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2020年3月29日日曜日

『魂の暦』第52週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第52週、朗読に不向きな翻訳

1913年3月30日~

Wenn aus den Seelentiefen
  魂深から
Der Geist sich wendet zu dem Weltensein
  霊が世界存在へと自らを向けるとき
Und Schönheit quillt aus Raumesweiten,
  そして美自体が空間的広がりから溢れ出るとき、
Dann zieht aus Himmelsfernen
  そのとき天遠方から入り込む
Des Lebens Kraft in Menschenleiber
  命の力が人間身体の中に
Und einet, machtvoll wirkend,
  そして一体にする、 威力豊に作用しつつ、
Des Geistes Wesen mit dem Menschensein.
  霊の本質を人間存在と。

2つの条件が満たされたときと、2つの事柄が「命の力」によって成就するという構造になっています。
その条件とは、「魂の深みから霊(あるいは、霊そのもの)が世界存在へと自らを向ける」と「美自体が空間的広がりから溢れ出るとき」です。
そこで成就されることは「人間身体に命の力が天遠方から引き込んでくること」であり、もう一つは「命の力が威力豊かに作用しつつ、霊の本質と人間存在とを一体にする」のです。

語順を変えて意味をより明確にしておきます。

魂深から、霊が世界存在へと自らを向けるとき
そして美自体が空間的広がりから溢れ出るとき、
そのとき命の力が、天遠方から人間身体の中に入り込み
そして 威力豊に作用しつつ、霊の本質を人間存在とを一体にする。

2020年3月22日日曜日

『魂の暦』第51週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第51週、朗読に不向きな翻訳
1913年3月23日~3月29日

Ins Innere des Menschenwesens
  人間存在の内側へと
Ergießt der Sinne Reichtum sich,
  感覚知覚の豊かさが注ぎ込まれる、
Es findet sich der Weltengeist
  世界霊は自らを見出す
Im Spiegelbild des Menschenauges,
  人間眼という鏡像の中に、
Das seine Kraft aus ihm
  その人間眼は自分の力を世界霊から
Sich neu erschaffen muß.
  新しく創造する必要がある。


1,2行目では、感覚界の事柄が人間の本質に流れ込みます。つまり、春になりさまざまな自然現象が人間の眼前に展開していきます。
ところが3、4行目では世界霊の側からの事柄が述べられます。人間の眼に世界霊が自らの鏡像を見出すというのです。そして、5、6行目はその人間の眼を説明します。眼は世界霊からその力を新たに創造する必要があると。つまり、感覚知覚の側から受け取るだけでなく、力を新たに創造する必要がありますし、そのためには世界霊とつながらなくてはなりません。その力は世界霊が与えてくれるものではないのです。

2020年3月15日日曜日

『魂の暦』第50週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第50週、朗読に不向きな翻訳
1913年3月16日~3月22日

Es spricht zum Menschen-Ich,
  それが人間-自我に語りかける、
Sich machtvoll offenbarend
  自らを威力豊かに開示しつつ
Und seines Wesens Kräfte lösend,
  その(自我の)本質の諸力を解放しつつ、
Des Weltendaseins Werdelust:
  世界存在の生成快が:
In dich mein Leben tragend
  お前(自我)の中に私の命を受け担うことで
Aus seinem Zauberbanne,
  その(自我の)魔法的呪縛から(離れ)、
Erreiche ich mein wahres Ziel.
  私は私の真の目標に到達する。

全体の主語は4行目の生成快(Werdelust、生成することの喜び)です。それが人間自我に語りかけますが、その状況を「自らを威力豊かに開示しつつ」と「その本質の諸力を開放しつつ」の二通りで修飾します。
そして5から7行目は「生成快」が語る内容で、その中心は「私は私の真の目標に到達する」で、そこに付帯的に「自我の魔法的呪縛から離れ、自我の中に生成快の命を担いつつ」がそれを修飾します。
語順を変えて整理するとおよそ次のようになります。

世界存在の生成快が、
自我の本質の諸力を解放しつつ、
自らを威力豊かに開示しつつ、
人間-自我に語りかける:
「自我の魔法的呪縛から離れ、
 お前(自我)の中に私の命を受け担うことで
 私は私の真の目標に到達する」と。


2020年3月8日日曜日

『魂の暦』第49週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第49週、朗読に不向きな翻訳
復活祭後;第49週
1913年3月9日~3月15日

Ich fühle Kraft des Weltenseins:
  私は世界存在の力を感じる:
So spricht Gedankenklarheit,
  思想明晰性がそう語る、
Gedekend eignen Geistes Wachsen
  自らの霊の成長を(下行で)思いつつ
In finstern Weltennächten
  暗闇の世界夜の中で
Und neigt dem nahen Weltentage
  そして近づいた世界昼に傾ける
Des Innern Hoffungsstrahlen.
  内なる希望放射を。

1行目は思想明晰性によって語られる内容で「私は世界存在の力を感じる」とあります。ここでの「力」は行使される力(Kraft)であり、存在としての力(Macht)ではありません。春になって世界存在が種々の存在物を生成していく力そのものを感じとります。
訳者はGedankenを一貫して、世界生成の設計図であると共に世界生成の原動力と考え、そのように訳してきました。そしてここでは、Gedankenklarheit と Klarheit(明晰さ)という語と熟語にされています。ですので、世界生成の設計図と原動力という中でも、設計図に重点が置かれた表現だと考えます。そうした設計図が「世界存在の力」を感じ取るというのですから、存在への原動力が高まっていることがわかります。しかも過ぎゆく「世界夜の中での自らの霊の成長をいわば振り返っています。そして近い未来、つまり世界昼に向けては、内なる希望放射を向けていきます。

「私は世界存在の力を感じる」と、
思想明晰性が、
暗闇の世界夜の中での自らの霊の成長を思いつつ
語る、
そして近づいた世界昼に、内なる希望放射を傾ける。

2019年11月2日土曜日

『魂の暦』第31週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第31週、朗読に不向きな翻訳
1912年11月3日~11月9日

Das Licht aus Geistestiefen,
  霊の深みからの光が
Nach außen strebt es sonnenhaft.
  外に向かって太陽のごとくに力を出そうとする
Es wird zur Lebenswillenskraft
  それ(光)は生命の意志の力となる
Und leuchtet in der Sinne Dumpfheit,
  そして感覚というボンヤリとしたもののなかで照らす、
Um Kräfte zu entbinden,
  それは諸力を解き放すためであり、
Die Schaffensmächte aus Seelentrieben
  その諸力とは、魂の伸び枝からの創造の威力を
Im Menschenwerke reifen lassen.
  人間の業績の中で成熟へともたらす。

冬が近づき外の世界が暗くなるにつれて、内面の光はますます強くなり、外にすら向かい始めます。また、内側では「思考」「感情」に続き「意志」にまで、つまりより深くにまで内面の光が作用します。ルドルフ・シュタイナーは後に『一般人間学』の中で、「感覚」や「感受」は認識の領域に属するのではなく、意志の領域に属すると言っています。したがって、「感覚というボンヤリとしたもの」への作用も意志領域への働きかけとみなすことができます。
しかし、この詩の中でのその後の展開はやや複雑ですので、骨組みだけを取り出しましょう。
●骨組み
  諸力を解放するために感覚を照らし出します。
  その諸力が創造の威力を成熟へともたらします。
●「創造の威力」の説明
  魂の伸び枝から生じていて、人間の業績の中で成熟する
このように見ますと、2文からなるこの詩の主語は文法的にも、内容的にも非常に明確な Das Licht(光)であるのに対し、その光が作用を及ぼす意志領域では表現も錯綜したものになっています。

2019年10月26日土曜日

『魂の暦』第30週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第30週、朗読に不向きな翻訳

復活祭後;第30週
1912年10月27日~11月2日

Es sprießen mir im Seelensonnenlicht
  魂の太陽の光の中で 私にそれ(2行目)が芽吹く
Des Denkens reife Früchte,
  思考の熟した成果が、
In Selbstbewußtseins Sicherheit
  自己意識の確実さの中で
Verwandelt alles Fühlen sich,
  すべてが感情へと変容していく、
Empfinden kann ich freudevoll
  喜びに満ちて私は感受することができる
Des Herbstes Geistes Wachen:
  秋の霊の目覚めを:
Der Winter wird in mir
  冬は私の中で
Den Seelensommer wecken.
  魂の夏を目覚めさせるだろう。

4つの文からなるこの週の骨組みは、
  私に成果が芽吹く
  すべてが感情に変容する
  霊の目覚めを感受できる
  冬が魂の夏を目覚めさせる
となります。そこに修飾語がからんできます。

さて、前の週で思考が現れ、そこでの熟した成果が魂の太陽の中で伸びていくとあります。春における植物の芽生えと対称をなす内面での発芽と成長です。
3、4行目は、すべてが感情へと変容するとあり、しかもそれがクリアな自己意識の中で行われます。
思考、感情と並んだ後で、「感受」つまり、何かを感じ取る領域について述べています。ただ、「思考」「感情」が名詞で表現されたのに対し、「感受」は動詞です。名詞による表現は、事実描写的な印象を与えるのに対し、動詞での表現は「私」がそのことの主体であることがより明確になります。
そして最後に未来形の wird で表現される冬への展望が述べられています。
およそこのような内容であるものの、詳しく見ていくと解釈に戸惑う部分もあります。それは1行目のmir(私に)です。in mir という表現であれば「私の中で」という意味で内容的にも矛盾なく理解できます。ところが「in」はなく、単に「mir」(私に)なのです。動詞がsprießen(伸びる)なので、「私に向かって伸びてくる」という解釈の可能性も捨てきれません。したがってここではとりあえず、「私の中で」と「私に向かって」の両者のニュアンスがあると考えていただくしかありません。

2019年10月20日日曜日

『魂の暦』第29週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第29週、朗読に不向きな翻訳

1912年10月20日~10月26日

Sich selbst des Denkens Leuchten
  思考の照射がそれ自体で
Im Innern kraftvoll zu entfachen,
  内において力強く点火すること、
Erlebtes sinnvoll deutend
  体験したものを(下行から)有意義に意味付けつつ
Aus Weltengeistes Kräftequell,
  世界霊の諸力の源から、
Ist mir nun Sommererbe,
  (冒頭2行は)今や私には夏の遺産
Ist Herbstesruhe und auch Winterhoffnung.
  秋の平安、そして冬の希望でもある

第29週でいよいよ「思考」が登場します。思考の照射がいわば自然点火するのです。内面において、しかも力強く。
ここで、他の訳者は思考に「輝き」という訳語を加えています。それに対し私が「照射」としたのは、leuchtenという語のニュアンスが、「それ自身が光ること」よりも「他者が照らし出されること」に重きがあるからです。ですからたとえば、太陽はleuchten しますが、星はしません。

次には、「体験したことを、宇宙霊の諸力の源から有意義に意味付ける」と表現されています。夏の一つ一つの出来事は、すべて宇宙霊による創造活動の結果です。そして、私たちはそれを経験してきています。とりあえずは、感覚知覚でしかありませんが、その背景には宇宙霊の活動があります。そうした霊的な意味づけを体験した事柄について行なう季節に入って行きます。過去としての夏、平安の中で思考する秋、そして次への準備に入る冬というかたちで。

2019年10月13日日曜日

『魂の暦』第28週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第28週、朗読に不向きな翻訳

1912年10月13日~10月19日

Ich kann im Innern neu belebt
  内面が新たに活性化され私にはできる
Erfühlen eignen Wesens Weiten
  自らの本性の広がりを感じることが
Und krafterfüllt Gedankenstrahlen
  そして力に満たされた(下行からの)考えの放射を
Aus Seelensonnenmacht
  魂の太陽の力からの
Den Lebensrätseln lösend spenden,
  命の謎を解きつつ捧げることが、
Erfüllung manchem Wunsche leihen,
  多くの望みに成就を与えることが、
Dem Hoffnung schon die Schwingen lähmte.
  その望みにおいて希望は既に翼を麻痺させていた。

内に力を感じ始め、ここでは三つのことができると描写されています。
自らの本性の広がりを感じる
考えの放射を捧げること
望みを成就させること
1. では外の世界ではなく内なる世界の広がりを自覚することがわかります。
2. の「考えの放射」は少しわかりにくい概念です。私が「考え」と訳した原語はGedankenで、以前にも書きましたが、「考える」という動詞 denken の過去分詞形から作られた名詞です。これを高橋氏は「思想」、はた氏と鳥山氏は「思考」と訳しています。
しかし、ルドルフ・シュタイナーが言うGedankenはもっと大きな意味で、「宇宙の設計思想」+「宇宙構築力」と考えても大げさではありません。人間はこれを思考(denken)によって捉えるにしろ、それは影的になり「宇宙構築力」は失われ、「宇宙の設計思想」だけになっています。
しかし、第28週での考えの放射の威力は宇宙的「考え」と人間的「考え」の中間くらいかもしれません。なぜならそれが「魂の太陽の力」から来ているからです。この「魂の太陽」という表現がその微妙さの現れです。人間の考え(Gedanken)が単に影ではなく力を持ち始めるとしたら、それは人間が創造的になったときだけです。
そして、3. では希望を失いかけていた願いを成就させていくことができると述べられています。

2019年10月6日日曜日

『魂の暦』第27週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第27週、朗読に不向きな翻訳

秋
復活祭後;第27週
1912年10月6日~10月12日

In meines Wesens Tiefen dringen:
  私の本性の深みに入り込む:(主語未記載)
Erregt ein ahnungsvolles Sehnen,
  予感に満ちたある憧れを活性化する、(上とは別の主語で未記載)
Daß ich mich selbstbetrachtend finde,
  (2行目のための主語)私が自己観察しつつ自分を見出す
Als Sommersonnengabe, die als Keim
  夏の太陽の贈り物として、それは芽として
In Herbstesstimmung wärmend lebt
  秋の雰囲気の中で温めつつ生きている
Als meiner Seele Kräftetrieb.
  (また)私の魂における諸力の伸び芽として。

文法的には謎です。1行目は命令形ではありませんし、コロン(:)で終わっています。そして動詞 dringenに対する複数形であるはずの主語がありません。
万全の自信を持って言えるわけではありませんが、その未記載の主語を私は前の週の言葉から探します。すると複数形の名詞は「私の霊的な伸びる芽」だけです。それが私の本性の奥底に入り込むことによって、憧れが掻き立てられると解釈しておきます。

2行目はerregtという他動詞で始まるものの、ここでも主語がありませんし、それは単数でなくてはなりませんので、一行目とは別な主語です。はた氏と鳥山氏は「憧れ」Sehnenを主語と見て、4行目以下の内容が私の内に生じてくると解釈されています。
私の解釈では、2行目は仮の主語として用いられるesが省略され、Daßで始まる4行目以降の内容が実質上の主語になると解釈しています。
「憧れ」Sehnenとは、求める対象が曖昧な言葉です。場合によっては、自分が何に憧れているのかも知らずに欠乏感だけを感じることすらあります。それに対し、4行目以降の内容はかなり具体的です。ですので、その内容を憧れと考えますと「憧れが具体的な内容を持つ」という矛盾に陥ります。その点、私の解釈ですと、文法的には確証はありませんが、秋の雰囲気における具体的な状況が何を求めるかもわからない憧れを刺激していることになります。

この時期に自己観察をすると、自身が夏の太陽からの贈り物であり、それがさまざまな可能性を担っていることを感じとるのです。まだ何になるかはわからずとも。そうした「不特定感」は「〇〇として」という意味の als を3回も使用することで表現されているのかもしれません。

「伸び芽」と訳したTriebは、第26週では霊的なものでしが。それが第27週ではより人間に近づき魂的なものになっています。人間は夏の力をますます内面化していきます。

「憧れ」という感情について補足しておきます。日本語ですと「実現はほぼ不可能だけれども、それを知りつつ望んでいる状態」と言えるでしょう。ですので、特定のスターに憧れることも可能です。ドイツ語も似たニュアンスですが、意味が多少違い自分が望んでいる対象が定まらない感じです。自分以外の何か、現状以外の何かを希求しているものの、それが何であるかもわからない状態です。『霊的実相から観た宇宙進化』の第4講でルドルフ・シュタイナーは1811年に自殺しているハインリッヒ・フォン・クライストについて「このように満たされぬ憧れを持った精神も現代の霊学と精力的に取り組んだなら魂の充足が得られていたでしょう」と述べています。クライストは100年後に生じてくるものに、それが何であるかも知らずに「憧れて」いたのです。

2019年6月16日日曜日

『魂の暦』第10週、朗読に不向きな翻訳

1912年6月9日~6月15日


Zu sommerlichen Höhen
  夏の高みへ向かって
Erhebt der Sonne leuchtend Wesen sich;
  太陽という輝き出る存在が自らをもたげる
Es nimmt mein menschlich Fühlen
  その輝く存在は私の人間的感情を
In seine Raumesweiten mit,
  その輝く存在の空間の彼方に持ち出す
Erahnend regt im Innern sich
  ぼんやり予感しつつ、内側では活発化する
Empfindung, dumpf mir kündend,
  感受が、私にぼんやりこう告げつつ、
Erkennen wirst du einst:
  やがてお前は認識する:
Dich fühlte jetzt ein Gotteswesen.
  今、ひとつの神存在がお前を感じ取ったことを

  夏至に向かうこの時期における人間の感情、感受、予感、認識といった諸活動の関係が示されています。 まず、感情ははるか彼方にまで持ち出されてしまいます。旅行への憧れが強くなるのも、世界が明るくなっていくことと無関係ではないでしょう。とにかく「遠くへ」憧れるのです。 ところが、人間の内面ではその対極とも言うべきことが起きています。感受、つまり何らかの印象を受け取る働きが活発になります。しかし感受は、思考はおろか感情ほどにも目覚めてはおらず、非常にぼんやりとした意識状態でしかありません。 ここで使われている erahnen は ahnen=予感するの類義語ですけれど、ahnenよりさらにぼんやりとしたニュアンスです。 しかしそのぼんやりとした意識において私に次のように告げられます。「やがてお前は認識する」と。 そして、その認識する内容が変わっています。「今、ひとつの神存在がお前を感じ取った」というのです。 やがて認識する、というのが未来形、感じ取ったが過去形で明確に表現されています。


2019年6月12日水曜日

『魂の暦』第09週、朗読に不向きな翻訳

1912年6月2日~6月8日



Vergessend meine Willenseigenheit,
  私の意志の固有性を忘れつつ
Erfüllet Weltenwärme sommerkünded
  世界の熱が夏を告げつつ私を満たす
Mir Geist und Seelenwesen;
  霊と魂存在で;
Im Licht mich zu verlieren
  光の中で私を失うように
Gebietet mir das Geistesschauen,
  霊的観照は私に強く要求し、
Und kraftvoll kündet Ahnung mir:
  そして予感は力強く私に伝える;
Verliere dich,um dich zu finden.
  「汝自身を見出すために、汝を失え」

第一行の「 meine Willenseigenheit=私の意志の固有性」から謎めいた表現です。意志には個的な部分と個を超えた部分があり、その個的な部分は忘れると私は解釈したいです。そして、世界の熱が私に、物質的な部分ではなく、霊と魂存在を満たすというのです。
さて、熱についてシュタイナーが語っている講演『霊的実相から見た宇宙進化』があります。感覚界の背景には霊的な実相があり、熱や光の実相が何であるかを述べています。たとえば熱の霊的な実相は、土星紀におけるトローネのケルビームへの供犠であると述べています。第3位階のトローネが自らのすべてをケルビームに捧げることから意志の熱が生まれ、さらには感覚知覚できる熱が生じたと言います。
また、その体験へ到る道筋では、自分をなげうち、すべてを捨てる勇気が必要だと述べています。そしていわば無になり、いわば自分が細い棒のようになったと感じるまでになります。するとその後で、自分が温かさに包まれ、それを勇気の海のように感じるといいます。この第9週の「失うことで得る」というモチーフは、どこかそうした熱体験、トローネ体験に通じるものがないでしょうか。
また、「光の中で自分自身を失うように」という部分で、熱から光への橋渡しが暗示されます。元素(エレメント)領域とエーテル領域を連続で考えると、地水風火より上にあるエーテル領域では、熱エーテル、光エーテル、化学エーテル、生命エーテルといった領域があります。つまり、光エーテルは熱エーテルの一つ上の領域です。人間はそこに昇って自らを失うことが暗示されています。
熱、光、予感の3段階で、自分を捨てる覚悟が求められます。

2019年6月9日日曜日

『魂の暦』第08週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第08週、朗読に不向きな翻訳


1912年5月26日~6月1日

Es wächst der Sinne Macht
  感覚の威力が増大する
Im Bunde mit der Götter Schaffen,
  神々の創造とのつながりにおいて
Sie drückt des Denkens Kraft
  感覚の威力は思考の力を押し込め
Zur Traumes Dumpfheit mir herab.
  私において、夢のおぼろさに落とし込む
Wenn göttlich Wesen
  神的存在が
Sich meiner Seele einen will,
  私の魂と一体とならんとするなら、
Muß menschlich Denken
  人間的思考は
Im Traumessein sich still bescheiden.
  夢的状態(夢存在)の中で静かに自らを慎まなくてはならない。

復活祭からの第8週目の日曜日はキリスト教ではペンテコステ=聖霊降臨祭(Wiki)です。
そこでは「精霊が炎のかたちとなって」使徒たち降りてきます。その精霊降臨祭の日曜日から始まる週の『魂のこよみ』で主に登場概念は、感覚と思考そして私の魂に結びつこうとする神的存在です。神的存在の方から私の魂に結びつこうとするモチーフはまさに聖霊降臨的です。
感覚の方は、神々の創造と結びつきつつ、その威力=Machtを増します。そして、この感覚の威力は思考を夢のぼんやりした状態に落とします。これは一見ネガティヴにも思えますけれど、思考がそうした状態になることには高次の意味があることが最後に述べられます。つまり、現状の人間では神的存在と出会う際には、明晰な思考を保つことはできず、夢状態で出会わざるを得ないのです。つまり高次な霊的体験は、そうした夢的意識状態、言い換えると形象意識でのみ可能なのです。
=======================
ここで、「存在」と訳している2つの語について説明します。
一つは今週の5行目にも出てきている「Wesen」で、これは「本質」と訳されることもあります。もう一つは「Sein」で、これも「存在」と訳されますし、私もそう訳しています。この週では「Traumessein」つまり Traum+sein というシュタイナーの造語による熟語で登場します。
WesenとSeinの違いはおよそ次のように考えてください。
 Wesen = 主として理念的な意味での存在
 Sein = 主として感覚的な意味での存在。
    あるいは、「それが存在する」というニュアンスです。
    今週の文脈では「夢的状態にある」という語感です。
どちらにも「主として」と付記したのは、曖昧な部分もあるからです。

2019年6月2日日曜日

『魂の暦』第07週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第07週、朗読に不向きな翻訳

復活祭後;第07週(早めに準備、旅行中)

1912年5月19日~25日
Mein Selbst,es drohet zu entfliehen,
   私の自分、それが霧消へと迫られる、
Vom Weltenlichte mächtig angezogen;
   世界の光によって圧倒的に魅了されつつ;
Nun trete du mein Ahnen
   そこで現れよ、私の予感よ
In deine Rechte kräftig ein,
   お前の正当性において力強く、
Ersetze mir des Denkens Macht,
   私において思考の威力に置き換われ、
Das in der Sinne Schein
   その思考は感覚の仮象の中で
Sich selbst verlieren will.
   自分自身を失おうとしている。

前の週では、復活した「自分=Selbst」と真理を開示する「世界=Welt」が提示されました。今週はその両者で生じたせめぎあいが冒頭の2行で表現されています。そして、そこでは「自分」は「世界の光」に圧倒されます。
そうした状況で、「予感」に呼びかけ、その登場を促すという予想もしない展開になります。その予感に期待するのは、思考の威力=Machtに置き換わることです。
その思考は、本来なら仮象である感覚知覚の背後で働く実相に迫る役割を担うはずであるのに、溢れ来る感覚知覚にいわば圧倒され、自分自身を失おうとしているからです。
第04週では、感受が思考に明晰さへ向けて温かさを贈りました。そうした温かさは思考に力を与えるもののまだ潜在的であり、明晰さには至っていないのでしょう。
人生の中には、最高次の思考によっ

6行目の Schein を私は「仮象」と訳しましたが、「輝き」の意味もあり、いわば掛詞になっています。
前出(第02週)の説明の繰り返し:
ここで「威力」と訳したMachtは、「力=Kraft」とはニュアンスが違います。威圧感を感じる存在と出会ったときなどに、その相手に「Macht」を感じると言います。また、Kraft は物理学で使われますが、Machtは使われません。

2019年5月26日日曜日

『魂の暦』第06週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第06週、朗読に不向きな翻訳



復活祭後;第06週

1912年5月12日~18日
Es ist erstanden aus der Eigenheit
   それは固有性から復活し終えた
Mein Selbst und findet sich
   私の自分が、そしてその自分は自らを見出す
Als Weltenoffenbarung
   世界の開示として
In Zeit- und Raumeskräften;
   時間と空間の諸力の中で;
Die Welt, sie zeigt mir überall
   世界、それは私にいたる所で示す
Als göttlich Urbild
   神的な原像として
Des eignen Abbilds Wahrheit.
   固有の似像の真理を。

前半の中心は「私の自分」です。その「自分」が「固有性」から復活し、また自身を世界の開示であると知るわけです。
ここで使われている Eigenheit や Selbst は地上的な狭い自分を現す際に使われることが多い単語です。そして、この週ではそのSelbst=自分がその固有性をいわば克服するのです。そしてその地上的な意味でのSelbst=自分を、「時間と空間の諸力の中で」つまり地上的環境の中で、世界の開示として再発見するのです。
ゲーテがファウストのほぼ最後で述べた「移ろいゆくものはすべて喩えに過ぎない」という一言に表現されているように、感覚界のすべては霊的なものの喩えです。その意味で、地上的なSelbst=自分を「世界の開示」として再発見するのです。
私にはこの「世界の開示」という表現も重要と思われます。本来の世界開示の行為者は高次存在、あるいは神です。その世界開示のプロセスの似像に自分が相当することがわかる、という可能性が読み取れるからです。そのことは、この開示が単に「時間と空間の中で」行われるのではなく、「時間と空間の諸力の中で」行われる点にも現れています。
別な言葉で言うと、
「人間は神の似像」と言うだけでなく、
さらに「諸力を操り創造する人間は創造する神の似像」
なのです。

後半の3行はDie Welt=世界についての描写です。この文は完全な文にはなっていません。「世界」と言った後でそれを関係代名詞で受けて、その世界について説明しているだけです。つまり、従文節はあるのに主文節がありません。その世界が私に「神的な原像として、固有の似像の真理を」示すというのです。
まず私に与えられているのは「似像」です。そして、その元となる真理が私に示されます。真理とは「一なるもの」であるにしろ、その表現は多様でありえます。たとえば「愛」という理念が個別なケースでは違った姿で現れうることを思い出してみてください。つまり、具体化したものはすべてその人に固有の「似像」にすぎません。しかし、その似像の真の姿、つまり原像を世界が示してくれるのです。しかも、その原像は神によるものです。

2019年5月19日日曜日

『魂の暦』第05週、朗読に不向きな翻訳


復活祭後;第05週

1912年5月5日~5月11日
Im Lichte, das aus Geistestiefen
     光の中で、その光とは霊の深みからのもので
Im Raume fruchtbar webend
     空間の中で実り豊かに織りなしつつ
     (前版の「揺れ動きは誤訳)
Der Götter Schaffen offebart:
     神々による創造を開示する:
In ihm erscheint der Seele Wesen
     その光の中で魂の本質が現れ
Geweitet zu dem Weltensein
     世界存在へと広がった
Und auferstanden
     そして復活した
Aus enger Selbstheit Innenmacht.
     狭き自分性という内的力から

第4週では感受が主役で、そこに光が一体化すると表現されていました。この第5週はそうした光が中心になって詩が展開します。そこでの中心テーマは「光の中に魂の本質が現れる」点で、そこにさまざまな状況が加わります。
前半3行では、この光の様子が次のように表現されます。
  1. 霊の深みに由来する
  2. 空間を実り豊かに織りなす
  3. 神々の創造を開示する

1.からは、この光が霊的な光であることが示唆されます。
そして、2.では実り豊かな作用をおよぼしますので、物理的な意味での光でもあるでしょう。光が植物の成長を促す力を持っていることを思い起こさせます。
3.では、この光によって神々の創造が開示されるとあります。これには二重の意味を感じます。まず、光によって森羅万象が目に見えるようになりますから、「光によって被造物が開示する」というイメージです。しかし、それだけではなくさらに深い意味も考えられます。つまり「霊的な光によって神々の創造行為そのもの」が開示するのです。
被造物だけでなく、創造が開示される。

後半ではこの霊の深みから発した光に、魂の本質が現れます。「開示」に比べ「現れる」は軽い表現で、さらっとそこに出てくる感じです。その魂の本質については次の2つのことが語られます。
  1. 世界存在へと広がること
  2. 復活したこと

1.では、魂の本質がこの春の光に満ちた季節に、地上世界の隅々に広がっていくというイメージはすぐにつくれるかもしれません。しかし、それだけの意味ではなく、地上世界の他に霊的世界をも含んでいるように思われます。その根拠は次行と関係します。
2.の「復活」は auferstanden と表現されています。これは非常に強い表現で、主にキリストの復活で用いられます。つまり、キリストの復活に準えるかたちで魂の本質が狭き自分性から復活するというのです。そしてキリストの復活では、キリストが地上だけでなく、霊界にも光をもたらしています。それゆえ前行で魂の本質が広がり向かう世界存在とは、地上世界を意味するのではなく、霊的世界も含むはずです。
ここで「狭き」と先の「広がる」が対比されていて、光の中で息づく魂の様子が感じられます。

5行目をはたりえこ氏が「宇宙的な存在へと聖化され」としている部分は、geweitet=広がったを geweiht(weihen=聖化する、の過去分詞形)と勘違いしたための単純な誤訳と思われます。

「weben」を「beben」と勘違いした誤訳を木村美雪さんにご指摘いただきました。

2019年5月12日日曜日

『魂の暦』第48週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第48週、朗読に不向きな翻訳
1913年3月2日~3月8日

Im Lichte, das aus Weltenhöhen
  光の中で、 その光は世界高みから
Der Seele machtvoll fliessen will,
  魂に威力十分に流れ込まんとする、
Erscheine, lösend Seelenrätsel,
  魂的謎を解きつつ、現れよ
Des Weltendenkens Sicherheit,
  世界思考という確実さが、
Versammelnd seiner Strahlen Macht,
  世界思考の放射の威力を集めつつ、
Im Menschenherzen Leibe weckend.
  人的心の中に愛を目覚めさせつつ。

骨組みに当たる主たる文に挿入的内容が組み込まれています。それについてのシュタイナーの意図まではつかめません。
骨組みは「光の中に、確実さが、現われよ」です。
その「光」は「世界の高みから、魂に威力十分に流れ込まんとする(光)」によって修飾されますし、「現れよ」には「魂的謎を解きつつ」が付帯し、「確実さ」を「世界思想という」が修飾します。
終わりの2行もそれぞれ修飾句で、時間的、空間的、論理的な関連性を示すことなく、単に状況が併記される印象があります。冒頭の「光の中で」はこの詩全体につながるので、「世界思考の放射の威力を集めつつ」も「人的心の中に愛を目覚めさせつつ」もこの光の中で行われると捉えられます。

意味のつながりを重視して語順を入れ替えると、次のようになります。

世界の高みから魂に威力十分に流れ込まんとする光の中に、
魂的謎を解きつつ、
世界思考という確実さが現れよ、
世界思考の放射の威力を集めつつ、
人的心の中に愛を目覚めさせつつ。

『魂の暦』第47週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第47週、朗読に不向きな翻訳

1913年2月23日~3月1日

Es will erstehen aus dem Weltenschosse,
  世界母膝から発生しようとしている、
Den Sinnenschein erquickend, Werdelust.
  感覚仮象をリフレッシュさせつつ、生成快が。
Sie finde meines Denkens Kraft
  生成快は私の思考の力を見出す
Gerüstet durch die Gotteskräfte,
  神諸力によって内支えされているのを、
Die kräftig mir im Innern leben.
  そしてその神諸力は私において内側で力強く生きている。

最初の2行の主役は「生成快」です。これは私の「快」ではなく、何かが出来上がっていくこと自体の快感と言えるでしょう。そして、この季節からは生成快がますます活発になっていきます。それがまさに世界=外界から生まれ出ようとしていて、さらには種々の感覚界の物体=仮象をリフレッシュさせていきます。
さらにはその生成快に思考の力が出会うように促します。そしてその私の思考の力は、私の中に力強く生きている神諸力によって内支えされているのです。また、そうした支えがあるのは、冬の内的な体験があってこそです。

意味に着目して語順を変えてみましょう。

 生成快が、感覚仮象をリフレッシュさせつつ、
 世界母膝から発生しようとしている。
 生成快は
 私の内側で力強く生きている神諸力によって
 私の思考の力が内支えされているのを見出す。

『魂の暦』第46週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第46週、朗読に不向きな翻訳
1913年2月16日~2月22日

Die Welt, sie drohet zu betäuben
  世界、それは(2行目)を麻痺させようと脅かす
Der Seele eingebor'ne Kraft;
  魂に生まれた力を;
Nun trete du, Erinnerung,
  ここで現れ出よ、記憶よ、
Aus Geistestiefen leuchtend auf
  霊深から照らしつつ
Und stärke mir das Schauen,
  そして私を観ることにおいて強めよ、
Das nur durch Willenskräfte
  その観ることとは意志諸力によってのみ
Sich selbst erhalten kann.
  自身を保つことができる。

この第46週では内と外とで一種の緊張関係が生じます。外界である世界が魂に生まれた力を麻痺させようと脅かすというのです。外界では春先の花が咲き始め、人間は外界にばかり気が向くようになる可能性があります。それが度を過ぎますと、内からの力が圧倒されてしまいます。
そこで記憶を召喚します。霊深から上がってきて内的に明るさをもたらすことを願います。そして「観ること」を強めることを期待します。これは内的支えがないと、どうしても外界に引っ張られ、「目を奪われる」状態になりがちなのです。そうではなく、外界を観つつも、そこでの生成に参与する力を持たなくてはなりません。そしてそれは意志の力によってのみ行うことができるのです。

『魂の暦』第45週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第45週、朗読に不向きな翻訳
1913年2月9日~2月15日

Es festigt sich Gedankenmacht
  思考結果威力は確かなものとなる
Im Bunde mit der Geistgeburt,
  霊誕生との結合において、
Sie hellt der Sinne dumpfe Reize
  思考結果威力は感覚のぼんやりとした刺激を明るくする
Zur vollen Klarheit auf.
  まったき明晰さへと。
Wenn Seelenfülle
  もし魂的湧出が
Sich mit dem Weltenwerden einen will,
  世界生成と一体にならんとするなら、
Muß Sinnesoffenbarung
  感覚開示は
Des Denkens Licht empfangen.
  思考の光を受け取らなくてはならない

またもや「思考結果威力」などというとんでもない日本語で始まります。何回も述べますが、この「思考結果」というのは人間の思考の結果だけではありません。精神界そのものが考え出した結果、つまり森羅万象の諸法則であり、ここではその森羅万象を実現する威力の方にフォーカスされています。この思考結果に存する威力は宇宙思考においては非常に明確ではあるものの、人間ではその存在を自覚すらしていない人がほとんどです。それでも、霊誕生とのつながりでそれが確実なものになります。

3、4行目ではその思考結果威力がぼんやりとした感覚刺激を完全な明晰さにもたらします。そもそも感覚刺激の側からは諸法則といった霊的なものはまったく伝わってきません。その意味で「ぼんやり」していますし、けっしてそれ自体で明晰になることはありません。明晰さを得るには思考の側からの働きかけが不可欠です。霊の側から生じた思考結果威力には前にも述べたように森羅万象の法則性も含まれますから、外界から受け取った感覚刺激を適切に意味付けることができるのです。

4行目から8行目ではまた別な側面が語られます。世界創造には人間の参与が不可欠ですし、そのためには人間の魂的活動が必要になります。しかし、この活動も闇雲なものであっては無意味です。世界創造、世界生成と一体となり、それに資するように働かなくてはなりません。ちょうどゲーテが実際の植物を観ながら、形成法則に従ったかたちで内的に植物を形成したように、感覚に開示するもののなかから法則的なものを思考の力によって取り出さなくてはなりません。

『魂の暦』第44週、朗読に不向きな翻訳

『魂の暦』第44週、朗読に不向きな翻訳
1913年2月2日~2月8日

Ergreifend neue Sinnesreize
  新たな感覚刺激を掴み取りつつ
Erfüllet Seelenklarheit,
  魂的明晰さが(最終行の創造意志に)満たされよ、
Eingedenk vollzogner Geistgeburt,
  成し遂げられた霊誕生を思い、
Verwirrend sprossend Weltenwerden
  もつれながら世界生成が伸びつつ
Mit meines Denkens Schöpferwillen.
  私の思考の創造意志によって(満たされよ@2行目)。

第31週ではぼんやりとしたものになり、37週には闇となった「感覚」が42週で開示へと向かい、44週では「感覚刺激」として人間に作用し、人間はそれを掴み取ります。第2行目から5行目の文の骨格は、「魂的明晰さが私の思考の創造意志に満たされよ」です。そしてこの部分にはルドルフ・シュタイナーの認識と危機感が現れています。現代人は自然界における創造を「自然が行っている他人事」と感じ、せいぜいそれを研究対象として認識しようとするくらいです。しかしルドルフ・シュタイナーはそうした自然創造に人間が参与しているし、そこに人間が力を注ぐ必要があると認識していました。現代人はすでに内的に自然と分離してしまっています。その点についての認識を改め、世界創造に寄与していく気概が求められています。