2016年2月7日日曜日

《感受》の意味

■元のドイツ語

感受=Empfndung の訳語です。

■《知覚》との違い

日本語ではなじみのない表現ですが、知覚にかかわることをより精密に描写するために、訳語として導入しています。
シュタイナーが「感覚知覚」について述べるときには、

  • Empfindung(エンプフィンドゥング)と
  • Wahrnehmen(ヴァール・ネーメン)の

二つを使います。

Empfindungは感受
Wahrnehmenは知覚、つまり、Wahr=真実、nehmen=取る、「真実として取る」という意味です。

ドイツでの《感受》の典型的な用例としては、春先にくしゃみが止まらなくなった人が、「私は花粉に感受的になっている」といったものがあります。
この場合、身体は花粉に反応しいていますが、花粉の存在を意識的に知覚してはいません。

ですので、

  • 《感受》=無意識な体的プロセス
  • 《知覚》=感受されたものが意識化されるプロセス

というニュアンスで捉えることができます。

ただし、シュタイナーも常に厳密に区別して使っているわけではありませんので、常に文脈から理解する必要があります。

また、感受と知覚の違いは『一般人間学』第07講では重要で、シュタイナーは「感受は思考的要素ではなく、意志的要素」と語っています。

■感受魂

『神智学』や『神秘学概論』では、人間は体、魂、霊の3つに分けられ、それぞれがさらに3つずつに分けられることが述べられている。その中で、人間の魂には3つの構成要素があり、その中で感覚的物質界に向かって開いているのが感受魂である。
また、霊界に向けての窓口となっているのが意識魂、見たこと感じたことに沿って考える部分を悟性魂と呼んでいる。

2016年2月2日火曜日

炭素についてのゲーテ自然科学的考察、『農業講座』第3講、第10段落以降

炭素は自然界におけるフォルム形成の担い手

炭素についてシュタイナーは「自然界におけるフォルム形成プロセスの担い手である」と言っている。この点は、炭を見れば簡単に納得できる。木材などを炭にすると、そこには完全な《フォルム》が残る。

竹炭に保存される細部の構造


維管束の構造がそのまま炭に繁栄されている


炭にフォルムが残る理由

植物はセルロースやリグニンなどでその形を保つが、そうした素材は「炭水化物」と呼ばれる。その基本ユニットであるブドウ糖の化学式はC6H12O6で、炭素を水化した素材と言える。この炭水化物を燃焼ではなく加熱すると、全体としては蒸発せずに焦げ、炭化する。分子内の《水》が蒸発するのである。
セルロースの分子構造


デンプン(アミロース)の分子構造

ご飯を炊く様子を思い起こしてみる。
1.    米と水とを同時に加熱する。
2.    水がしだいに蒸発して少なくなり、同時に米のデンプンが変化する(お粥、あるいは固いお粥)。
3.    さらに加熱していくとご飯の周囲にある水がほぼなくなる。(炊けたご飯)。
4.    さらに加熱すると、ご飯の内部の水分も蒸発する。(干からびたご飯)。
5.    さらに加熱すると、デンプン内の酸素原子と水素原子が水となって蒸発していく。(焦げ)。
6.    十分に加熱すると、デンプン内から酸素原子と水素原子が完全に失われる。(炭化)。
しかし、ここでもフォルムは保たれる。まさに「フォルム形成の担い手」なのである。
こうしたことがおきるのは、炭素の昇華点が3642と非常に高いからである。
余談:炭素が液化するには高温高圧が必要で、地上では液化することはない。

人間のフォルム

人間の姿については常識的な考え方がある。つまり、骨格があり、そこに筋肉や脂肪が付き、それを皮膚が覆って人間の姿になっているというイメージである。
しかし、アントロポゾフィーでは異なった観方をするし、私はそちらの方が正しいと考えている。つまり、「人間の姿はまず熱で作られる」のである。つまり、固いものが柔らかいものの形を決めるのではなく、柔らかいものが形をつくり、それが次第に硬化していく。
例としては、子どもの骨格形成を挙げられる。幼児においては骨格はまだ十分には硬化しておらず、軟骨状態である。そこに炭酸カルシウムやリン酸カルシウムが沈着して硬骨が作られる。
このことを地水風火の次元で敷衍していくと、人間はまず熱によって形づくられることになる。大人ではさまざまな要因が加わりそれほど明確ではないが、小学生くらいの子どもではこうしたことの状況証拠が見つかる。がっちりと厚みのある手はほぼ温かく、細く骨っぽい手は冷たいことが多い。 

熱の担い手

熱を指先まで運ぶのは、血液である。つまり、血液の流れに沿って人間のフォルムが作られると言ってもよいだろう。そして、シュタイナーの認識ではこの血液が自我の担い手である。つまり、「自我が血液を介して熱によって人間フォルムを作り上げている」と言うことができる。
さて、痛風などでは身体が変形する症状が知られているが、これをシュタイナーは「自我の力が末端まで行き届かなくなることで変形が生じる」と言っている。
人間における熱の流れは非常に興味深い問題であるが、ここではこれ以上は触れない。

軟骨から骨(硬骨)へ


軟骨の主成分の一つであるコンドロイチンの分子構造を見ると、基本的に多糖類であり、デンプンと類似していていることがわかる。軟骨も原理的には加熱していけば炭素が残り、そのフォルムが保たれるはずであるが、現実には炭素分が少なく、フォルムが残ることはないと思う。いずれにしても、軟骨のフォルムは炭素によって作られると考えてよいだろう。そして、このフォルムにそってカルシウムが蓄積され、硬骨に変っていく。
これによって炭素は《支え》という役割から解放される。植物における第一の《支え》である細胞壁のセルロースはすでに死んでいることを考えると、人間や動物では、炭素が生命の領域で活動し続けることができている。この点をシュタイナーは「人間や動物では、一時的に支えの役割を担う」と表現している。



『農業講座』第4講関連事項の解説


目次

  • 堆肥づくりのまとめ
  • 悪臭、良香の考え方
  • ピート(ミズゴケ)
  • 牛角(調合剤500番関連)
  • 枝角(調合剤500番関連)
  • 雄牛の角(調合剤500番関連)
  • 口蹄疫(調合剤500番関連)
  • 牛糞(調合剤500番関連)
  • 調合剤501番(石英粉末と牛鞘角)
  • ケイ酸成分を含む種々の素材の比較

●堆肥づくりのまとめ


  • 《地》的なものは、地下よりも地上部でより生き生きするので地表より高いところで堆肥にする
  • .植物は周囲のエーテル力を取り込んでいる。したがって、農業には大地の持つエーテル力が重要である。

という二点である。
第1講、第2講でシュタイナーは《地水風火》について、どれが地上部と地下部のどちらでより生きていて、どちらでより死んでいるかを述べている。それによると《地》は地下では死に、地上部では命を持つと言っているし、それを前提にすると堆肥を通常の地表より高い部分で作るのは理にかなっている。

●悪臭、良香の考え方

シュタイナーは、生命力に満ちたものは内側に悪臭を秘めている、と述べている。これで思い浮かぶのは、人間や動物の腸ではないだろうか?腸が内部に悪臭をため込んでいることは明らかである。また、下痢をするとやや後に身体パワーの低下を感じる。したがって、腸が私たちのエーテル的な力の源であると考えても不思議ではない。
ここで生命力がなぜ悪臭なのかを考察してみよう。基本は、エーテル的なものとアストラル的なものの関係である。エーテル体は生命力の源であるし、アストラル体は意識の基盤であり、知覚をつかさどっている。しかし、この両者はある意味で敵対的な関係にある。つまり、意識(アストラル)は生命力(エーテル)を食いつぶすことで成り立っている。ロウソクの炎が蝋を食いつぶすことで輝くようにである。それゆえ人は、16~18時間、目覚めているとエーテル体がある程度食いつぶされ、意識を保つことができなくなる。そして、意識を失った睡眠時に再び生命力を回復するのである。また、生命的活動が活発になると、たとえば満腹時、妊娠・授乳期、感冒罹病期、骨折回復期、等々では、非常に眠くなり、意識を保つのが難しくなる。つまり、エーテル的活動が優位になると、アストラル的活動(意識)は退くのである。
また、アストラル体の主要な働きは《知覚》である。これを前提に考えると、知覚(アストラル的なもの)にエーテル的なものが近づくと、それは知覚にとって敵対的、つまり不快なものである必要がある。それゆえエーテル的働きが活発な堆肥づくりでは《悪臭》を放つのである。
逆に、アストラル的なものがエーテル的なものの中に侵入してくるとどうなるだろうか。これが人間生体で生じると、それは痛みになる。なぜなら、知覚的なものがより強く肉体に入り込んでくるからである。また、これが植物で生じると、毒草になるという。そしてシュタイナーは痛みに対しては毒草が有効であると述べている。つまり、アストラルがエーテルへの深く侵入しすぎている状態が人間と植物で感応している。
しかし、アストラルとエーテルの関係はこれだけではない。アストラル的なものがエーテル的なものをコントロールし、たとえば動物や人間の身体を適切なフォルムにつくり上げる。植物では、アストラル体は内には持っていないものの、外からのアストラル的刺激によって、成長の仕方を変える。たとえば、葉が繁茂する時機と花が咲く時機ではアストラル的働きかけが異なる。

まとめ

  • エーテルとアストラルは互いを排除する部分がある
  • 命に関係するエーテルにとってアストラルの進入は痛みであり、植物では毒
  • 知覚に関係するアストラルにとってエーテルは不快(悪臭)なもの


●ピート(ミズゴケ)

積んだ堆肥内部にある生命力を逃がさないために、シュタイナーはピートで覆うことを推奨している。
ピートの主要な素材であるミズゴケをゲーテ的に考察すると理解できるので、その概略を紹介する。
ミズゴケは主に高層湿原に生育する。ちなみに、《高層湿原》とは「標高の高いところにある湿原」ではなく、湖底から堆積したミズゴケなど層になり、湖がしだいに浅くなり、やがてはミズゴケが湖面よりも高く(高層化)なった状態を指す。この場合、ミズゴケは何百年、何千年も腐らず、わずかな変化を受けるだけで保存されている。であるから、高層湿原でピートになったミズゴケは《保存力》を持つ。シュタイナーはその保存力をこの堆肥作りで利用している。
後になって、ハウシュカ博士らはこのミズゴケピートから、外からの攻撃から生体を守る薬を開発した。その薬は、物理的な傷だけでなく、心理的なストレスなどに対しても、そこから生体を守る効果があると分かっている(Solum Oilなど)。

ここまでのシュタイナーのアドヴァイスをマニュアル的にまとめると、

  • 肥料には堆肥がよい
  • エーテル的力を逃がさないために、積んだ堆肥をミズゴケで覆う
  • エーテル的力が強すぎる場合には石灰を用いる

となるだろう。

●牛角(調合剤500番関連)

まず、牛の角は皮膚が変形(硬化、強化)されたもので、「強められた皮膚」と考えることができる。そして、皮膚についてシュタイナーは『秘されたる人体生理』の第5講で、「内部の力がそこで終わる地点」と特徴づけている。農業講座では、鞘角についてその作用がさらに強まっていることを表現している。「鞘角においては、内側の諸力が外に漏れず、内側に跳ね返される」のである。
ウシの角とシカの枝角については Ch04 ウシの角 を参照されたい。

●枝角(調合剤500番関連)

鹿の枝角とウシの鞘角では、頭部からの硬い突起という共通点はあるにしろまったく違っている。
雄鹿の枝角は、毎年、2月頃から伸び始め、7月頃まで成長する。その成長の間は、袋角と呼ばれる皮膚に包まれているが、成長が終わると剥がれ落ちる。その際には、まだ少量の血液が残っているために、枝角が血で真っ赤に染まっている。そして、最後に残るのが骨から成る枝角である。その枝角も、特に切らなくても1月には自然に落ちてしまう。

しかし、この鹿の枝角が成長する様子はしっかりとイメージしてみてほしい。雄の鹿は体重はほぼ人間の男性並の50kgから130kgだと言う。そこから、半年間で立派な枝角が成長する。これは内から外へのもの凄い生命力ではないだろうか?そして、夏にはその骨、つまり身体中心部の芯と同じ素材のものが、死んだものとして外に剥きだしになる。内にあったものが外に出て来るし、その形は外に向けて広がっている。そして、最終的には外の世界に吸収されてしまう。このしぐさの中に、「内側のものすごい生命力が外に流れ、そこで死へのプロセスをたどり、外の世界とつながろうとしている」動きを見て取れないだろうか。

●雄牛の角(調合剤500番関連)

講演に続く質疑応答の中でシュタイナーは調合剤用には「雌牛の鞘角に限る」と言っている。雄牛の鞘角ではいけない理由を考えてみよう。

これは体内での代謝活動を考えればわかる。


雌牛の搾乳量は、多いもので1日20l、年間では7トンにも達する。それに伴い雌牛は1日に100lの水を飲み、1lの牛乳を作るためには、300l~500lの血流が必要だと言われている。つまり、牛乳1日分に約6~10トンの血流が必要である。これだけの力を内に止めておくための装置が雌牛の鞘角であり、蹄である。それに対し、雄牛の内部代謝はどれくらいであろうか。草食動物としては、特に繁殖期ではやや攻撃的な性格を示す。これは力すべてが内側の代謝に向けられているとは言えず、外に向かっていることを示している。

●口蹄疫(調合剤500番関連)

口蹄疫は、主に偶蹄目の動物が感染する病気で、2010年には宮崎県で被害が広がり、問題になった。現在ではその原因はウィルス感染とされている。基本的症状は、動物の元気がなくなり、牛だと搾乳量が極端に減るのだそうである。また、蹄付近に水疱ができ、蹄の温度もとても高くなるという。

さて、偶蹄目に属する動物を挙げると、牛、羊、豚、山羊、鹿、キリンなどである。そして、これらの動物の特徴を一言で言ってしまえば、「信じられないくらい旺盛な生命力」である。乳牛ではそれがミルクという形で現れるし、羊では羊毛、豚では肉や脂肪、雄シカでは枝角、雌シカでは毎年の出産といった形をとる。つまり全体に、内部で活発に活動し、内部の力を何かにため込む傾向がある。そして口蹄疫では蹄が弱ってくることと、元気がなくなることが、同時に症状として現れる。つまり、内側の力を堰き止めている蹄が弱り、そこでの活動が活発になり(蹄が高温)、内部の活性が弱まることが相互に関係している。この病態をシュタイナーは「本来、内部で働くべき諸力が弱った蹄から外に流出している」とみるのである。

  • 牛の鞘角には、「内なる諸力を内に保つ」という本質があるとわかる。

●牛糞(調合剤500番関連)

牛糞は大量で、黒くぬかるみくらいのドロドロである。放牧された牛の体内で起こることをイメージしてみよう。草原に生えるさまざまな草が、それらが持つ生命力と共に、まさにその草原の配合でミックスされ、取り込まれる。これはまず約200lの大きさのルーメンと呼ばれる胃に入る。ここでは消化液は出ないが、多くの微生物が共生していて、植物を分解している。この作用は、大地に落ちた葉が腐葉土になっていく際に受ける作用と非常に似ていると言えるだろう。そして、消化管全体では大量の水分(消化液1日100l)でホメオパシー的にポテンタイズされている。さらには、牛の体内を50mの腸を含め通ってきているから、そこで動物的作用、つまりアストラル的作用も受けて糞になって出てくることになる。

草食動物でも、ヤギやウサギの糞は、大豆大の粒でポロポロとかなり乾燥した感じである。馬の糞は、大福大でやはりポロポロした感じである。多種の植物を食べ、そこに水的なものと共にエーテル的なものを残し、しかも動物内の長い管を通ってきた糞、という点で考えると、牛の糞がいかに特別かが理解できると思う。

このように内側にエーテル的、アストラル的な力に満ちた牛糞を、外に力を逃がさないカプセル、つまり牛角に詰め、大地の活動が豊かな冬の間、50cm~75cmの深さに埋める。するとそこに、エーテル的・アストラル的諸力が凝縮されることになる。冬には大地の持つ力が最も活性化していて、さらには結晶化の力も最も強く、いわば大地全体が「内に向けて」作用している。
牛糞に蓄えられた力が、周囲の大地の力も引きつけ、力を堰き止める牛鞘角で覆われているために、すべてがそこに集約される。

さて、牛糞の元は植物であり、腐植土と似た性質を持つと思われる。これを宇宙的諸力と地上的諸力という観点で見れば、牛糞は地上的な力との親和性が高いはずである。そして、宇宙的諸力はケイ酸が受け取るので、この500番(牛角糞)プレパラートを地中に埋める際には、宇宙的諸力が強すぎないことが望ましい。こう考えると、地中に埋めるにあたってシュタイナーが「土壌が粘土質すぎたり砂地でありすぎたりしない場合には」と言った意味が理解できる。つまり、「地中に宇宙的な力ばかりではない状態」が望ましいのである。

こうして作られた調合剤は、《水》要素、《土》要素にしっかりと馴染まされる。水と混ぜる際にもシュタイナーが「水と根本的に結びつける必要がある」と表現しているのが印象的でした。

●調合剤501番(石英粉末と牛鞘角)

501番は、石英、長石などを粉砕して作る。このことから、成分としてはケイ酸が重要である。宇宙的なものと親和性を持つ素材である。これを固体から粉砕して粉末にし、水を加えて粥状にする。このプロセスは固体=《地》から粥状=《地+水》への変化と捉えることができる。
そして、この粥状のものを牛角に詰め、夏の間地中に埋める。つまり、大地の力が外に向かって出ていく時期に地中に置くのである。これによって、《拡散的力》が集約されると考えることができるだろう。
地中から取り出した501番も水と一体化させる。さらにシュタイナーは散布方法にも「霧のように」と指示している。霧というのは《水》と《風》の複合体と考えることができる。つまり、501番が作られるプロセスでは、《地》から《地+水》、さらに《水》、そして《水+風》としだいに軽くなる方向、つまり拡散的方向が重要な意味を持つ。

●ケイ酸成分を含む種々の素材の比較

ここで、ケイ酸を成分とする、岩、石、砂、粘土、501番調合剤を比較してみよう。

  • 岩や石:シュタイナーは宇宙的な力を引きつけると述べている。
  • 砂:粒が粗く、《地》的なケイ酸と見ることができる。砂によって宇宙的諸力を地下に保つことができ、地下部を食べるジャガイモの栽培などに適している。
  • 粘土:宇宙的な力を地上部に導く作用を持つ。それゆえ、地上部を食べる農作物によい作用がある。ちなみに、粘土とはケイ酸質の微粉末に水が加わったものである。それゆえ、粘土を整形し、風乾燥させ、さらに高温で焼くとガラス質(ケイ酸)の瀬戸物になる。言い換えると粘土とは《ケイ酸》+《水》エレメントであり、これが宇宙的な力を地下から上に導く。
  • 501番:これは《ケイ酸》+《水》+《風》エレメントであり、それゆえ宇宙的な力をさらに上方に引っ張り上げる。それゆえ、特に種子を作る作物で有効であるとシュタイナーは言っている。

ケイ酸(宇宙的諸力の伝達体)を地水風火の視点で整理したのは森章吾のオリジナルであるが、シュタイナーが元々言っていたことを違うつながりで整理しただけである。これによってシュタイナーの思考法が若干でも理解できるようになると思うし、そこでは《地水風火》が重要な位置を占めることも理解できるはずである。

マメ科についてのゲーテ自然科学的考察、『農業講座』第3講、第42段落

花の構造





ノコさんのHPより許可をいただいて転載
以下のページにより詳しい説明があります。
http://www.geocities.jp/noko_pla/mame.html


花は茎の先端に付くのではなく、葉の脇芽の部分に付くことが多い。 
マメ科の花では、花びらが袋状になっていて、雄しべ雌しべは外からは見えない。
花の基部にある旗弁は開く傾向を示すにもかかわらず、さらに先へ行くと翼弁と船弁で花が閉じている。この閉じた状態は、一旦頂上に登り、そこから引き返して八合目に居る状態と言える。
蛇足:したがって、自家受粉が多い。メンデルは自家受粉で純系が多いことを利点に、エンドウをつかって遺伝の実験を行った。 

藤の花




藤の花では、房状の集合花の軸が下に向かい、個々の花は横向きに咲く。つぼみの状態では軸がまだ下に向いていない(重さの方向に定位していない)。

種子の様子


カキの種では子葉(双葉)をわずかに伸ばした幼植物が見られる(白色)。その周りの大部分は胚乳である。

マメ科の種子では胚乳は見られず、子葉が大きく肥大し、そこに発芽のための養分を蓄えている。
したがって、マメ科では種子内で一歩先まで成長している。 

葉の巻きひげ

カラスノエンドウでは、葉の先が巻きひげ状になっていて、これで支えとなるものに掴まる。 
  

■シュタイナーのマメ科についての指摘、03-42

シュタイナーはマメ科について次のように語っている。
  1. 結実傾向:他の植物では上方に偏っているが、マメ科では葉の領域にある。
  2. 花が咲く前に稔ろうとする。その理由は、他の植物では窒素質が大地から離れたところで展開するのに対し、マメ科では地面に近い側に保たれているからである。
  3. 葉は通常よりいくらか緑色が暗い傾向。
  4. 果実部分が退化。
  5. 種子の発芽能力が短命。
  6. 植物界の夏的なものではなく、冬的なものを手本に組織されている。したがって常に冬を待つ性質、自分が展開するものを伴って冬を待とうとしていると言える。
  7. 必要としているもの(空気中の窒素)が十分に見つかると、成長がゆっくりになる。これを独自のやり方で下方に導くことができる。

1.について

もぎ取る前の枝豆を思い出せばわかるとおり、実は植物の先端にではなく、葉の脇芽の位置につく。

2.について

花の形態を見ると、外界に向かって開くのではなく、内に向かって閉じている。これは種子形成において見られる方向性である。

4.について

種子内はほとんどが子葉であり、本来の意味での果実部分は退化している。

5.マメ科の発芽率が低いことは経験的に知られている。

3.7.については不明 


蜜について


大衆的ハチミツの元になる植物として代表的なものに、クローバーとアカシアがあり、このどちらもがマメ科である。これらがハチミツになることが多い理由は明確ではない。植物量自体が多いのか、花の数が多いのか、花に蜜が多いのか特定はできない。それでも総量としての花蜜が多いことは確かである。
さて、植物器官で多くのエネルギー(カロリー)が蓄積される場は種子である。しかし、クローバーでは種子よりも花蜜により多くのカロリーが送られているように思われる。つまり、本来、もっと先(果実や種子)に送られるべきカロリーが、花領域に先取りされている。
これも「咲くよりも先に稔ろうとする」傾向と見ることができる。

マメ科の《地》領域に戻る傾向

藤の花

藤の花も同様な《地》への回忌を示す。開花に伴って「重さ」の方向に定位することにそれが現われている。
花の軸の出始めでは上を向いているものも多く、結果的に下向きに「戻って」くるものの、一旦は多くの花に見られる傾向、つまり上に向かう(光に向かう)成長を示し、そこから戻ってきている。ここでも「一旦、頂上に達してからの八合目」というしぐさが見られる。

カラスノエンドウの巻きひげ

カラスノエンドウの巻きひげは複葉の先の部分が変形している。アサガオでは茎から分かれたところから巻きひげに特化していることと比べると、特徴的である。
さて、葉は本来、《風》や《光》の要素と結びつきが強い。ところが、カラスノエンドウではその葉が先端で「支え」となり「重さ」つまり《地》との関連を持つ。一旦、《風》や《光》に向かったものが《地》に戻っている。これも「一旦頂上に達してからの八合目」と見ることができる。

地に潜る実

花が咲き、実が育ち始めると《地》への回帰を見せる植物もある。落花生である。実が自重で下に向かうものは多くあるが、成長運動として地中に潜るものは珍しい。これも「一旦、頂上に達してからの八合目」のしぐさである。

マメ科に特有のしぐさとして、「頂上から八合目に戻る」という表現をしてきた。これは、地水風火の上の方にある《風》を引き下げるしぐさにもつながる。つまり、《風》の代表的元素である窒素を地中に持ち込む点とつながる。

2016年2月1日月曜日

『農業講座』第3講要約

目次

『農業講座』第3講要約 自然界の諸活動についての特別拡張講義:自然界における霊性の作用
03-01
諸力を仲介する物質について説明する。視点は、「宇宙的諸力や地上的諸力は、どの地上の物質を介してどのように作用するだろうか」である。
03-02
農業生産では窒素の意味と影響が重要であるが、窒素作用の本質はまったく見誤られている。 ここでは、自然領域、宇宙領域における窒素の振る舞いに着目する。 また、窒素はそれ自体としては植物に大きな作用はない。しかし植物の理解には窒素の役割が重要である。
03-03
窒素には四兄弟、つまりタンパク質に含まれる炭素、酸素、水素、イオウがある。

■イオウは導き手

目次にもどる 03-04
タンパク質の意味理解にはイオウも重要である。 イオウはタンパク質内に存在し、霊的形成力と物質とを仲介する。つまり、物質界で霊の動きはイオウの活動からたどることができる。イオウはほぼ霊の担い手と言える。 サルファーという名はフォスファー(リン、光の担い手)と関係し、古代には広がっていく光の中に、太陽のような光の中に、広がりゆくイオウの霊を見たが故にこう名付けられた。

■化学は元素の死んだ姿を捉える

目次にもどる 03-05
化学者は、実験室における諸元素の表面的振る舞いは知っているにしろ、宇宙的活動全体における内的な意味については無知である。喩えるなら、歩く人の様子をその固定的な写真からの推定するようなもの。

■炭素

目次にもどる 03-06
《炭素》で思い出すのは、燃料としての石炭や鉛筆のグラファイトである。また、高貴なダイヤモンドもあるが、存在感は小さい。しかし、かつては《賢者の石》と呼ばれた。
03-07
錬金術で言う《賢者の石》とは炭素であったが、それは秘密であった。明かされれば誰でも手に入ってしまうからである。
03-08
炭素が《賢者の石》と呼ばれた理由は知っておくべきだろう。そのためには、石炭やグラファイトとしての炭素ではなく、生物界での活き活きとした活動に目を向ける。すると、石炭やグラファイトは死体に見えるだろう。
03-09
炭素とは、自然界における形態形成プロセスの担い手である。(炭を見れば元の植物の形態がわかる)。しかし、植物と動物ではその質が少し違う。
  • 植物形態:比較的短時間にしろ存続的
  • 動物形態:絶えず流転
いずれにしても炭素は造形家であり、形態形成の際には偉大なる宇宙像を内に宿し、内的運動とともに活動する。また、炭素が自然界でフォルムを作り出すときにはイオウを使う。宇宙における霊の活動が、イオウによって言わば潤いを与えられつつ造形家として働き、炭素を助けに固定的な植物フォルムや、一過的な人間フォルムを作り上げる。 人間では、酸素によって炭素を炭酸として排出することで、発生しつつあるフォルムを即座に解消し可動性を保っている。そうでないと人間は固化(セルロース化、リグニン化で固まる)する。 03-10
「(人間の)血液は実に特別な液体だ」は正しい。つまり、血液は自我を肉体において表現している。イオウによって潤された道筋に置かれ、波打ち、力を振るい、自らを形成し、その形態を再び解消していく炭素とは、血液中で活動する自我と同じである。人間自我が炭素内に生きるのと同様に、植物には受肉せず宇宙に存する植物の自我が、イオウを介して形態形成と形態解消に関係する炭素中に生きている。
03-11
地球進化の初期段階ではまず炭素が存在し、後に石灰が現われた。人間はその石灰を硬化の素材(骨格)として利用し、それによって炭素を可動的なものに保った。
  • 石灰:大地に存在。人間もこれを《地》として内に取り込む。
  • 人間:鉱物的な固化から抜け出し、動きのある炭素形成に上昇。
物質過程としては、セルロース類似のヒアルロン酸(軟骨成分)が炭酸カルシウムに置き換わり、硬骨が形成される様子を考えると理解しやすい。 03-12
生物の根底には、固化的、あるいは流動的な炭素的骨組みがあり、その形成経路では宇宙霊性が活動し、その宇宙霊性がフォルムとして顕現する。

■酸素はエーテルの物質的担い手

目次にもどる 03-13
生命はエーテルが担っているので、炭素的骨組みにはエーテルが浸透し、全体に広がっている。つまり、炭素的骨組みがあるところには必ずエーテルが存在している。
03-14
さて、このエーテル的なものをもしそれだけとして取り出しても、そのものとしては物質的地上では存在しえない。地上では、《霊的なもの》は常に《物質的な担い手》を持たざるをえない。(例:《本の内容》と《紙とインク》の関係)。 この両者の区別は重要で、物質主義者は《物質的担い手》を本質と考え、それについてのみ研究している。 エーテル内で作用する霊的なものの物質的担い手もイオウに潤され、物質の中に入り込み、この構造体に永遠の動きや生命をもたらす。この物質的担い手とは酸素である。
03-15
酸素を取り入れる呼吸プロセスを考える。まず、空気中の酸素は死んでいるが、それ以外の酸素は基本的にエーテルの担い手として生きている。一般に、《生命》と《意識》は対立項で、生命活動が活発だと意識は鈍り、意識が活発だと生命活動はその一部が殺される。ゆえに「失神しないように、呼吸される空気の酸素は殺されている」のである。 しかし酸素は本来エーテルの担い手である。したがって、取り込まれた酸素は体内で再び命を持っている。このように、内側で循環している酸素と、私たちを取り巻く外気中の酸素は別物である。また、地中の酸素も命を持つが、その生命性は、人間内や動物内ほど高次ではない。
03-16
この点は死んだ酸素しか知らない物質主義的自然科学では理解できない。
  • 反生命的酸素:オゾン、活性酸素、大気中酸素。
  • 生命的酸素:水など。呼吸によって体内に入った酸素は水素と結合し水になる。
03-17
炭素による骨組みは植物と人間で違う。人間では自我の表現として動的で、植物では宇宙霊性の表現として固定的である。そこにエーテル的酸素的なものが加わるが、何かが仲介している。

■窒素

目次にもどる 03-18
その仲介者は窒素で、炭素によって形態を得た霊性に窒素が生命を結びつける。(窒素はイオウを助けに、酸素と炭素の橋渡し)。つまり窒素とは、人間アストラル体内や地上的外界におけるアストラル的霊性である。 物質科学的状況証拠:アセチルコリン、アドレナリン、ドーパミン、セロトニン、カフェインなど神経活性を持つ物質では窒素原子が重要な役割を果たす。
03-19
窒素が存在するところではどこでもアストラルが広がっている。こうして、《霊性=炭素の骨組み》と《エーテル=酸素》を《アストラル=窒素》が橋渡ししている。
03-20
人間内の窒素は人間の硬い構造を完全になぞり、完全に人間の形になる。もう一方で窒素は生命とも、つまり呼吸プロセスとも直接に関連している。呼吸プロセスでは酸素=エーテル的生命が取り込まれるが、これを炭素的骨組みの場に導くのが窒素である。また、酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出す仲介が窒素である。 物質科学的状況証拠:ヘモグロビンのヘムの中心には鉄があり、その鉄に酸素が結びつくが、窒素原子がその鉄を支える。
03-21
大気は80%が窒素(アストラル)、20%が酸素(生命)で人間を取り巻いている。そして、窒素は私たちに霊的に関係している。
03-22
仮想実験:人間を密閉空間に入れ、その空気中から窒素を少量抜き取る。(人間周囲の窒素濃度を下げる)。すると、外側から補わなくても、空間内の窒素が人間の内側から放出され、通常状態になるように補われる。 人間は、自らの内的全存在と周囲との間に窒素の正しい比率を作り出す役割を担っている。ある霊的関連にとっては現状の空気中と同じ量の窒素が不可欠なのである。

■植物とアストラル

目次にもどる 03-23
窒素は、霊内に強く入り込み作用するが、植物の営みにも不可欠である。植物は物質体とエーテル体は持つものの、アストラル体はその中にはない。しかし、アストラル的なものは植物を取り巻き、たとえば植物の開花を促す。つまり、植物外のアストラルが外側から植物に触れている必要がある。

▲窒素の感受性

03-24
アストラルも、その担い手である窒素もいたるところにある。空気中の窒素は死体で、地中では酸素と同様、再び生命を持つ。 ただ地中の窒素は、生命だけでなく、感受性をも持つ。つまり、地中の窒素は神秘に満ちた感受性の担い手であり、ここで感受されたものが地上の営み全体に流し込まれる。たとえば「ある地方の水の量が適正かを感じ取り、適正であれば共感し、過不足があれば反感を持つ」「その土地に適した植物があれば共感する」など。
03-25
土星、太陽、月等々の惑星は植物形態や植物の営みに影響する(第2講)。これは誰も知らないが、遍在する窒素は正確に知っている。窒素は、植物や大地の営みに作用する諸天体からの放射も知っている。窒素は、人間の神経感覚系内だけでなく、あらゆるところで感受の仲介者になっている。
03-26
《あらゆるところを動き回る窒素=流れ動く感受作用》、この様子を見ると、自然の微妙な営みが見える。また、窒素の扱いは植物の営みにとって非常に重要であり、後に考察する。
03-27

  • 霊性からの骨組み=炭素
  • アストラルを組み込み、感受に関係=窒素
  • 命を満たす=酸素

■水素

目次にもどる 03-28
物質界も完全な孤立、分離をしてしまっては存在不可能で、物質界と彼方の宇宙をつなげるものがある。地上で物質的形態をとって生きるものすべては、宇宙空間に還り、言わば宇宙空間で純化され浄化されえなくてはならない。
03-29

  • 青:骨組みとしての炭素
  • 緑:エーテル性の酸素
  • 黄色:炭素と酸素の橋渡しアストラル的な窒素
03-30
生物内で繊細な構造として形成されたものは、単に地球上だけでなく、宇宙において再び消滅できなくてはならない。 霊性は消滅しないが、霊性が引き寄せた生命としての酸素、霊性が構築した炭素は消滅する。 物質に対しても、霊に対しても、考えうるかぎり類縁な水素がその消失を仲介する。 物質科学的状況証拠:水素の原子量が最も小さいことや星間物質として知られている。
03-31
霊性は炭素、窒素、酸素を用いて物質化し、その物質体の中でアストラル的に生き、さらにアストラルの写しの中で自我(霊性)として、物質的な仕方で、物質に変容した霊性として生きている。しばらくすると、霊性にとって居心地が悪くなり、霊性は自らを物質から解放しようとする。このとき霊性は、イオウを利用しつつ、霊的なものにも、物質的なものにも非常に近い水素を必要とする。水素内では霊性はあらゆる規定や構造から離れ、渾然一体たるカオスの宇宙空間に入り込む。形態を与えるもの、命を吹き込むもの、アストラル的なもの、すべてを水素は宇宙の彼方の高みにまで運ぶ。これによって、宇宙空間から再びアストラル的なものが取り込まれるように作用する。このように水素はすべてを解消する。
03-32
五つの元素、イオウ、炭素、水素、酸素、窒素は、生命の領域で、見かけ上の死の領域で作用し動き回っている。これらはある特定種類の霊性と内的につながり、通常の化学的知見とはまったく違う。

■瞑想では窒素に静かに触れ、窒素から学ぶ

目次にもどる 03-33
東洋の瞑想ではなく、中部ヨーロッパの瞑想のやり方では、呼吸プロセスには間接的にしか頼らない方法をとる。つまり、集中や瞑想がメインである。しかし、魂的修練によって、対応する身体的作用にも変化が生じる。つまり、瞑想によって、規則正しい呼吸の動きが非常に繊細に変化し、通常の覚醒意識のときよりも二酸化炭素をいくらか多く体内に保持する。つまり、体内にいくらか多めの二酸化炭素が留まる。
  • 怒涛の日常生活:大量の二酸化炭素を放出
  • 瞑想時:そこまでは多量ではなく、周囲の窒素に向かっていくらか控え目に放出
03-34
外界の物体に強くぶつかると自分自身の痛みを意識するが、優しく撫でると対象の様子を意識される。瞑想の原理もこれと同じで、二酸化炭素を静かに放出することで周囲の窒素の体験の中に入り込めるようになり、窒素の中に生きるものを認識できる。また、窒素は非常に賢く、窒素は感じ取ったことを知ってもいるので、水星、金星などの行ないを教えてくれる。瞑想によって、農業において魂的霊的なものと私たちを取り囲むものとの共働作用が生じる。 農業従事者は瞑想によって、窒素の開示に対し敏感になる。すると、農作業のスタイルと意味づけがまったく違ってくる。 突然に農園や農場で逆巻いている諸力についての秘密をすべて知るようになる。
03-35
学者から見れば農夫は愚かに見えるかもしれないが、これは間違いである。なぜなら、農夫は本来瞑想家であり、たとえば、冬の毎晩の瞑想は非常に有意義で、少しではあっても霊的認識を獲得している。そして、圃場を歩いていると、突然に認識がやって来て、言語化はできないものの、それを試すとうまく行く。
03-36
自然界の生命と活動は非常に繊細で、現代学問のような単なる知的作業で大雑把な悟性的理解では捉えられない。さて、イオウ、炭素、酸素、窒素、水素といった元素はタンパク質で一つに合体しているので、タンパク質が関係する種子形成がこれまで以上に正確に理解できる。

■種子のカオスが宇宙のカオスに感応する

目次にもどる 03-37
葉、花、つぼみ、根の中にある炭素、水素、窒素は、常に何らかの形で他の元素と結びつき、自立はしていない。そして、諸元素が自立するには二つの道しかない。
  • 水素がすべての元素を宇宙の彼方に運び去り、個的な特性を消し去り、普遍的カオスに解消させる
  • 水素的なものがタンパク質を小さな種子形成の中に追い込み、そこでタンパク質を自立させ、宇宙からの作用に対し感受性を持たせる
種子形成におけるカオスと、周辺全体(宇宙全体)にあるカオスが感応し合い、新たな生命が生まれる。

■炭素、ケイ素、カルシウム

目次にもどる 03-38
霊性の担い手である元素の振る舞いを見る。
  • 人間内の酸素&窒素の作用:秩序。しかし、これらは見えないので、通常の学問ではわからない。
  • 人間内の炭素&水素からの派生物:やや無秩序。
炭素の振る舞い。 植物界ではその作用が強いが、動物界、人間界へと移行するとその作用が失われる。ただ、動物や人間でも炭素が一時的に有効になる必要がある。その炭素を利用し、固定的形態の基盤となるものを作り上げる必要がある。つまり、石灰系の骨組みと、人間内にあるケイ素系である。その結果、人間や動物では、炭素の形態形成力はある程度、後退し隠れている。 炭素は、石灰やケイ素の形態形成力を踏み台に上へと昇っていく。(前述の「軟骨から硬骨」がこれに当たる)。ここで、石灰は地上的形成力を、ケイ素は宇宙的形成力を炭素に与える。このように、人間や動物では、炭素が単独で効力を発揮するのではなく、石灰やケイ素による形成に頼っている。 03-39
さて、石灰とケイ素は植物成長の基盤でもある。これをよく知るためには、人間の消化、呼吸、循環プロセス、骨格形成やケイ素的構造との関連における炭素の振る舞いをさらに深く認識しなくてはならない。人間内は覗き込めないが、もし循環プロセスに潜り込めたら、炭素形態形成が石灰やケイ素の中に輝き込んでいく様子が認識されるはずである。また大地も、上には植物、下には石灰やケイ素を持つという観方から見て、大地の認識は育てなくてはならない。炭素系が石灰系やケイ素系を頼りにしている。その炭素系の中に酸素系が窒素系に捉えられ引き下ろされる様子を認識できる必要がある。また、酸素系は炭素を通り抜けていく。また、大気中の酸素系は地中に取り込まれ、さらに窒素の助けで大地の深みに送り込まれなければならない。地中では炭素が石灰質の中で自らを形成し、またケイ素系を頼りにしうる。

■窒素吸収植物のマメ科

目次にもどる 03-40
感受性や見る目があれば、こうしたプロセスはマメ科においてすばらしいかたちで観察される。マメ科は実際に窒素を地中に固定する(根粒菌の働き)。体内で必要とされる酸素を肺で吸収するように、地中で石灰質が必要としする窒素をマメ科は取り込む。地中の石灰質はある種の窒素呼吸のためにあり、マメ科はいわば肺の上皮細胞に相当する。マメ科だけが吸気として窒素を下方に降ろす。その意味では、他の植物は呼気側に当たる。このように、窒素に注目すると、植物界全体が、マメ科とそれ以外という二つに分かれる。
03-41
人間生体全体において個々の器官を位置づけるように、植物界全体において個々の植物種を位置づけるというのも課題である。その観点で見ると、マメ科の持つ大きな意味がわかる。窒素固定などは知られているが、それらの事柄を霊的な背景から認識する必要がある。伝統がますます失われていく中で、それを正しく新たに応用できるためにはそうした観方が必要なのである。
03-42
マメ科の特徴
  • 結実傾向:他の植物では上方に偏っているが、マメ科では葉の領域にある。
  • 花が咲く前に稔ろうとする。その理由は、他の植物では窒素質が大地から離れたところで展開するのに対し、マメ科では地面に近い側に保たれているからである。
  • 葉は通常よりいくらか緑色が暗い傾向。
  • 果実部分が退化。
  • 種子の発芽能力が短命。
  • 植物界の夏的なものではなく、冬的なものを手本に組織されている。したがって常に冬を待つ性質、自分が展開するものを伴って冬を待とうとしていると言える。
  • 必要としているもの(空気中の窒素)が十分に見つかると、成長がゆっくりになる。これを独自のやり方で下方に導くことができる。
マメ科のゲーテ自然科学的考察はこちら

■石灰について

目次にもどる 03-43
この方法で地上や地下での出来事を覗き見ることができる。その際、石灰質が人間の欲望世界と類似する点を知っていると、すべてが活き活きと有機的に結びつく。 石灰(カルシウム元素)は落ち着いてはおらず、酸素と結びついて石灰になろうとする。しかし、石灰になっても満足せず、あらゆるもの、あらゆる金属酸、さらにはもはや鉱物ではない涯青{れきせい}までも取り込もうとする。つまり、石灰はすべてを自分に引き寄せたがり、地中で欲望的本性を展開する。石灰質は植物的なものを引き付けると、欲望的本性が実際に満足されていることが感じ取れる。それは、石灰質が求めるものすべてが、植物内に生きているからである。したがって、植物のために石灰質内のものを絶えず引き剥がす必要がある。これは何ものも求めない気高きものが行える。

■気高きもの、ケイ素

目次にもどる 03-44
何も求めず、自己に安息する気高きものとは、ケイ素である。ケイ素は自分自身内で安定に達している。ケイ素は鉱物的な硬い輪郭を持つ物体中だけでなく、ホメオパシー的希釈度でいたるところに存在し、自己内に安息し、何も要求しない。石灰質はすべてを求め、ケイ素質は何一つ求めないのである。知覚器官が自分自身を知覚せず、外界だけを知覚するように、ケイ素質は無私であり、知覚器官のようである。地上的なものにおいて、ケイ素質は普遍的な外的知覚感覚であり、石灰質は普遍的な外界欲望で、ややケイ素質に寄っているものの粘土がこの両者をつないでいる。

■全体の概要

目次にもどる 03-45
感性を伴った認識を得るために、一度はこのように全体を見渡すとよい。すべてを自分のところへもぎ取ってこようとする石灰質を欲望小僧と感じ取り、石灰質によってもぎ取られたすべてを奪い返し、大気圏的なものの中に運び、そして植物フォルムを形成するケイ素を気高い紳士と感じ取る。ケイ素は、スギナなどに籠城するか、あるいは、ホメオパシー的な希釈度で繊細に、あらゆるところに存在するかして、石灰質から何かを取り返す。
03-46
炭素はあらゆる植物の中で、本来の形態形成者、つまり骨組みの形成者である。しかし地球進化に伴い、炭素と水以外のものが生じたために、炭素にはそれが困難になった。石灰質が入り込み、炭素を妨害したのである。その妨害を克服する必要があった。そして炭素はケイ素と結びつき、両者が粘土として一体になり、これが再び形成にかかわるようになった。こうした状況下で、植物はどのような営みを行なっているのだろうか。
03-47
植物の様子
  • 上では、ケイ素質によって(水生植物のように)繊細で細長く繊維質にされようとする。ケイ素質は絶えず上に向かって放射しようとする。
  • 中間部では、本来の植物フォルムを形成しつつ、すべてを秩序に収める炭素が働く。
  • 下では、石灰質の触手に捕えられている。石灰質は絶えず下に向かってため込もうとする。
アストラル的である窒素がその中間で働いている(アストラル体は自我とエーテル体の間で秩序を作り上げる)。この窒素の活動を理解する必要がある。 03-48
明日は、次の問い「正しく窒素分を植物界にもたらすにはどうしたらよいか」を取り上げ、肥料の話につなげる。






























































































『農業講座』第4講要約

霊に入り込んでいく諸力と諸素材
:施肥の問題

微視的な物質科学と巨視的な精神科学の考え方の違い


■04-01


物質科学は微視的に狭いところに入り込んで行く。 霊学は宇宙的な視点、巨視的視点から農業を考える。

■04-02


栄養学などでも、何年か経つと学説が変っている。 正しい立脚点を持たないからである。

■04-03


霊学も実際生活への応用分野では、その霊的視点がゆえに批判される。

■04-04


肥料は植物の栄養であると考えたことが誤りの始まりである。

霊学的栄養学の概要


■04-05


栄養においては日々の食べ物が重要だと思われている。 しかし、体内に摂取された栄養物の大部分は再び体外に出される。重要なのは、代謝的意味での量的秩序ではなく、食物から生命的諸力を正しく取り込むことである。その力によって、歩行、労働、手を運動などができる。

■04-06


身体を物質的に満たし、蓄積するために必要なものは、その大部分が感覚器官や皮膚、呼吸を通して取り込まれる。 つまり身体は、絶えず極度に微細な希釈度で素材を取り込み、凝縮して体内に蓄積する。 身体はそれらを空気から取り込み、爪や髪など、密なものにする。 栄養物が摂取され、肉体を通り、爪や垢などになるというのは間違った考え方である。そうではなく、呼吸や感覚器官などを通して非常に繊細なかたちで取り込まれ、生体を通り抜け、排出される。 胃を介して摂取されるものも重要だが、それは身体に内的活性や意志的諸力を、ちょうど燃料のように鼓舞する。

■04-07


このように霊学的研究で明らかになる真実は現代科学と正面からぶつかる。 しかし両者の相互理解は必要である。現代科学には展望がないからである。 実験や事実は現代科学も間違っていません。しかし理論化によってひどいことになり、自然科学との相互理解が難しくなっている。 しかし、農業を含む最も重要な領域では相互理解が不可欠である。

■04-08


正しいやり方のためには霊学的な正しい見識が必要である。 せっかくのものを無意味に使ってしまわないように。

▲施肥におけるエーテル的なもの

△腐植土の山と樹の比較


■04-09


樹を考えると、それは普通の一年生植物とは違い、樹皮などに覆われている。 腐植(含動物死体)の盛り土と樹とを比べる。

■04-10



上に窪みを作った腐植の盛り土と樹の模式図を描く。 樹では、外側は固く、内側は成長することで樹の形になる。 この二つは実はよく似ている。 土の特徴はエーテル的生命的なものを含む点で、これは本来、植物的覆いつまり樹皮への途上にある。 これは単に盛り土をしてそこに腐植質を入れるというのではなく、盛り土を高次の発達形態で取り巻いているのである。

■04-11


通常の地表よりも少し高いところで、大地内部と遮断されると、エーテルで自らを満たそうとする特別な傾向が現われる。 無機質なごく普通の土を肥沃にしたいなら、盛り土に植物廃棄物などを入れるとより簡単にできる。 こうすると土自体が内的に活発になり、植物に似たものになろうとする傾向を持つ。 樹木の成長でも同じプロセスが行なわれている。 植物が盛り上ると、樹皮が植物を取り囲み、樹木全体にエーテル的生命的なものが与えられる。 それはなぜだろうか。

植物の内と外は生命的に連続している


■04-12


植物の境界内のものと、周囲の土壌は非常に近縁だとイメージする。 生命活動は根で終わるのではなく、そこから出て地中に入り込むので、植物内と外では生命に明確な境界線はない。 これがまず施肥についての基本事項である。

■04-13


施肥とは大地に命を与えることである。 植物は死んだ土壌で育ててはならないし、結実までに必要な要素を大地の生命から得られる必要がある。 実際、植物は大地の生命に寄生している。 地球上のほとんどの土地では、土壌だけで十分な腐植分が得られず、必要な生命性を得るほどは腐植を分解できないので、施肥によって植物の成長を助ける必要がある。ただし例外としては、黒土といった土壌があり、自然自体が大地の生命を十分に補っている。

△生命的なものは内に悪臭、外に良香


■04-14


生命を持つものの本質には常に外側と内側があり、皮膚状のものが内と外を分けている。 その内側に注目する。



■04-15


生物内の力の流れは、外に向かうだけではなく、皮膚に押し返され内側に向かう流れもある。 また生体は、種々の力の流れにも外側から取り囲まれているし、内と外は区別される。 皮膚の内側で生命を喚起し、生命を保持するものは悪臭を放つ。 通常なら匂いを放ち、匂いを広げるものがあります。それを外に向けて放射させ過ぎず、内部にため込むことで生命が成り立つ。 匂い発生的な生体内の生命が、生体内で何かを作り出し、それをできるだけ境界である皮膚を通して外に出さないようにする。生体とは、内側で匂い、外側での匂いが少ないほど、健康であると言える。

■04-16


植物生体は匂いを放出するのではなく、取り込む。 よい香りを放つ植物が生育している牧草地には促進的作用がある。 それらの働きを見通しますと、お互い同士の生命的な支え合いに気づく。 よい香りとは単なる生命の匂いではなく、外から植物に働きかける。 こうした事柄すべてに活き活きと個人的に関係するひつようがあり、それによって自然の現実にしっかりと入り込むことができる。

▲施肥におけるアストラル的なもの

△生命的なものに加え、窒素(アストラル的)も施肥する


■04-17


施肥の役割は土壌に生命を配分することだが、それだけではない。 昨日は、ある特定の力線に沿って窒素が広がり、窒素の助けで生命が運び込まれると述べた。それが可能になるように大地に作用する必要がある。 つまり、地中の諸構造に生命をもたらす窒素を施肥によって大地に送らなくてはならない。大地に、植物の下部にある諸構造に生命をもたらさなくてはならない。 これが施肥の役割である。 これを正確で事柄に即したやり方で行なわなくてはならない。

△肥料づくりの具体的な指針…堆肥、石灰、ピート


■04-18


純粋に鉱物的なものによる施肥は《地》には達せず、地中の《水》に達するだけであり、地中の《水》には作用するものの《地》は活性化できない。 したがって鉱物的肥料で育った植物を見ると、活性化された《地》ではなく《水》からの刺激による成長の様子がわかる。

■04-19


肥料の実践的に研究には堆肥(コンポスト)が最も向いている。 農業や園芸由来のもの、腐ったイネ科の草、落ち葉、さらには動物の死骸などが土壌を活性化させる。 これは重要で、エーテル的なものだけではなくアストラル的なものさえ含んでいる。 厩肥は生きたエーテル的なものやアストラル的なものを多く含んでいるが、堆肥ではより安定した形で含んでいて、結びつきがよく、特にアストラル的なもので顕著である。 過剰に強く吹き上がるエーテルがあると、窒素に対するアストラル的作用に影響が出るて、活性化しない。

■04-20


過剰なエーテルを抑えるには石灰質が有効で、生石灰(CaOかCa(OH)2のどちらかは訳者には不明)を堆肥の山に加えると、香りを放つアストラルにはそれほど強く働きかけず、エーテル、さらには酸素も吸収し、アストラルがすばらしく作用できるようになる。 つまり、エーテルを迂回せず直接《地》にアストラルを非常に強く入り込ませる傾向を堆肥によって土壌に与えることができる。

■04-21


エーテルを迂回する必要のないアストラルは《地》に非常に強く入り込み、《地》がアストラル化され、そのアストラル化されたものの道筋に沿って窒素系が浸透する。これは人間生体内の植物的なプロセスと非常に似ている。ただしこれは、果実形成的プロセスではなく、茎葉形成プロセスに重点がある。 人間は適切な仕方で栄養物から活性化力を取り出せる必要があった。 《地》にこのプロセスを伝えることで、大地も同様に活性化力の取り出せるように刺激をしている。 これで大地を整えて作った飼料は、体内に入ると動物を内的に活性化し、動物身体を内側から活き活きさせられる。 この堆肥は牧草地に適していて、必要な別な手順も加えれば優良な乾燥飼料になる牧草を育てられる。 しかしこれらは、事柄全体を見通し、それによって勘を育てることで正しく行なうことができる。

適度なアストラルを持つ肥料づくり


■04-22


これまで述べたやり方で堆肥を積むだけだと堆肥のアストラルが非常に容易に拡散してしまう可能性がある。 そこで堆肥の山をできるだけ匂わないようにする必要がある。そのためには、堆肥と乾燥ピート(泥炭化したミズゴケやカヤツリグサなど)を交互に薄く敷いていくとよい。 こうすると匂いとして発散してしまうものを、内部に保持できる。 どのような化合物になっても飛散する傾向を持つ窒素を保持できるからである。

▲アストラル的力のマネージメント、調合剤500番について

△ウシの鞘角と他の動物の枝角について


■04-23


なぜ雌牛には鞘角があり、シカなどには枝角があるか。 雌牛の鞘角について考える。 生命の力の流れには、外向きだけでなく、内向きのものある。 1.外向きと内向きの力の流れを持つ丸いこい形の生物を想像する。ここには何の規則性もなく、非常に奇妙な外見になる。 2.この丸っこい形態に胎生初期に見られるような小さな足の突起があるとするが、そのままではグロテスクである。 3.実際の雌牛には鞘角が蹄があり、その部位では非常に強い内向きの流れがあり、外的なものは特に完全に遮断されている。 皮膚や頭髪には透過性がありそれを介した外とのコミュニケーションがあるが、鞘角や蹄では外に向かっての流れが完全に遮断されている。 それゆえ、鞘角形成や蹄形成は動物の形態形成全体と関係する。

■04-24


枝角形成では様子がまったく違う。 枝角形成では流れが生体に戻るのではなく、外に一歩導かれ、力を外に逃がす一種のバルブの役割を果たしている。 シカはある種の流れを外に送り出し、周囲世界に生き、神経や感覚に有機的に作用するあらゆるものを取り込み、周囲の世界としっかりとコミュニケーションを取っているがゆえに美しい。 シカは敏感であるし、枝角を持つすべての動物はやや神経過敏であり、それは動物の目から読み取れる。

■04-25


アストラル的エーテル的な形成作用や消化器系までをも活性化させる作用は、雌牛の鞘角によって内側に送り込まれる。 この鞘角や蹄からの放射によって消化器系が活発に活動する。 口蹄疫では周囲的なものが消化器系に戻って作用しているし、鞘角や蹄の上述の役割を見通せば口蹄疫も理解できる。 鞘角は、生命放射、さらにアストラル放射を内に返す。 もし生きた雌牛の腹部に潜り込めたなら、アストラル的生命的なものが鞘角や蹄から内側に向けて流れてくる様子を嗅ぎ取ることができる。

△鞘角の力と牛糞を利用したプレパラートについて


■04-26


こうしたことをヒントに、一般的な厩肥の作用をさらに高めることができる。 牧草などが外から家畜の体内に入り、そのある一部が栄養として取り込まれるが、この栄養は、身体素材を増大させるのではなく、生体内で諸力を活性化するきっかけになった。そして、それ以外は再び外に排泄される。 しかしその排泄物は、一度は生体内にあり、アストラルやエーテルに満たされていた。 排泄物、つまり糞では、アストラルにおいては窒素保持力に満たされ、またエーテルにおいては酸素保持力に満たされている。

■04-27


この排泄物の塊を何らかのかたちで大地に移しますと、大地にエーテル的アストラル的なものを与えられる。 こうしたエーテル的アストラル的なものは正しい意味で動物の腹内にあった。そして、消化活動では植物的な諸力が作り出されているので、糞には植物的に諸力が含まれる。 こうしてエーテルやアストラルが生体内部から外に放出されている。 糞中のエーテルやアストラルを保ったまま使えるように、相応の方法をとらなくてはならない。 それによって、単に《水》に作用するのではなく、土壌や《地》を活性化し、さらにアストラル化もでき、これによって大地の非生命性を克服する。

■04-28


糞は分解、解消の途上にあり、その最上の時点は、それ自身が持つエーテルやアストラルによって解消し始める時である。 このとき糞は寄生生物や微生物にとっての良好な栄養基盤となり、それらが発生し始めることでわかる。 ただし、こうした寄生生物が肥料の質をよくすると考えるのは間違いである。 こうした微生物の有無は、その肥料の状態の指標でしかない。 これらのバクテリア等を肥料に投入することで肥料の質を高められると考えるなら、それは幻想でしかない。

△具体的な作り方と適用法


■04-29


雌牛の鞘角に牛糞を詰め、75cmから150cmの深さに埋める。 ただし、あまりに粘土質であったり砂地である場所は避ける。 これによって、この鞘角の中の諸力、雌牛の体内で作用していた諸力、つまり生命的、アストラル的なものの反射を鞘角の中に保持できる。 さらに鞘角の外側が土で覆われているので、エーテル化やアストラル化へと向かう放射は、すべて鞘角内部の空洞に向かう。 牛糞で満たされた鞘角にはこうした諸力が含まれ、それを大地が内的に最も活性化する冬の間地中に埋めておく。すると、周囲の大地にあるエーテル的な活性化力をすべて引き寄せる。 この活き活きとしたものすべてがこの牛糞の中に保存され、この鞘角の内容物は、非常に高度に濃縮された活性的肥料力を得る。

■04-30


その後、鞘角を掘り出し、牛糞として入れたものを取り出す。 ドルナッハでの最近の実験では、取り出されたものはまったく無臭であることが確認された。 その無臭の内容物が、水を作用させることでわずかに香り始めたのは印象的であった。 これによって、香るものすべてが凝縮され、何らかの作用を受けていることがわかる。 この中にはアストラル的エーテル的な非常に大きな力が含まれている。 この内容物を水かぬるま湯で薄めれば、そうした力を実際に使えるようになる。 量的には、約1200m$^2$に対し、鞘角一本分を60リットルバケツ半分の水で薄めればよい。 ただし、鞘角の中身を水と徹底的に結びつける必要がある。 つまり、まずバケツの壁面に沿って高速で撹拌し、中央部がほぼ底に付くくらいに凹ませる。 次に、すばやく逆方向に回転させ、全体がぶつかり合うように泡立たせる。 これを一時間ほど続けると、水と鞘角の中身が徹底的に混ざり合う。

■04-31


この仕事の負担はけっして大きくはなく、労力がいかに少ないかを考えてみよ。 無臭のものから微かな芳香が漂ってくるのを楽しみながら撹拌してくれる人は見つかるだろう。

■04-32


これは耕作中の大地に散布し、プレパラート溶液を《地》と一体化させる点が重要である。圃場が狭ければ普通の散布機、広い場合には特別な散布機を組み立てる必要がある。 通常の肥料にこの《霊的な肥料》を加えると、実りがいかに豊かになるかがわかる。 これにはもう一つ別なやり方が直接に結びつく。

▲宇宙的力のマネージメント、調合剤501番について

△具体的な作り方と適用法


■04-33


ここでも雌牛の鞘角を使い、石英、ケイ石、正長石、長石などのいずれかを小麦粉くらいまで微粉末にし、さらに粥状あるいは薄いパン生地状にして、鞘角に詰める。 そして、冬ではなく夏を地中で越させ、晩秋に取り出し、翌春まで保存しておく。こうして地中の夏の営みにさらされたものを取り出す。そしてそのエンドウマメ大の塊、あるいは状況によっては針の頭くらいの塊をバケツ一杯の水に入れて約1時間かき混ぜる。 これは特に野菜などで有効で、植物自体に散布する。 ただし、乱暴に注ぎかけるのではなく、霧状に吹きかける。そうすることで、500番プレパラートの地中からの働きかけを、別な側面から補助しているのがわかるだろう。

△500番と501番の相互作用


■04-34


不均一ではなくバランスよく圃場に散布されると、牛角糞プレパラートが下から押し上げ、石英粉末プレパラートが上から強過ぎず弱過ぎず引き上げる様子が見られる。501番は農場全体に微かに振りかけなくてはならないが、そのような機械を制作し、使用することができる。 これは、特に種子を採る作物ではすばらしい効果を発揮する。

▲人間進化を促す農産物をめざす


■04-35


これが大きな関連の観察から得られる成果である。 指から人間全体を理論的に構築しようとするような狭い考え方でも、成果は上がるし、それは無視できない。 今日の研究が目指しているのは、農場経営の経済性である。 したがって、たとえば巨大なジャガイモなど膨れあがった作物が得られると、農家は驚嘆し、それを喜ぶ。 しかし、経済性は最重要事項ではない。

■04-36


食物を人間が食べたときに、人間存在の発展を促すかが最も重要である。 果樹園ですばらしい見栄えの果物を収穫できても、それは単に胃を満たす物体でしかなく、人間の内的存在を有機的に発達させるものではないかもしれない。 人間が自らの生体にとって最上の栄養を得るという地点には、今日の学問が達することはない。なぜなら、それを目指してはいないからである。

■04-37


しかし、霊学の根底には自然の摂理全体があり、全体から考えられているので、個別のことを語っても、それは常に全体につながっている。 人間にとって、動物にとって最上であるような農業を営もうとするなら、それ以外の結論はありえない。 人間を基本にし、人間から出発して考察するなら、常に人間本性と最もすばらしくかかわる視座が生れる。 この点が、私たちの考察法と今日の通常の考察法の違いである。

『農業講座』第6講、要約

▲自然という枠内での雑草、害虫害獣、いわゆる植物病などの本質

■06-01

ここでは、雑草、害獣、害虫、いわゆる植物病について霊学的に考察する。

雑草について

■06-02

「自然状態ならそこに生育するにしろ、意図しない植物を特定の圃場からどのように排除するか」を考える。

■06-03

植物成長に作用する諸力には、 ・宇宙由来で、大地を経由して植物に伝わる力 ・植物が元来持つ力 があり、両者を区別する必要がある。 水星、金星、月からの諸力は、直接に作用するのではなく、大地、特に石灰を経由して作用する。 これは植物自体の自己保存的な力として作用する。 それに対し、土星、木星、火星の諸力はケイ酸作用と関係しつつ、大気(上方)から作用する。 こちらは、植物を食する動物や人間のための力となるように作用する(01-26)。

■06-04

ブドウネアブラムシ(フィロキセラ)が発生する条件を考える。

■06-05

図で金星、水星、月の作用は大地に反射し、下から上に作用する(白)。 これは植物に一年以内での成長と種子形成(生殖力、世代交代的なもの)において作用する。

■06-06

これに対して地面より上の道筋でやって来るものは、外惑星の諸力である。 植物の周囲に広がる部分、太く豊かになる部分、栄養物として収穫する部分(果肉など)に連続的な流れで常に新しく形成される。 植物の成長をコントロールするには、これらの諸力を考慮する以外には方法はない。

■06-07

雑草(しばしば強力な薬草でもある)には、月作用が非常に強く作用している。

■06-08

月は通常、太陽光を反射すると知られている。 月からはこの太陽からの反射光だけでなく、月が地球から分離したとき以来の月の諸力も含まれている。 この月の諸力はまさに地上的なものを強める。 ●月と地球が一体だった頃 ・地上的なものは今より活き活きとしていて、実りをもたらした。 ・現存する強力な鉱物的存在はなかった。 ●地球からの月の分離後 地球の通常状態は生物の《成長》にはちょうどよい。 その力が月によって強められることで、《成長》から《生殖》にまで高められる。

■06-09

《成長》においても《生殖》においても作用する力の質は同じ。 《成長》とは細胞から細胞が生じる弱い生殖と言える。 地球自体の力は、《成長》にはちょうどよいが、《生殖》のためには力不足で月の作用が必要である。 植物の種類によっては水星や金星の諸力も必要とする。 月は太陽光だけでなく、全宇宙を反射して地球に作用する。 月から植物への宇宙的な放射には、強い組織化の作用があり、成長力が生殖力へと高められ、種子が発達できるようになる。

■06-10

この力は新月では皆無で、満月時にだけ作用する。 古代インド人は十九世紀まで月齢に沿って播種をしていた。発芽力への月の作用を研究して播種に応用すると、価値があるだろう。 播種や収穫に際して月を軽視しても、満月は年に十二回あるので被害はさほど大きくない。

■06-11

このままでは成長をコントロールする諸力を掌握していないので、雑草も繁茂する。 ここでポイントは、満月の力は植物の再生産、つまり生殖に作用するという点である。 根から種子形成へと突き上がっていくものに月の力が作用する。 この恵み深き月の力がきちんと作用すると、最高の雑草が得られるし、 雨が多く月の力が強く作用する年は、雑草がさらに繁茂する。 ここで宇宙的諸力を考慮する。

■06-12

雑草に月の作用が届かないようにすれば、雑草の生殖力を制限でき、雑草は増殖できない。 月を消すことはできないので、月の作用を受け取れないように大地に働きかける。 また雑草が成長したがらないようになるよう、何らかの方法で土壌に手を加える。

■06-13

・雑草の生育を観察し、成長力が終点にまで達したその種子を集める。 ・火で(できれば薪の炎)この種子を燃やし、少量であっても灰を丁寧に集める。 ・種子は月の諸力を引き付けることで育ったが、それを焼いた灰には、その力への対抗力が集約されている。 さまざまな雑草の種子からつくったこの灰のプレパラートを圃場に散布する。その作用は広範囲で、特に丁寧に作業する必要もなく、翌年には対象の雑草が非常に少なくなっていることがわかる。 自然界では多くのものが四年サイクルなので、このプレパラートを撒くと対象の雑草は四年後には圃場から姿を消す。

■06-14

これは微少でも作用する。

■06-15

微少で作用するものを現代では誰も信じないが、かつては用いられた手法である。 現代では追試を求められるが、それならばこれを追試すればよい。 この正しさはすぐに示される。 霊学的真理は(数学の証明のように)それ自体によって真理であり、実証は必要ない。 科学者は外的方法で真理を検証すべく、外的な方法ばかりを見るという誤りに陥っている。

害獣の害の防止

■06-16

雑草についてはこうした一般論で語れる。 しかし、害虫や害獣については一般論ではそれほど強くは語れない。

■06-17

野ネズミを取り上げる。 毒、細菌感染など人は野ネズミ退治には手段を択ばないし、国家まで動くことすらある。

■06-18

これらの方法は外からのコントロールであり、駆除はできず、ネズミは何度でも戻って来る。 霊学的な方法もある。 これは農家が連帯するとより有効だが、単一の農場でも無意味ではない。

■06-19

かなり若い野ネズミを捕まえて皮を剥ぐ。 しかも、野ネズミの皮を金星がちょうど蠍座に来たときに剥ぐ必要がある。 植物界に関することは、惑星系の範囲内で事足りたが、動物の問題では獣帯が重要になる。

■06-20

植物の繁殖では月の作用で事が足りた。 しかし動物界では月の作用加え、金星の補助が必要である。 動物界は月の諸力を内に持ち、月そのものからは自立しているので、月の影響は受けず、満月以外のときにも月の力が発揮される。 しかし、動物は月以外の諸惑星の諸力を内には持っていないので、それに向けて対処することができる。

■06-21

金星が蠍座に来たときに数匹のネズミの皮を剥ぎ、それを燃やし、その灰を集める。 火によって消滅させるとその灰の中には、野ネズミの生殖力に対する負の力が残る。 この灰を圃場に撒くだけでよい。 量は僅かでよく、ホメオパシー的希釈度でよい。 効力は広範囲に及ぶが、近隣でも同様にすると効果は間違いなく顕著なはずである。 これを通して友好関係ができるかもしれない。

■06-22

このやり方で、迷信ではなく、星の作用を活用できる。 高等動物ではこうしたやり方をするが、昆虫はまったく別な宇宙作用を受けているので、別な方法を採る。

線虫(昆虫)の害

■06-23

根線虫(ネマトーデ)を例に説明する。 外的兆候は、枝根の膨張と朝の萎れた葉である。 兆候が現われる葉では宇宙的作用を空気を介して受け取り、根では地を介して取り込んでいる。 ここで線虫が発生すると、本来、葉の領域で生じるべき宇宙的諸力の吸収プロセスが、下方の根の領域に降りてしまう。

■06-24

模式図で表わすと、上方に作用すべき宇宙的諸力が、線虫が寄生した植物ではこの下方に降りている点が本質的である。 ここから、すべての外的兆候が生じる。 これによって線虫は、生きるために必要な宇宙的諸力を地中で手に入れられるようになる。 線虫にとって必要な《宇宙的諸力》と《地中環境》の二つが揃う。

■06-25

一般に、ある生存環境範囲内でしか生物は生きられない。 ところがこうして線虫の生存環境が整う。

■06-26

線虫の仲間の生物にとっては、通常、地上で作用する宇宙的諸力が地中に入り込む必要があり、この宇宙的作用は四年周期である。 四年周期は甲虫の幼虫にも見られる。 この宇宙的諸力はジャガイモを発芽させ、成長を促す能力を大地に与えるものでもある。

■06-27

ネズミでは皮だけを用いたが、昆虫では全身を用いる。 根に対し害を及ぼす昆虫は、その身体全体が宇宙的作用の産物だからであり、大地は単に昆虫にとってのベッドに過ぎない。 昆虫全体を焼く。 腐敗させてもよく、より根本的なものが得られるが、腐敗物質を集めるのは困難なので、全体を焼くだけでも効果がある。 乾燥保存した昆虫を焼いてもかまわない。 ただし、星位はネズミの皮を焼く時(蠍座に金星)とは正反対で、牡牛座に太陽があるときに焼く。 太陽は昆虫界と関連する諸力を、太陽が水瓶座から、魚座、牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座までの間に放射し、獅子座から山羊座では弱くなる。

■06-28

知られてはいないが、太陽は非常に特殊である。 太陽が牡牛座から光を送るか、蟹座から送るかでは違いがあり、本来、牡羊座の太陽、牡牛座の太陽、蟹座の太陽、獅子座の太陽などと表現した方がよい。 太陽は年周運動や日周運動、あるいはその複合作用で、その時々でまったく別の存在である。 《昆虫灰》をテンサイ畑に撒くと線虫はしだいに衰退し、四年後には確実に線虫類が減る。 その土地での生育を嫌い、生きられなくなる。

■06-29

現代の天文学は数学的位置関係を示すものにすぎないが、こうしてかつての天文学が活きる。

《水》と《火》の作用は正反対

■06-30

大地は、月と水の作用によって植物的生命を自ら生み出す能力を得る。これをは重要である。 しかし植物だけでなくすべての生物は、自己滅亡の萌芽を宿している。 《水》は実りを促進し、対極の《火》は生産力を破壊し根絶する。 植物的なもの(エーテル)は水によって生産性が高まるが、それを火によって適切に処理すると根絶的作用することができる。 種子は、月の力が染みこんだ水によって生産性を発展させ、月の力に浸された火によって破壊的作用を展開する。

■06-31

さらに見ると、時間的作用も加わることがわかり、このやり方は種子の力と同様に大きな拡散力があるとわかる。 これは生産力にも破壊力にも作用する。

植物の病気

■06-32

いわゆる植物病について述べる。 植物には真の意味での病気はない。 いわゆる植物病と言われる異常現象は、人間や動物の病気と同じではない。 アストラル体はエーテル体や物質体に入り込むが、病気ではアストラル体が健康状態のときよりも、エーテル体の十分な緩衝作用抜きに直接に物質体に入り込んでいる。 つまり病気とは動物や人間に特有なものである。 したがって、アストラル体を持たない植物では病気は存在しない。

■06-33

それではいわゆる植物病の原因は何だろうか。 前にも述べたように、植物の周りの土壌は特定の生命性を持つ。 地中の生命性は植物の形姿を現出させるほど密ではないが、それでも《成長力》としてある程度の密度を持ち、《生殖力》としても微かに痕跡を残す。 さらには地中の水が媒介する満月の作用力を受けた生命性が植物のまわりに存在する。

■06-34

大地があり、水に満たされた大地があり、月があります。 月は光を大地に送り込み大地を活性化し、エーテルを揺り動かすが、大地に水が浸透しているとそれが容易で、乾燥すると困難になる。 水は単に月の作用の仲介者で、本来、活性化されるべきは固体である《地》そのものである。

■06-35

さて、冬、そして春にかけても雨が多いと、地中の月の作用が強くなり過ぎ、大地が活性化され過ぎることがある。 月による大地の活性化が適正だと、植物は正常に生育し、種子を付ける。 種子ができあがるのにふさわしいくらいに大地の生命性が上昇して来る。

■06-36

月の作用が強過ぎ大地が過度に活性化されると、下から上への生命力作用が強過ぎ、本来、種子形成で現われるべきものがそれ以前に現われてしまう。 活性力が強過ぎると、それが上には達せず、その密度ゆえにより下方で作用する。 すると種子形成に対し月の作用が不十分になり、種子が死への傾向を持ち、この死に向かう活動によって種子レベルに、地面と同様の働きを持つ、言わば第二の地表が形成される。 本来の地表では植物の種子が育つが、第二の地表では寄生生物や菌類が育つ。 黒穂病などのいわゆる植物病はこうした道筋で現われる。 結実の力は、月の作用が正常で強過ぎない必要がある。 奇妙な話だが、月の力が弱過ぎるのではなく強過ぎるために植物病が発生する。

■06-37

この場合、大地から過剰な月の力の負担を取り除けばよい。 つまり、過剰な月の力を大地に媒介するのは水なので、水から仲介力を奪い、大地に《地》的な力を与える作用を加える。 スギナ(Equisetum arvense)をかなり濃いお茶にしてからそれを薄め、黒穂病を予防したい圃場にごく微量、ホメオパシー的希釈度で液肥のように撒く。

■06-38

人体へのスギナの作用は腎臓機能へ迂回しつつ作用する。このことがスギナ茶でも関係する。 スギナ茶を器具も用いず簡単に散布すれば、わずかな量で広範に作用することを検証できるはずである。 植物は病気にならないので、これは本当の意味での治療薬ではなく、月作用によるプロセスの逆プロセスである。 動物の成長、さらには動物の正常や異常も後に考察するが、自然のさまざまな領域での真の作用を観ることで、成長を現実に掌握できるようになる。 これが本来の学問である。 現行のいわゆる学問は、事象を単に集積しているだけで学問とは呼べず、本当の学問では実効ある諸力を手中に収めていなくてはいけない。

■06-39

植物、動物、植物に寄生する生物などは、それ自体単独では捉えることはできない。 磁針が常に北を向くことは、地球全体を見てはじめて理解できる。 それと同様に、植物を理解するには、植物、動物、人間、さらには宇宙全体を観なくてはならない。 すべての生命は宇宙全体から生じ、地球にあるものだけから生じるのではないからである。 自然は一つの全体であり、あらゆる方向から諸力が作用している。 この諸力作用は誰の目にも明らかで、それに対し感覚を開くことで自然が捉えられる。 現代学問は狭い世界に入り込みすぎている。 マクロコスモスへの道を見つけることで、いくらかでも自然を理解し、他の事柄も理解できる。