2015年1月1日木曜日

『自由の哲学』、1918年新版への序文

■00-01:すべての支えとなる観点と自由の可能性の吟味

本書では、人間の魂の営みに関する二つの根本問題が述べられている。 人間には体験や学問を介して多くが近づいてくるが、それらが自立的であるとは感じられない。 そこで一つ目の問いは、こうしたものすべてにとっての支えとなる観方が、人間のあの構成要素に対する観方で可能なのだろうかという問いである。 疑問の提起や批判的判断を原動力に、この不確かな領域に入り込んで行くだろう。 もう一つの問いはこうである。 意志的存在としての人間を自由と見なせるのだろうか、それとも、自由は単なる幻想なのだろうか。つまり、自然現象が必然の糸に操られているのと同様に、人間の意志も必然に支配されているものの、人間がそれを見抜けないがために自らを自由と錯覚しているだけなのだろうか。 これらの問いは、妄想の空まわりから生じたものではない。 ある特定の魂の状態ではごく自然に魂内に生じる問いである。 意志は自由であるのかそれとも必然に縛られているのかという可能性を真摯に吟味しなければ、魂の本来の姿ではないとすら感じられるかもしれない。 本書で示すのは、第一の問いに対して人が取る立場いかんで、第二の問いにおいて人がどのような魂的体験をすることになるかである。 他の認識にとって支えとなりうる、人間の構成要素に対する観方が存在することを証明しようとする試みである。 さらにこの観点からは、自由な意志を展開しうる特定の魂領域を見つけ出しさえすれば、意志の自由という理念が完全に正当であることを示す。

■00-02:実際の魂的活動に用いるべき哲学

この二つの問いに関連しているここでの観方とは、それがいったん得られれば、それ自体が生き生きとした魂の営みの一部になりうるものである。 ここでは理論的解答は提供しないし、そうした解答はいったん得られれば、あとはその確証が記憶に保持されるだけである。 本書の根底にある考え方からすれば、そうした解答は見かけだけでしかない。 完成した最終解答を与えるのではなく、魂のある体験領域が示される。その領域では、必要とされるいかなる瞬間にも、自らの魂的活動によって常に生き生きと新しい答えが示される。 こうした問いが繰り広げられる魂領域をいったん発見した人間には、この領域を実際に観ることで、この二つの人生の謎を解くに当たって必要なものが与えられる。 そして、その手に入れたものとともに人は謎多き人生において、運命や欲求が導く深みや広がりに入り込んでいく。 ……その独特の営みによって、そしてその独特の営みと人間の全魂的営みの類縁性によって、その正当性と有効性が証明される一つの認識が、これによって名乗りを上げたはずである。

■00-03:後の霊学研究との関係

25年前に本書を執筆したときには、本書の内容について以上のように考えていた。 今日でも私は、本書の最終的な思想を示すとするなら同じように書かざるをえない。 当時の執筆にあたって私は、ここで挙げた狭い意味での二つの根本問題と関連する事柄以外は語らないよう自制していた。 後になって私が語り始めた霊的経験領域について、本書ではまったく触れていない。それを不思議に思うなら、当時の私は、霊的探究の成果を述べることではなく、そうした成果を得るための基礎を築こうとしていたとお考えいただきたい。 この『自由の哲学』には、自然科学の特殊な成果は盛り込まれていないし、特別な霊的成果も盛り込まれていない。 しかし、それらの認識を確実に進めようとする者にとって不可欠であると私が確信する内容が盛り込まれている。 何らかの個人的理由から私の霊的探究の成果とはかかわりたくないと考える人にも、本書の内容は許容しうるはずである。 また、霊的探究の成果に魅力を感じる人にとっても、ここでの試みは重要でありうる。 あらゆる認識の基礎となる二つの基本問題に向けられた囚われのない観察が、「人間が真に霊界に生きる」という観方につながっていくことを証明しようとしているからである。 本書では、霊的経験に入る前に、霊的領域の認識が正当であることを示そうとしている。 そしてその正当性を示すに当たっては、本書の論旨に自ら入り込もうとするか、あるいは入り込めるなら、ここで語られる内容を考えうることと思えるために、本書のいかなる場面でも、私が後年に明らかにした高次の体験を参照する必要がないように留意した。

■00-04:新版での変更の理由

このように、本書はある意味では霊学関連の私の著書とはまったく違った位置づけになるが、見方を変えれば、そうした著作とも密接に結びついている。 これらを考慮した上で私は、25年を経た今、本質的には内容をまったく変えずに本書を復刊することにした。 ただ多くの章で、長めの補足を加えた。 私の論述が誤解を受けた経験から、こうした詳細な補足が必要と思われた。 四半世紀前の記述の中で、今日、言葉不足と思われた部分だけを変更した。 (こうした変更を、私の基本的信念の変更と曲解するのは、悪意しかありえないだろう)。

■00-05:新版が遅れた理由

本書は長年、品切れであった。 今述べたことからも明らかなように、この二つの根本問題に関する25年前の内容を今日も語り続ける必要があることは私にはわかっていたが、この再版の完成を長年ためらっていた。 初版刊行以来、おびただしい哲学的見解が提出され、それらを検討すべきか否か、またどこで検討すべきかを、私は再三自問していた。 また最近の私は、霊的領域の探究に没頭していて、こうした検討を思うように行なえない状況にあった。 現代哲学の諸業績を可能なかぎり根底から展望した結果、そうした吟味検討はとても魅力的ではあるにしろ、本書で述べられるべき内容にはふさわしくないと確信した。 最近の哲学の傾向について『自由の哲学』の観点から述べるべき事柄は、私の『哲学の謎』の第二巻で読むことができる。
1918年4月 ルドルフ・シュタイナー

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