1912年6月9日~6月15日
Zu sommerlichen Höhen
夏の高みへ向かって
Erhebt der Sonne leuchtend Wesen sich;
太陽という輝き出る存在が自らをもたげる
Es nimmt mein menschlich Fühlen
その輝く存在は私の人間的感情を
In seine Raumesweiten mit,
その輝く存在の空間の彼方に持ち出す
Erahnend regt im Innern sich
ぼんやり予感しつつ、内側では活発化する
Empfindung, dumpf mir kündend,
感受が、私にぼんやりこう告げつつ、
Erkennen wirst du einst:
やがてお前は認識する:
Dich fühlte jetzt ein Gotteswesen.
今、ひとつの神存在がお前を感じ取ったことを
夏至に向かうこの時期における人間の感情、感受、予感、認識といった諸活動の関係が示されています。
まず、感情ははるか彼方にまで持ち出されてしまいます。旅行への憧れが強くなるのも、世界が明るくなっていくことと無関係ではないでしょう。とにかく「遠くへ」憧れるのです。
ところが、人間の内面ではその対極とも言うべきことが起きています。感受、つまり何らかの印象を受け取る働きが活発になります。しかし感受は、思考はおろか感情ほどにも目覚めてはおらず、非常にぼんやりとした意識状態でしかありません。
ここで使われている erahnen は ahnen=予感するの類義語ですけれど、ahnenよりさらにぼんやりとしたニュアンスです。
しかしそのぼんやりとした意識において私に次のように告げられます。「やがてお前は認識する」と。
そして、その認識する内容が変わっています。「今、ひとつの神存在がお前を感じ取った」というのです。
やがて認識する、というのが未来形、感じ取ったが過去形で明確に表現されています。
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