2015年2月1日日曜日

『一般人間学』レーバー要約、第13講、解説

元シュツットガルト・シュタイナー教員養成ゼミナール長、シュテファン・レーバー先生による要約

■ 導入:洞察を活動に応用する(1)

これまでの講演で、人間と外界との関係について洞察され、得られたことは実践に応用されるべきであろう。

■ 人間の中の霊的・魂的な流れ(2)

頭部と四肢のつくりは違っている。 :頭部は内側から押し広げるように、四肢は外から内に向けて押しつけるように形成される。しかし、どちらの場合も根底にあるのは、人間全体を貫く霊的・魂的な流れである。そうした流れは手のひらや足の裏を通して身体の外から中へ入り込み、額の部分を内から外に押しているし、それは《内的人間的なもの》として現れている。

■ 霊的・魂的なもの:内側でせき止められ-外から吸う(3~9)

▲身体は霊的・魂的なもののせき止め装置、そしてそれに吸い取られる(3)

霊的・魂的なものは本来何の抵抗もなく人間を通り抜けようとするが、人間はあたかも堤防の役割を果たし、それをせき止めている。また、霊的・魂的なものは外的肉体的な人間を絶えず吸い取っている。

▲破壊と構築。胸部・腹部系の持つバランスを取る役割(4)

霊的・魂的なものが外側から人間を吸い込み、破壊しようとしている。外側に向けて出続ける垢はその結果である。胸部・腹部系は身体構築の役割を果たし、人間を物質的に満たす。そしてそれによって破壊との間のバランスを保つことができる。それがなかったら、四肢は物質的に存在することができない。四肢は本来、霊的特性を持つ。四肢を動かすと、外界の霊が身体的にそれを食い潰していくので、それに対し常に物質的にバランスを取る必要があるのである。

▲過剰な物質としての脂肪(4~5)

胸部・腹部系が四肢で物質素材を多く作りすぎそれが壊されないと、霊的・魂的なものを含まない物質である脂肪が蓄積される。脂肪は霊的・魂的なものにとっては障害物となり、頭部への流れに負担がかかることになる。そして頭部が空になる。それ故、特に子どもでは強すぎる脂肪プロセスを防ぐことが重要である。そうでないと、宇宙的プロセスの活動が少なくなってしてしまう。

▲神経の発生と血液の運搬機能(6)

人間の頭部では霊的・魂的なものがせき止められ、そこで跳ね返される。それによって脳に物質が沈殿する。それゆえ生きた組織である神経に死んだ物質が生じる。霊的・魂的なものは神経系に沿って人間内を通っていくが、それは崩壊していく物質が必要だからである。

▲霊的・魂的なものが人間内でどのように働くか。三通りの霊概念(7~9)

霊的・魂的なものは人間中では三通りに働いている。そして、生きた生体に対する関係と、物質的な死んだものに対する関係は異なる。生きたものは霊的・魂的なものにとって密で不透明なもので、それを止めてしまう。死んだものは、光にとっての透明ガラスのようにそれを通す。血液と神経の対極性はこのように特徴づけられる。-命ある生体的なものをきっかけに霊が働き、それによってフォルムができ、生体が形を持つ。

■ 身体的労働と霊的労働(10~17)

▲外からの霊、内からの霊-ある逆説(10)

肉体的に働くとき、人間は完全に霊の中で泳いでいる。精神的(霊的)労働の場合は逆に、内側で霊とかかわり、身体はこの活動の道具になっている。そのことは身体での諸プロセスに現れている。こうして一つの逆説が生じる。肉体的労働は人間にとって霊的であり、霊的(精神的)労働は人間内で体的である。

▲肉体的労働、疲労と眠り(11)

過度な肉体労働によって、人間は、外からやって来る霊に洗われ、その霊とあまりに強く類縁関係を持つようになる。人間は霊に圧倒され、それに服従せざるをえず、長く眠る。また眠りすぎると胸部・腹部系が強く刺激されすぎ、人間は熱くなる。

▲意味のない行為と意味のある行為。体操とオイリュトミー(12~13)

怠け者であっても、一日中手足を何らかの形で活動させている。しかし、行為に意味がなく、それゆえ意味のある行為よりも多くの眠りをそそることになる。意味のある行為では、私たちは霊を内に取り込む。その霊と意識を持った状態で協働し、睡眠中の無意識的作用をあまり必要としなくなる。 意味のない活動では、動きが身体の要求にしたがっているだけである。意味のある活動とは、周囲の求めに応じた行為である。この相違は教育的に重要である。こうした違いは、たとえば純粋に生理学的な体操(スポーツ)とオイリュトミーの違いとして見られる。しかし、一方だけが正しいと言っているのではなく、両者のリズミカルな振れが望ましい。 過度なスポーツ活動は、実践的なダーウィニズムである。これによって人間を家畜的な感じ方をする存在へと引き落とそうとしている。 この事柄は、これだけラジカルな言い方をする必要があり、また教師はこの関係性を理解している必要がある。なぜなら、社会的にも働きかけなくてはならないからである。

▲霊(精神)的活動と眠り(14)

精神的な仕事では、必ず生命的物質の破壊が伴う。しかし、それが行き過ぎると眠りを妨げる。しかし、読書や講座でも、内容を本当に考え、感じ取りながらたどろうとしても、それが非常に不慣れで大きな努力を必要とするような思考作業だと私たちは眠り込む。

▲《すべてを関連の中で考えなくてはならない》(15~17)

内的な死滅プロセスに対抗するひとつの可能性がある。対象に意識を向け、関心を持つことで、それをよく観ることや考えることの中に感情が付け加わり、それによって胸部が生き生きと活動するようになり、物質が命あるものに保たれ、睡眠に対する影響も少なくなる。 試験の準備では対象に関心を持たずに多くの事柄を覚え込まなくてはならない。これによって内的営みが無秩序になっていく。それゆえ、子どもに対する試験は止める方が望ましい。これは一つの理想なので、急ぎすぎないこと。社会状況を変えるためには、人間が別様な考え方を身につけたときである。 命の諸現象を考察するときには、関連性を忘れてはいけない。教育的、社会的、衛生学的な革新を目指す標語は以下である。外に向かっては仕事を霊化し、内に向かっては知的仕事に血を通わせること!

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