2019年10月6日日曜日

『魂の暦』第27週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第27週、朗読に不向きな翻訳


復活祭後;第27週
1912年10月6日~10月12日

In meines Wesens Tiefen dringen:
  私の本性の深みに入り込む:(主語未記載)
Erregt ein ahnungsvolles Sehnen,
  予感に満ちたある憧れを活性化する、(上とは別の主語で未記載)
Daß ich mich selbstbetrachtend finde,
  (2行目のための主語)私が自己観察しつつ自分を見出す
Als Sommersonnengabe, die als Keim
  夏の太陽の贈り物として、それは芽として
In Herbstesstimmung wärmend lebt
  秋の雰囲気の中で温めつつ生きている
Als meiner Seele Kräftetrieb.
  (また)私の魂における諸力の伸び芽として。

文法的には謎です。1行目は命令形ではありませんし、コロン(:)で終わっています。そして動詞 dringenに対する複数形であるはずの主語がありません。
万全の自信を持って言えるわけではありませんが、その未記載の主語を私は前の週の言葉から探します。すると複数形の名詞は「私の霊的な伸びる芽」だけです。それが私の本性の奥底に入り込むことによって、憧れが掻き立てられると解釈しておきます。

2行目はerregtという他動詞で始まるものの、ここでも主語がありませんし、それは単数でなくてはなりませんので、一行目とは別な主語です。はた氏と鳥山氏は「憧れ」Sehnenを主語と見て、4行目以下の内容が私の内に生じてくると解釈されています。
私の解釈では、2行目は仮の主語として用いられるesが省略され、Daßで始まる4行目以降の内容が実質上の主語になると解釈しています。
「憧れ」Sehnenとは、求める対象が曖昧な言葉です。場合によっては、自分が何に憧れているのかも知らずに欠乏感だけを感じることすらあります。それに対し、4行目以降の内容はかなり具体的です。ですので、その内容を憧れと考えますと「憧れが具体的な内容を持つ」という矛盾に陥ります。その点、私の解釈ですと、文法的には確証はありませんが、秋の雰囲気における具体的な状況が何を求めるかもわからない憧れを刺激していることになります。

この時期に自己観察をすると、自身が夏の太陽からの贈り物であり、それがさまざまな可能性を担っていることを感じとるのです。まだ何になるかはわからずとも。そうした「不特定感」は「〇〇として」という意味の als を3回も使用することで表現されているのかもしれません。

「伸び芽」と訳したTriebは、第26週では霊的なものでしが。それが第27週ではより人間に近づき魂的なものになっています。人間は夏の力をますます内面化していきます。

「憧れ」という感情について補足しておきます。日本語ですと「実現はほぼ不可能だけれども、それを知りつつ望んでいる状態」と言えるでしょう。ですので、特定のスターに憧れることも可能です。ドイツ語も似たニュアンスですが、意味が多少違い自分が望んでいる対象が定まらない感じです。自分以外の何か、現状以外の何かを希求しているものの、それが何であるかもわからない状態です。『霊的実相から観た宇宙進化』の第4講でルドルフ・シュタイナーは1811年に自殺しているハインリッヒ・フォン・クライストについて「このように満たされぬ憧れを持った精神も現代の霊学と精力的に取り組んだなら魂の充足が得られていたでしょう」と述べています。クライストは100年後に生じてくるものに、それが何であるかも知らずに「憧れて」いたのです。

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