2015年2月1日日曜日

『一般人間学』レーバー要約、第01講、解説

元シュツットガルト・シュタイナー教員養成ゼミナール長、シュテファン・レーバー先生による要約

■ 基礎づけ:霊界とのつながりは新たな教育の前提条件(1~2)

▲《主知的・感情的とモラル的・霊的》-物質主義と霊学(1)

開校に当たっての祝祭的な言葉の後シュタイナーがまず語ったのは、これから成されようとしていることが、どれほど偉大な関連の中にあるのか、ということだった。そこでの課題は、単に《主知的・感情的》なものではなく、最高度の意味で《モラル的・霊的》なものである。つまり、共に活動している人間が単に物質界に生き、働いていると理解するのではなく、霊的諸力からの委託を受けた人々であると理解することを意味している。イマギナチオーン的、インスピラチオーン的、イントゥイチオーン的に個々人の背後に居るとされる霊的諸力とのつながりをつくる。(このあとシュタイナーは教師のためのマントラを与えた。シュタイナーの意向により、記載はされず、口伝されてきた。)

▲《世界秩序の祝祭的行為》(2)

学校設立とは《世界秩序の祝祭的行為》と見なされなくてはならない。これもまた善き霊がエミール・モルト氏に学校設立という考えを抱くようにすることで、霊的世界で準備された。ルドルフ・シュタイナーの謝辞はこの導きの時代霊に対して向けられていた。

■ 第五文化期の教育課題:物質主義とエゴイズムの克服(3~9)

▲時代の状況と時代からの要求(3~6)

序曲の後、教育的課題について検討される。そうした課題とは時代毎に異なっている。そして、現在の課題もしだいに意識の前に明らかになっている。意識魂の時代、第五文化期での課題は、それ以前の文化期の課題とは違うのである。未だに、過去のものが支配的ではあるにせよ。新たに必要とされる事柄に対して物質主義は目を曇らせる。その結果として、シュタイナー学校に通おうとする生徒であっても、間違った教育をすでに受けてしまっているのである。こうした場合、初めからバランスを取ること、改善することが問題になる。この目標に向かって、未来の教師は全員この新たな教育的課題と意識を持って取り組まなくてはならない。

▲現代の底流であるエゴイズム(7~8)

現代文化は精神生活に至るまでエゴイズムを基礎に築き上げられている。そのエゴイズムの一つとして、死後も自我を保ち続けようとする人間的衝動がある。宗教において人間の不死性ばかり偏って見ていて、誕生前のことを無視するとき、まさにこれは人間のエゴイズムにアピールしていることになる。生活のあらゆる部分でこうしたアピールと闘っていかなくてはならない。なぜなら、それは人類を後退させるものだからである。それができるのは、人間の誕生前に目を向けるときである。人間は誕生前に長い間、成長発達している。その結果、霊的な世界で〈死に〉別な存在形式を持たなくてはならない、という衝動を持つ地点にまで至る。つまり、さらにエーテル体と肉体を纏おうとする衝動である。このように、地上的人生とは、人間がそこから由来する霊的な営みの継続なのである。したがってこの地上での教育とは、誕生前に霊的存在が行っていたことの継続なのである。このように洞察することで、教育者に正しい雰囲気が生まれる。

▲誕生前教育?(9)

誕生前教育という問題は抽象的で何も掴むことができない。具体的に考えると、誕生前の人間はより高次の存在たちの庇護の元にあった。妊娠中の母親がモラル的にそして知的に《正しく》生活していると、そのこと自体が胎児に働きかける。教育は誕生後に始まる。つまり、産声と共に地上的世界の秩序の中に入ってきたときに、始まるのである。

■ 霊・魂と身体の結びつきとしての誕生(10~12)

▲霊・魂と身体との結合(10~12)

霊界から物質界に移るにあたって二組の三体が統合しなくてはならない。つまり:霊人、生命霊、霊我の側と意識魂、悟性・感情魂、知覚魂(感受魂)の側である。

誕生前の人間とはこのように形成された霊魂である。そして、生活の場である高次の領域から地上的存在へと向かって来る。そして、この霊魂は、地上でさらなる三体つまりアストラル体、エーテル体、肉体からなる身体と出会う。これらの霊・魂・体ははじめ母体内にあり、やがて物質界に生まれ鉱物、植物、動物の三界と結びつく。はじめはきちんと結びついていない霊魂と身体を調和させることが教育の課題になる。

■ 二つの教育的課題:呼吸を教えることと睡眠を教えること(13~18)

▲呼吸、および人間と外界の関係(13)

その課題をより具体的に言えば、外界との正しい関係を作り出すことであり、その中で最も重要なのが呼吸である。母体内での呼吸はまだ準備段階で、それは誕生と共に始まり、ただちに三層構造的人間全体とかかわる。

▲呼吸と代謝作用(14)

血液循環と呼吸は外界から取り込まれた物質を身体全体に運ぶ。つまり、呼吸は代謝系とも関係している。

▲呼吸と神経感覚系の営み(15)

一方で呼吸は神経感覚系とも密接に関連している。つまり、吸気では脳水が圧迫され、呼気では下に下がる。そのため、呼吸は人間と外界を仲介している。それでも、呼吸と神経感覚系の調和を作ることはその先の課題である。

▲呼吸の営みと発達(16)

子どもはまだ、神経感覚系の営みを維持していくような形で呼吸することはできない。別な言い方をすれば、呼吸と神経感覚系がきちんと調和したときに初めて、霊魂は子どもの地上的営みの中に入り込んでくることができるのである。したがって、教育の課題とは子どもが正しく呼吸できるように教えることなのである。

▲睡眠と覚醒の交代(17)

具体的課題の二つ目は睡眠と覚醒の交代と関係している。外的に見れば子どもはほぼすべての時間眠っている。しかし睡眠と覚醒の内側にあるものはまだきちんとできていません。つまり、地上界で体験した事柄を霊的世界に持ち込むことができない。大人の場合は地上での体験を霊界に持ち込むとそこでそれが変容され、さらにその結果が再び地上に持ち込まれる。私たちは子どものために霊界から何かを持ってきてやることはできない。地上界での体験を霊界に持ち込んでいかれるように助けてやることしかできない。そうしたときに初めて、霊界から力が流れ込んでくるのである。

▲呼吸と眠りについてのまとめ(18)

正しい呼吸を教えること、睡眠と覚醒の正しい交代を教えることが最も重要な課題である。教育者、授業者として行うことすべてについて、それが霊魂と身体の結びつきを促すものか抑えるものかを意識していなくてはならない。

■ 教師の自己教育(19)

▲教師の自己教育(19)

教師は、行ったことを通して子どもに働きかけるだけではなく、それよりはむしろ、彼がどんな人間であるかによって働きかける。つまり、人間性が問題なのであって、教育的手法に長けているか否かがそれ以上に重要なのではない。どのような人間もそうであるが、教師のあり方を決める主要因は、どのような考え方を育て、身につけているか、なのである。呼吸とか、睡眠覚醒の交代といった宇宙的な関連を考えている人はそうでない人とは違ってくる。なぜなら、そうした考えを持っていると、容易に陥りやすい単なる個人的霊性を抑えることができるからである。

こうした個人的霊性が解消したときにはじめて、生徒と教師の正しい関係が作り出される。経験的には、悪ふざけをしたり教師を笑いものにしたりなど、〈正しい関係〉と矛盾することがたくさんあるが、そんなものは気にかける必要はない。教師は、こうした抵抗にめげずに、生徒との望むべき関係を作り出さなくてはならない。そしてこれは、教師が自分自身の側から行うことによって成し遂げられる。自分自身をどのような種類の考えで満たしているか、と授業中に子どもの身体と魂で起こるべきことの関係を認識すると、霊魂と身体の正しい結びつきをもたらすように働きかけるようになる。
この第一講は大切な基本モチーフが現れる一種の序曲となっている。本来の意味での教育的人間学は次の講演から始まり、発展していく。

0 件のコメント:

コメントを投稿