gerhard Ott, Geometrie fu"r Klassenlehler der 6. 7. und 8. Klasse.また,幾何学の全体像をつかむには,Stockmeyerの『ルドルフ・シュタイナーの教案』を参照してください.

6年生
6年生からは,授業構成も授業方法も新しい局面に入ります. 全く違った風に子供の目を外界に向けさせます. 例えば,お金,クレジット,社会三層構造の何らかの問題に触れながら,利子計算につなげていかれます.中世の利子の問題はそれだけで研究の価値があります. (Herbert Hahn, Von den Quellkra"fte der Seele.). 利子の公式を数学としてではなく,具体的な社会背景に沿って,社会的なものとして扱います.代数的な公式,いわゆる〈文字計算〉の意味というのは,何らかの法則的・概念的なものをそれで表わしているところにあります. そしてこれは,単に公式を扱うというだけではありません.それ以上に,子供の全般的な成長と関係しています. これによって具体物をイメージしながら考えることから,具体物から離れて概念的に思考するようになります. ですから,この段階での授業は決して抽象的になってはいけません.具体的な問題(利子)を話し,問題を解き,問題解決の際の法則を言葉で表現し,見つけた法則をさまざまに応用します. このプロセスの全体をさまざまな状況で体験させてやるようにします.
シュタイナーは利子計算を強調していますが,その前に,パーセント計算と比例計算をやっておかなくてはなりません. 比例計算では逆に向かう比率も取り扱います.
銀行へ行き,両替や割引の計算を見せてもらうとよいでしょう. 子供に用紙に記入させられますし,また経済との関連で話題がたくさん出てきます. (郵便為替,振込など).まず初めに具体的な問題に取り組み,そこでの法則を言葉で表現させます. さらにその法則を代数的な公式に表現します. 私でしたら代数的な公式をこのように扱います.
本来の意味での代数には7,8年生で入りますが,6年生の終わりには,分数の計算法則を代数的に表現して,その準備をしておきます. 例えば,
a/c+b/c =(a+b)/c
です. また,実生活からの計算問題を扱いながら,この学年相応に10進数の単位系をまとめます. 長さ,面積,容積,重さを小数で書き,その換算をします.また,少数の測定値の切り上げ,切り捨てを教え,時間の単位と計算も扱います.
幾何学では本来の意味での証明を初めて取り上げます. ピタゴラスの定理の証明を,ルドルフ・シュタイナー再三取り上げています. (例えば『演習とカリキュラム』の中で).合同の定理とその応用を本当に理解できる可能性が出てきています. なぜなら,図形の向きが空間でどのようになっていても,その形を捉える能力が生まれてきているからです.この学年にユークリッド幾何学がふさわしいので,教師は〈空間と対空間〉の基礎を身につけていることが望ましいでしょう. 〈核〉と〈覆い〉といった問題を子供達に話しますと,幾何学と射影幾何学とのつながりが生き生きとしてきます.
この学年で初めて投影・射影学が加わってきます. 光によって空間内のものの形がわかるようになる様子,つまり,光空間と影空間について話します. (1921年1月16日の職員会議).全てをできるだけ実際的・具体的に,そして目に見えるような形で展開するとよいでしょう. この学年で初めて月の満ち欠けや星の位置などを学びますが,空間的な位置関係についてはその中で練習できます. 1923年のドルナッハでの講演でルドルフ・シュタイナーが大変に強調しているように,線描的遠近法を教える前に,色彩的遠近法に対する感情を育ててやる方がよいでしょう.
文献
『算術と代数』では4,5年生で述べた部分をさらに参照してください. ルイ・ロッヒャー=エルンストは17ページで利子の公式を扱っています. また実際的な利子計算を身につけるためのマニュアル本も手に入れるとよいでしょう. 今日ではもちろん,こうした計算はコンピュータで処理されていますが,預貯金を手計算していくための本は見つかるはずです.幾何学については既に紹介した Gerhard Ott のものを特に挙げておきます. 射影幾何学については,かなり程度は高いですがルイ・ロッヒャー=エルンストのRaum und Gegenraum.があります.

7年生
7年生になって,本来の意味での代数を扱います. 足し算と掛け算,引き算と割り算の関係を『演習とカリキュラム』でシュタイナーが言っているやり方で進めていきます.これらを代数的に表記しますと,対応するより高次の計算へ移行できます. つまり,指数とべき乗根,さらには場合によって対数です. (対数は一番簡単な形のものを扱います).計算の諸法則(交換法則,分配法則,その他)がはっきりしてきますと,代数的な変形や一般形で計算なども学びます. 簡約化,括弧はずし,数値と括弧の掛け算,括弧同士の掛け算といったものです.検算としては,いつでも変数に数字を代入してみます. 2項の式,
(a+b)2, (a-b)2, (a+b)(a-b) 場合によっては (a+b)3, (a-b)3
といったものまで,応用をたくさん取り上げながら練習することができます.
こうした公式からルート計算のアルゴリズムを導けます. ルドルフ・シュタイナーはこの計算を大変に建設的なものと見ています. 現在ではルート計算も電卓で非常に簡単にできますが,それでも丁寧に取り上げるべきものです.計算をアルゴリズムから理解するのは,今日益々重要な意味を持ってきています. そうした練習には,内的な法則を持つ数列が適しています.
負の数は,数のもう一つの領域に属する質を感じさせるように導入するとよいでしょう. 負の数に対する幾何学的なイメージ(温度計など)からは決して始めません.お札やコインとしては存在していなくても,実際に効力を持つ〈借金〉が負の質に対する正しいイメージです. 借金というのは,社会において人間同士の関係があって初めて生じます.負の質を持つ領域として,ルドルフ・シュタイナーはエーテル界を挙げています.
実生活と関連させて,1元の方程式を扱います. 特別な数(分数や負の数も含む)を代入する計算もよく練習します.方程式を解くに当たっては,生き生きとした形で因果律的思考を練習します. こうして,4つの明確な法則に行き着きます.
  • 方程式の両辺に同じ数を足しても,同じ数を引いてもよい.
  • 方程式の両辺に同じ数を掛けても,両辺を同じ数で割ってもよい. (ただし,0は例外).
また,方程式を言葉でも表現できるとよいでしょう. さらには,簡単な文章にしたがって方程式を立てられなくてはなりません.
幾何学ではまず四角形,次に三角形を計算します. 移動,回転,鏡像,点対称といった合同変換をしっていますと,証明の際にいろいろと役に立ちます. 面積計算の基礎に必要な範囲で,正方形,長方形,平行四辺形,台形,ひし形,三角形で等積変形を学びます.実際的な応用を幅広く取り上げます.
幾何学的な作図では,三角形の外心,垂心,重心,内心といった特殊点やオイラーの直線を紹介するとよいでしょう. 三角形の形をいろいろに変化させながらこれらの点を求めていきます.そうしますと,動きのあるイメージを生き生きとさせられます.
ピタゴラスの定理やそれに関連する諸定理を新しい観点から捉えなおします. ルート計算も取り上げますから,それと関連して,ピタゴラスの定理を長さの計算に応用していきます.c2=a2+b2, c=√a2+b2, あるいは,a=√c2-b2 こうした計算ではピタゴラスの定理における面積との関係が消えてしまいます.したがって,ピタゴラスの定理を長さの計算に応用するときには,慎重さが必要です. 面積と長さ計算との間には大きな壁があります. また,相互に貫通した物体の線描をお薦めできます.さらには,透視法を始めます.
文献
『算術と代数』では第5章と19章が参考になります. また,第30章では216ページ以降にはルート計算について述べられています. これについてはシューベルトの詳しい論述もあります.さらに,234ページではルート計算が短く扱われています. 第46章から49章では一次方程式の基礎が扱われています. 方程式論については,エルンスト・ビンデルの非常に素晴らしい本があります. Die Arithmetik. Menschenkundliche Begru"ndung und pa"dagogische Bedeutung. 幾何学についてはここでも,Gerhard Ott を挙げておきます.

8年生
7年生で取り上げたテーマをさらに進め,より難しい課題を出します. いろいろな意味において,7年生ではひとつの単元を非常に初歩的に示しました. ですから,全てを繰り返し,練習した方がよいでしょう.特に方程式論と関連する部分を先に進めるとよいでしょう. (未知数が1つの線形方程式や未知数が2つの方程式).
また,基礎的な不等式を扱うことは十分に可能ですし,望ましいでしょう.
幾何学では面積計算を進め,体積計算を新たに始めます. 作図や学んでいる計算との関連させて,重要な曲線を軌跡の集合として扱います. (放物線,楕円,双曲線,カッシニ曲線,アポロニウスの円).多くの先生方が,幾何学の中でプラトン立体(5つの正多面体)を扱っています.
文献
7年生のものに加えて,『算術と代数』の第50章を参照してください. 曲線については,ルドルフ・シュタイナーの『新しい建築様式への道』,ルイ・ロッヒャー=エルンストの『重要な曲線での行為としての幾何』. プラトン立体については,Paul Adam / Arnold Wyss, Platonische und Archimedische Ko"rper, ihre Sternformen und polaren Gebilde に述べられています.

【注】
エルンスト・シューベルト(Ernst Schuberth)
マンハイムのシュタイナー教育教員養成ゼミナールの校長.ロシア,ルーマニア,アメリカなど世界各地でシュタイナー教育の教員養成に努めている.
シュトックマイアー教案
シュタイナー教育の内部資料として編纂されているもので,一般には手に入りません.
ルイ・ロッヒャー=エルンスト
ゲーテアヌムの代表でもあった数学者.代表の在任期は事故死のために極短期間でした.
n進数についての文献
第4章はn進数について書かれています. こうしたことの基礎知識は多くの本で触れられていますから,日本語でも文献はたくさん見つかるはずです.ウリーン著,拙訳『シュタイナー学校の数学読本』の3.1.節にもわかりやすい説明があります. それ以外で,私がルイ・ロッヒャー=エルンストの視点として興味深いと思ったのは,次の点です. 数と取り組む際には,3段階のレベルがある.
· 第1が純粋に概念的なレベル
· 第2が言葉での表現のレベル
· 第3に表記のレベル
私たちにとって10進法が計算し易いのは,(1)私たちがそれに慣れている,(2)言語が10進法に沿ってつくられている、というのが原因だといいます。 ですから、他の進数表記法は計算的には劣っている,というのはまったく誤った考え方である、という点です.


霊界お手ごろランドから霊界へ

■単に隠れているもの、本質的に感覚知覚できないもの

金子みすずの詩に「星とたんぽぽ」があります。昼間の星に対しても、タンポポの根に対しても
  見えぬけれどもあるんだよ
  見えぬものでもあるんだよ
と語ります。
ただ、ここで「見えない」と言われているのは昼の星やタンポポの根であり、その対象が本質的に「見えない」からではなく、覆われているから見えないわけです。タンポポの根は土に覆われ、昼の星は光る空に覆われ見えないのです。ところが、物質界を離れますと本質的に「見えない」ものがあります。たとえば、私たちの魂の働き、つまり感情や思考は見えません。そして、アントロポゾフィーとかかわるなら避けては通れない霊的な世界(精神的な世界)も目では絶対に見えません。しかし確実に「見えぬけれどもある」のです。この「ある」を単に信じているのか、とりあえずそう考えているのか、実際に体験しているのか、では人生が大きく変わります。人は、霊界が存在することを体験しなくてはいけません。

■霊界を見るには

霊界と言ってもそこは大変に広く、誰にでも比較的簡単に見える部分と大変な修行を積まなければ見えない部分とがあります。簡単に見える部分であってもそれを一度しっかりと見てしまうと「霊界」を否定することはできなくなります。シュタイナーは霊界を否定する物質主義者を称して「ただの馬鹿」といったニュアンスのことを言っています。言い換えれば、ちゃんと考えれば霊界の存在は確認できるのです。そして、霊界の中で比較的簡単に見える「霊界お手ごろランド」が幾何学なのです。シュタイナー自身、子どもの頃に感覚界と霊界をつなぐ幾何学に大きな慰めを見出していた、と回想しています。

■幾何学の定理

たとえば、円周角の定理というのがあります。
  円周上の一定の孤に立つ円周角はすべて等しい
という定理です。図の角a1、a2、a3等々が皆等しいというのです。
160-0
ここでしばらく、この定理の証明にお付き合いください。

■最も単純な場合

何らかの問題を考えていく上で「最も簡単な場合から考える」、という方法があります。特別にわかり易い場合から考えっていって、次第に難しい場合に移行していくのです。この方法をシュタイナーはピタゴラスの定理の教え方で示しています。直角三角形の中でも、事柄を考えやすい直角二等辺三角形(三角定規形)から教えていくのです。
この円周角の問題では、円周角をなす直線の一方が、ちょうど円の半径になる場合が一番単純です。ですので、まずこの場合を考えてみましょう。
円周角
この図の中で幾何学的な法則を二つ用いることになります。一つは二等辺三角形の法則です。円の半径の長さはすべて等しいですから、
三角形AOPは二等辺三角形になり、その二つの底角は等しい
(本来、この法則も証明される必要がありまが、ここでは省略です。)
ここで使うもう一つの法則は、三角形の内角の和が一直線(180度)になるというものです。
中心角AOB+二等辺三角形の頂角AOP =180度
二等辺三角形の二つの底角()+二等辺三角形の頂角AOP = 180度
ですから、
中心角AOB = 二等辺三角形の二つの底角の和
となります。
二等辺三角形の底角は等しいですから、
中心角AOBの1/2 = 二等辺三角形の底角 = 円周角
という関係が成り立ちます。つまりこの円周角は中心角の半分なのです。
図を見て、
は等しく、はそれらの2倍(マルは本来、水色)
という方が、理解は簡単でしょう。「△AOPで……」といった表現を追うだけで、けっこう集中力を使いますが、幾何学の本質的な部分は、実は、そんなに難しくないのです。
さて、次の段階は「どの円周角も中心角の半分」であることを示しますが、ここでは省略します。

■証明の核心

ここからが、重要です。ここでの証明の際に、私はフリーハンドの図を用いました。しかし人は、このような図であっても定理の証明を理解できます。つまり、目に見える図は、ある完全なる円について考えるきっかけでしかないのです。そして、その完全なる円はこの地上に目に見える形では存在しません。
この事実をしっかり体験しますと、人は自分が霊界の住人であることを自覚するはずです。どう考えても、感覚知覚できない事柄(概念)を思考の中で知覚しているのですから。そして、その概念同士は思考世界(霊界)である特定の関係を保ちながら結びついているのです。たとえば、《二等辺三角形》と《等しい底角》という概念同士は一体です。
さて、思考が知覚であるなどと述べると「あれ?」と思われる人もいるでしょう。思考とは「自分で何か考え出す」ことと捉えられることが多いからです。しかし、それは事実ではありません。たとえば、数学の世界では「発見」はあっても「発明」はありません。ある定理を新たに見出すのであり、新たに作り出すのではないのです。
不完全な図を頼りに、霊界に存する完全な円を思考によって知覚し、そこにある事柄のつながりを見出しているのです。
この私たちが思考において、事情の概念同士の関係を知覚している、という点は、他の事柄でもまったく同じです。

■「コップは見えますか」

こんな質問を受けても、人は困惑するだけかもしれません。「コップなんて当たり前」と思っているからです。しかし、さらに質問を続けます。
「コップの大きさはどれくらいですか」
「コップの形はどうですか」
すると、コップが目に見える存在ではなくなることに気づくでしょう。もちろん、何らかの個別のコップは目に見えます。しかし、何をコップといい、何を言わないか、を吟味していくと、コップの概念が次第に明確になっていきます。
「コップとはガラスでできた器」とするなら、「それでは金魚鉢は?」と反論できます。ガラスでできた器であるにもかかわらず、コップとは思わないからです。こうしたことを考えていくと、コップという存在は、以下のような一種の概念コンプレックス(概念複合体)であると言えるでしょうし、これこそがコップのリアルな存在と思えるようになるはずです。そして、この概念コンプレックスから、水を飲むときのコップや、ビールを飲むときのコップなどを、状況に応じて発展させることができるのです。

概念コンプレックス

■理念こそ、シュタイナーの出発点

シュタイナーの考え方は、常にこの概念複合体コンプレックス、言い換えると存在の理念的本質が出発点です。それゆえ、音楽では「音の本質」が、絵画では「色彩の本質」が出発点となりますし、教育では「成長する子どもの本質」を見極める必要が、どうしてもあるのです。
表面ばかりを真似して、この本質について何も洞察していなければ、それはアントロポゾフィーとは全くの無関係です。

■霊界の諸性質

ここで、霊界の諸性質をまとめておきます。

  • 永遠なる世界である
  • 真と善からなる(美は含まれない)
  • 空間的に物質界と分かれているわけではない
  • とりあえずは思考によって、高次な領域には瞑想によって認識できる
  • 霊界の下層部分の認識は難しくはない
  • 霊界の下層部分には四大霊がある

2014年6月14日土曜日

さまざまな仲介をする《形象意識》

■形象意識

魂界での基本的な諸力は《共感》《反感》です。同様に、霊界での重要な視点は《意識状態》である、とシュタイナーは言っています。
私たちの通常の意識状態は《対象物意識》(覚醒意識)です。目覚めた状態で対象物を明確に知覚する意識です。これよりも鈍い意識に《形象意識》(夢意識)や《熟睡意識》などがあります。修行によって得られる高次の意識を除くと、以下の4つがあります。

  • 対象物意識(覚醒意識):思考:人間
  • 形象意識(夢的意識):感情:動物
  • 熟睡的意識:意志(代謝):植物
  • 熟睡よりさらに深い無意識:鉱物

これらはもちろん《目覚め度》の違いとして区別されますが、その他にも、周囲との(物質的)かかわりの深さも違っています。単純に言ってしまえば、「意識が目覚めているほど、周囲から物質的影響は受けない」という法則が成り立ちます。この点を理解していないと、たとえば『一般人間学』の第6講は読解不能です。ここでは、これらについて、例を挙げてまとめておきます。

対象物意識とは、私たちが普通の外界を知覚する場合に相当し、対象を明確に捉えますが、その対象から物質的影響を受けることはありません。いわば、「絵に描いた餅は明確に意識できても腹の足しにはならない」状態です。それに対し、熟睡的意識とは、たとえば私たちの消化活動で行なわれていることに相当します。消化管に入った食物のうち、今、餅が消化されているのか、海苔が消化されているのか、など意識されることはありません。このように、身体で起きている物質的活動は全く意識できませんが、物質的影響は非常に強く受け、実際、食べたもののエネルギーで活動ができます。「餅と海苔の消化の違いは意識できない」と表現できます。

■形象意識の例

その中間にあるのが《形象意識》で、これは夢の状態に相当します。

冷たいミルクを飲んで寝たときの夢
冷たいミルクを飲んで寝たときのことでした。そこで見た夢は、図のような感じで、落ちこぼれそうな物を一生懸命に抑えている夢です。これは、私の大腸から直腸にかけて起きている出来事を確実に反映していました。つまり、物質的にリアルな出来事が《形象》(像)として象徴的に表現されているのです。そして、身体的に同じ状態になったとしても、同じ夢を見るとは限りません。別な《形象》(像)である可能性もあります。それでも、その像は身体でのリアルな出来事を反映したものになるはずです。この状態をシュタイナーは《形象意識》と名付けました。

この夢の例では、身体の状態が《形象》に反映されていますが、重要なのは、この逆もあり得る、という点です。つまり、人がどのような形象を作り上げるかによって、身体形成に影響が生まれるのです。もちろん現代人では、こうした影響はすぐに意識出来るほどには強くはありませんが、子どもでは影響が顕著に見られる場合もあります。また、『神秘学概論』の中では、人類がまだ現在ほど固まっていなかった時代には、その人間が持つ形象がそのまま身体的な姿として現れた、とシュタイナーは言っています。あるいは、高次存在が人間に形象を与え、人間はそれに沿って身体を形成することもありました。

■現代人の勝手な形象は身体にも作用している

現代人ではこうした影響は少ないとは言え、皆無ではありません。年月の間に、内面の様子が姿形となって現れる場合があるのです。『一般人間学』第9講では、「舞踏会の婦人の区別がつかない」とか「工場から出てきた労働者が区別がつかない」といった例が出てきます。
現代人は、自由の名の下にどのような形象でも、自由に作り出しています。しかし、その代償は払っています。つまり、乱れた形象が身体に作用し、身体活動に乱れを生じさせているのです。もし人間が、霊的・宇宙的秩序にしたがった形象だけを紡ぎ出すとしたら、人間の身体活動に乱れを生じさせる要因はなくなりますし、それどころか、身体を益々強くしていく働きが生まれます。
「あなたは眠らないのですか」という問いに対しシュタイナーは「眠りません。一日に一時間ほど、何も考えない時間をとります」と答えたそうです(噂)。

■オーラも高次の形象意識で見ている

『神智学』にはオーラについての記述があります。

第二のオーラも非常に多様な色調を示す。誇りや野心といった強く発達した自我感情は、茶色かオレンジ色のかたちになって現れる。好奇心は赤黄の斑紋として現れる。明るい黄色は明晰な思考や知性を示し、生命や世界に対する理解は緑で示される。飲み込みの早い子どもは、オーラのこの部分に多くの緑を持っている。すぐれた記憶力は、このオーラで《緑黄》として現れる。バラ色は好意的で愛に満ちた叡智を示し、青は敬虔さの印である。敬虔さが宗教的な熱意に近づくと、青が紫に移行していく。高度な理解力を持ちあわせた理想主義や誠実な生き方は藍色に見える。

これは人間の魂の状態を、そのままの状態で知覚するのではなく、色という《形象》で見ています。ただ、その《形象》が夢の場合ではゆらぎが大きいのに対し、オーラでは形象から相手の状態が正確に分かる点が違っています。

■神秘修行は、《現実》と《形象》の関係を密にする練習

『いかにしてより高次世界の認識を獲得するか』には、たとえば「これから成長しゆくものと、これから衰えていくものとを観察し、そこに現れる感情の違いに注目する」という修行が紹介されています。これも、方向としては、「実際に起きている現象と、そこから自ずと生じる感情(像)とを結びつける」修行と言えるのです。
これを進めますと、凡人が見る身体状態の形象ではなく、高次の出来事の形象をも見るようになるのです。

2014年6月13日金曜日

共感と反感

■魂界の基本的力である共感と反感

『神智学』第3章(原文第10段落)には次のようにあります。魂界の基本力が共感と反感である、というのです。

物質界においては固体、液体、気体を区別できる。魂界での位置や方向を見い出すためには、それと似た意味で魂界の構成体を区別できなくてはいけない。そうした区別をつけるためには、特に重要な二つの基本的な力を知らなくてはならない。それらは共感と反感と呼ぶことができる。魂的構成体の種類は、内で作用するこの二つの基本的な力の状態で決まる。

■共感・反感は単に好き嫌いではない

ただこれは、単に「好き、嫌い」と解釈すると、訳がわからなくなります。たとえば、『一般人間学』第02講、第25 段落の次のような文章です。

宇宙の反感によって人間頭部が形成されたのです。人間が内に持つものに対し宇宙が言わば《吐き気》を催したときに、宇宙は頭部を押し出し、その結果この似姿ができたのです。

ですから、もっとユニヴァーサルな意味で、

  • 共感は一体になろうとすること
  • 反感は分離しようとすること

と性格付けることができますし、それを図示すると、次のように描くことができます。

 

image

■感情を共感、反感から考える

自分の中の共感反感、相手の共感反感、具体的現象としての共感反感の様子を考えると、それぞれの感情を性格付けることができます。

 

 

喜び

悲しみ

両者に共感がありながら、分離していく場合は「ロメオとジュリエット」型、赤マルの反感で離れていく場合は「If you go away」型と呼べます。

 

恐怖

 

■魂界の三態

最初に紹介した『神智学』では、魂界の様子をこの共感反感の作用の違いで、三つに分けています。

  • 魂界の大地  反感>共感…たとえば、好きな女の子に意地悪をする坊や
  • 魂界の水圏  反感=共感…知覚
  • 魂界の大気圏 反感<<共感

魂界の三態

2014年6月12日木曜日

2014年6月11日水曜日

分析的悟性と統合的理性

■認識のために必要な分析作業


このblogでも紹介している、ゲーテアヌムのステンドグラスの解説などには、方法論的に一つの特徴があります。つまり、次の2つのステップを踏むのです。

  1. 細部に分け、その細部をしっかりと意識化しながら、検討していく
  2. 細分化された部分を全体に統合していく

これは、シュタイナーの『ゲーテ的世界観の認識論要綱』(出版準備中)の第12章、「悟性と理性」で述べられている方法に従ったものです。つまり、はじめに悟性によって現象を分析します。ただ、これによってはじめにあった《調和》が失われますから、心情的にこれを嫌う人は少なくありません。「芸術を分析するなんて」とか「命は、分析してしまったら失われる」という感じ方です。こうした感じ方があることは、シュタイナーも認めていて、それが当然であるとも言っています。この段階では、実際に、本質から離れてしまっています。

■分解したものを統合する能力=理性


悟性による分析が嫌われる理由は、悟性によって分けられた諸要素を再び統合するための能力や方法が未熟で、再統合できないからです。なぜなら、この統合によって、私たちは本来の認識を深めることができますので、これを一度でも体験したら、認識活動の第一段階である「悟性による分析」も必要なものとして受け入れられるようになるからです。ただ、この再統合の能力、シュタイナーはそれを理性と呼びますが、これは現在の教育の中ではまったくと言っていいほど育てられていませんから、この理性によって認識を深める可能性も限られています。


悟性と理性_001

■シュタイナー学校での足し算


シュタイナー教育の授業法のノウハウの一つに、足し算を分割で学ぶやりかたがあります。5+3=を問うのではなく、12を分割する方法、つまり12=3+9等々を探してきます。これには「答えは一つじゃない」など、いくつものメリットがありますが、認識論的にも、この悟性による分割と理性による統合という関連を体験する第一歩にもなっています。
まず、全体である12が与えられます。この同じまとまりを、

  1. 全体をひと塊として数える
  2. 全体を2つ(あるいは数個)のグループに分けて数える

悟性と理性_003

上の二つのやり方で得られた結果は、元々同じまとまりを別な仕方で数えただけであるから、《等しい》とすることができる。

■(シュタイナー的意味での)理性を育てる方法

先に述べたように、分解された諸要素を統合する理性は、通常の教育の中で意識的に育てられることはありません。教師に統合的理性の能力が欠けていたら、生徒が教室でそれを身に着けるのは困難でしょう。状況はシュタイナー学校でも変わりません。ドイツでも日本でも、この能力を育てた先生は、残念ながら少数です。

■植物はよいお手本(自然は嘘をつかない)

練習問題としては、元々、統一的であるものを対象に選びます。たとえば、一種類の植物を観察すると、最も分かりやすいかもしれません。なぜなら、自然は叡智に満ち、嘘をつかず、私たちの期待を裏切らないからです。サクラ、タンポポ、モミジ、ドクダミ、ムラサキツユクサ、など、対象は何でもかまいません。

▲各部の様子を詳細に観察

植物を選んだら、その葉の形や色合い、花の形や色合い、さらには、花びら、おしべ、めしべの形状、植物全体の様子、等々を可能な限り、詳しく観察します。文化人類学的背景から創作されたファンタジーである『ゲド戦記』では、ゲドの魔法使い修行の一環として「薬草を、その生育場所、種から花までの姿などすべてを知る」というくだりが出てきます。一枚の葉であっても、縁のギザギザの形状、葉脈の様子、色つやなど、観るべき事柄はたくさんあります。

▲形態や色彩を内的に再構成

各部の様子をしっかり観察したら、これを内面で再構成してみます。モミジの葉を自分のイメージの中で再構成するのです。すると、はじめは《形》が気になりますが、しだいに《形》ではなく《動き》が感じ取れるようになります。

▲内的な《動き》に共通性がある

ここまでできたら、同じ植物の別な部分について、同じ認識作業を行います。たとえば、モミジの花を詳細に観て、その花を内的に再構成し、再構成に伴う内的な《動き》を見つけます。すると、葉で見つかった《動き》と、花で見つかった《動き》に、ある種の共通点が見つかります。さらに観察を深めていきますと、「モミジは○○の動きから形づくられている」という地点にまで到達します。これは「モミジの理念的な姿」と言えますし、分析的悟性によって分けられた各部が、再度、統一的に把握されるのです。

2014年6月10日火曜日

自我の由来と「私」という呼称

■パスポートによる身分証明

2014年4月、ブラジル国籍の女性が、元同級生になりすまし、その人物の名義でパスポートを正式に取得する、という事件がありました。偽造ではなく、虚偽の申請によって正式にパスポートが発行されたのです。社会的な意味で「私は私である」という身分証明は、免許証、保険証、パスポートなどで行なわれますが、これが真の本人確認ではありえない、という事実がこの事件で明らかになっています。言い換えると、パスポートの根拠となっているのは、誕生から現在までの物質的存在の一貫性と、外見の連続性と言えるでしょう。

■「私」という呼称

さて、「私は私である」体験は、外見などとは無関係な、内的な体験です。そして「私」という言葉には、非常に深い意味があります。『神智学』『神秘学概論』などを読みますと、シュタイナーは自我を性格付ける際に、この「私」という語の特別な点を取り上げています。この語は日常でも頻繁に使われ、当たり前の言葉ですが、その持つ真の意味は、徹底的に考え抜く必要があります。
シュタイナーは「私」という語が、内側からのみ響く唯一の言葉であることに私たちの注意を向けています。テーブルの上に花瓶があるとき、誰が「花瓶」という語を発しても、それは一つの花瓶を指します。しかし、「私」という語は、誰が発したかによって、指し示す対象が違います。私が言う「私」と相手が言う「私」は別人です。つまり、私を指す呼称として、「私」という語を外から聞くことはない、のです。
この「私」には重要な性質がいくつもありますが、ここではその一つを取り上げましょう。
事柄の多くは相対的に成り立っています。たとえば、「右」という語は「左」を前提にしています。あるいは、「親」という語は「子」を前提にします。こうした様々な語の中で、相対的に成り立つ、言い換えると他者との関係で成り立つのではなく、絶対的に成り立つ、つまりその一語だけで存立しうる語はあるでしょうか。お察しの通り、とりあえず一語はあるはずだと思います。このように、「私」という語が指し示す存在、つまり人間の自我は、他者との関係がなくとも、絶対的存在として、人間が持つ基盤です。そしてこれは、生成消滅とも無関係で、永遠なる存在、霊的存在です。この由来の違いを図示すると、次のようになります。
人間の自我
さて、私たちは、通常、自分の肉体も「私」と感じていて、「(私は)お腹が減った」というような言い方をします。日本語では主語を省略することが多いですが。しかし、より正確に言うなら、奇妙な表現ですが、「私の肉体はお腹が減ったと感じている」となるでしょう。つまり、本来、物質的由来ではない「私」が空腹になるはずはないのです。しかし、「私はお腹が減った」と表現するのは、「私」が次第に物質と同化しているからだ、とは言えないでしょうか。

■「私」への道

私たちは「物質的肉体とは由来の違う私の真の姿」はなかなか自覚しません。それを少しずつ自覚していくのが人生なのかもしれない、と思われるくらい、自覚への歩みはゆっくりです。日常の中で、「私」という語を使える人なら、霊的自我の種火は授かっています。しかし、その真の姿、十全たる姿を見出すには、それを行なおうとする意志と、かなりの自己修練が必要です。そして、それを見つける道がアントロポゾフィーです。この十全たる自我の体験は、音におけるオクターヴ体験と関係します。また、オイリュトミーの「私は話を考える」の最後に「私は、霊、そして私への道の途上にある」という言葉があります。私たちはまだまだ途上です。上から(霊から)の光に、自らが完全に満たされたとき、私に到る道を歩み通すのでしょう。

■「私」が宿る瞬間の絵画表現

ところで、人間の魂が霊的なもの(自我)を受け取る体験を絵で表現するとしたら、どんな風になるか、想像できますか?
また、シュタイナーはそれをどのように表現しているでしょうか。