2019年10月26日土曜日

『魂の暦』第30週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第30週、朗読に不向きな翻訳

復活祭後;第30週
1912年10月27日~11月2日

Es sprießen mir im Seelensonnenlicht
  魂の太陽の光の中で 私にそれ(2行目)が芽吹く
Des Denkens reife Früchte,
  思考の熟した成果が、
In Selbstbewußtseins Sicherheit
  自己意識の確実さの中で
Verwandelt alles Fühlen sich,
  すべてが感情へと変容していく、
Empfinden kann ich freudevoll
  喜びに満ちて私は感受することができる
Des Herbstes Geistes Wachen:
  秋の霊の目覚めを:
Der Winter wird in mir
  冬は私の中で
Den Seelensommer wecken.
  魂の夏を目覚めさせるだろう。

4つの文からなるこの週の骨組みは、
  私に成果が芽吹く
  すべてが感情に変容する
  霊の目覚めを感受できる
  冬が魂の夏を目覚めさせる
となります。そこに修飾語がからんできます。

さて、前の週で思考が現れ、そこでの熟した成果が魂の太陽の中で伸びていくとあります。春における植物の芽生えと対称をなす内面での発芽と成長です。
3、4行目は、すべてが感情へと変容するとあり、しかもそれがクリアな自己意識の中で行われます。
思考、感情と並んだ後で、「感受」つまり、何かを感じ取る領域について述べています。ただ、「思考」「感情」が名詞で表現されたのに対し、「感受」は動詞です。名詞による表現は、事実描写的な印象を与えるのに対し、動詞での表現は「私」がそのことの主体であることがより明確になります。
そして最後に未来形の wird で表現される冬への展望が述べられています。
およそこのような内容であるものの、詳しく見ていくと解釈に戸惑う部分もあります。それは1行目のmir(私に)です。in mir という表現であれば「私の中で」という意味で内容的にも矛盾なく理解できます。ところが「in」はなく、単に「mir」(私に)なのです。動詞がsprießen(伸びる)なので、「私に向かって伸びてくる」という解釈の可能性も捨てきれません。したがってここではとりあえず、「私の中で」と「私に向かって」の両者のニュアンスがあると考えていただくしかありません。

2019年10月20日日曜日

『魂の暦』第29週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第29週、朗読に不向きな翻訳

1912年10月20日~10月26日

Sich selbst des Denkens Leuchten
  思考の照射がそれ自体で
Im Innern kraftvoll zu entfachen,
  内において力強く点火すること、
Erlebtes sinnvoll deutend
  体験したものを(下行から)有意義に意味付けつつ
Aus Weltengeistes Kräftequell,
  世界霊の諸力の源から、
Ist mir nun Sommererbe,
  (冒頭2行は)今や私には夏の遺産
Ist Herbstesruhe und auch Winterhoffnung.
  秋の平安、そして冬の希望でもある

第29週でいよいよ「思考」が登場します。思考の照射がいわば自然点火するのです。内面において、しかも力強く。
ここで、他の訳者は思考に「輝き」という訳語を加えています。それに対し私が「照射」としたのは、leuchtenという語のニュアンスが、「それ自身が光ること」よりも「他者が照らし出されること」に重きがあるからです。ですからたとえば、太陽はleuchten しますが、星はしません。

次には、「体験したことを、宇宙霊の諸力の源から有意義に意味付ける」と表現されています。夏の一つ一つの出来事は、すべて宇宙霊による創造活動の結果です。そして、私たちはそれを経験してきています。とりあえずは、感覚知覚でしかありませんが、その背景には宇宙霊の活動があります。そうした霊的な意味づけを体験した事柄について行なう季節に入って行きます。過去としての夏、平安の中で思考する秋、そして次への準備に入る冬というかたちで。

2019年10月13日日曜日

『魂の暦』第28週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第28週、朗読に不向きな翻訳

1912年10月13日~10月19日

Ich kann im Innern neu belebt
  内面が新たに活性化され私にはできる
Erfühlen eignen Wesens Weiten
  自らの本性の広がりを感じることが
Und krafterfüllt Gedankenstrahlen
  そして力に満たされた(下行からの)考えの放射を
Aus Seelensonnenmacht
  魂の太陽の力からの
Den Lebensrätseln lösend spenden,
  命の謎を解きつつ捧げることが、
Erfüllung manchem Wunsche leihen,
  多くの望みに成就を与えることが、
Dem Hoffnung schon die Schwingen lähmte.
  その望みにおいて希望は既に翼を麻痺させていた。

内に力を感じ始め、ここでは三つのことができると描写されています。
自らの本性の広がりを感じる
考えの放射を捧げること
望みを成就させること
1. では外の世界ではなく内なる世界の広がりを自覚することがわかります。
2. の「考えの放射」は少しわかりにくい概念です。私が「考え」と訳した原語はGedankenで、以前にも書きましたが、「考える」という動詞 denken の過去分詞形から作られた名詞です。これを高橋氏は「思想」、はた氏と鳥山氏は「思考」と訳しています。
しかし、ルドルフ・シュタイナーが言うGedankenはもっと大きな意味で、「宇宙の設計思想」+「宇宙構築力」と考えても大げさではありません。人間はこれを思考(denken)によって捉えるにしろ、それは影的になり「宇宙構築力」は失われ、「宇宙の設計思想」だけになっています。
しかし、第28週での考えの放射の威力は宇宙的「考え」と人間的「考え」の中間くらいかもしれません。なぜならそれが「魂の太陽の力」から来ているからです。この「魂の太陽」という表現がその微妙さの現れです。人間の考え(Gedanken)が単に影ではなく力を持ち始めるとしたら、それは人間が創造的になったときだけです。
そして、3. では希望を失いかけていた願いを成就させていくことができると述べられています。

2019年10月6日日曜日

『魂の暦』第27週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第27週、朗読に不向きな翻訳


復活祭後;第27週
1912年10月6日~10月12日

In meines Wesens Tiefen dringen:
  私の本性の深みに入り込む:(主語未記載)
Erregt ein ahnungsvolles Sehnen,
  予感に満ちたある憧れを活性化する、(上とは別の主語で未記載)
Daß ich mich selbstbetrachtend finde,
  (2行目のための主語)私が自己観察しつつ自分を見出す
Als Sommersonnengabe, die als Keim
  夏の太陽の贈り物として、それは芽として
In Herbstesstimmung wärmend lebt
  秋の雰囲気の中で温めつつ生きている
Als meiner Seele Kräftetrieb.
  (また)私の魂における諸力の伸び芽として。

文法的には謎です。1行目は命令形ではありませんし、コロン(:)で終わっています。そして動詞 dringenに対する複数形であるはずの主語がありません。
万全の自信を持って言えるわけではありませんが、その未記載の主語を私は前の週の言葉から探します。すると複数形の名詞は「私の霊的な伸びる芽」だけです。それが私の本性の奥底に入り込むことによって、憧れが掻き立てられると解釈しておきます。

2行目はerregtという他動詞で始まるものの、ここでも主語がありませんし、それは単数でなくてはなりませんので、一行目とは別な主語です。はた氏と鳥山氏は「憧れ」Sehnenを主語と見て、4行目以下の内容が私の内に生じてくると解釈されています。
私の解釈では、2行目は仮の主語として用いられるesが省略され、Daßで始まる4行目以降の内容が実質上の主語になると解釈しています。
「憧れ」Sehnenとは、求める対象が曖昧な言葉です。場合によっては、自分が何に憧れているのかも知らずに欠乏感だけを感じることすらあります。それに対し、4行目以降の内容はかなり具体的です。ですので、その内容を憧れと考えますと「憧れが具体的な内容を持つ」という矛盾に陥ります。その点、私の解釈ですと、文法的には確証はありませんが、秋の雰囲気における具体的な状況が何を求めるかもわからない憧れを刺激していることになります。

この時期に自己観察をすると、自身が夏の太陽からの贈り物であり、それがさまざまな可能性を担っていることを感じとるのです。まだ何になるかはわからずとも。そうした「不特定感」は「〇〇として」という意味の als を3回も使用することで表現されているのかもしれません。

「伸び芽」と訳したTriebは、第26週では霊的なものでしが。それが第27週ではより人間に近づき魂的なものになっています。人間は夏の力をますます内面化していきます。

「憧れ」という感情について補足しておきます。日本語ですと「実現はほぼ不可能だけれども、それを知りつつ望んでいる状態」と言えるでしょう。ですので、特定のスターに憧れることも可能です。ドイツ語も似たニュアンスですが、意味が多少違い自分が望んでいる対象が定まらない感じです。自分以外の何か、現状以外の何かを希求しているものの、それが何であるかもわからない状態です。『霊的実相から観た宇宙進化』の第4講でルドルフ・シュタイナーは1811年に自殺しているハインリッヒ・フォン・クライストについて「このように満たされぬ憧れを持った精神も現代の霊学と精力的に取り組んだなら魂の充足が得られていたでしょう」と述べています。クライストは100年後に生じてくるものに、それが何であるかも知らずに「憧れて」いたのです。