2015年6月9日火曜日

『農業講座』第7講、コーベルヴィッツ、1924年6月15日

■07-01

私たちに残された時間の中で、これまでの考察に畜産、果樹、蔬菜栽培について考察を加えたいと思います。

■07-02

そのために残された時間は多くはありませんが、今、掲げた事柄を理解し、洞察するためにやれることを行なわなかったら、農業という活動領域での実りある出発点を考察していないことになります。 そこで今日はこの問題を取りあげ、明日は実践における具体的な問題について触れたいと思います。

■07-03

かつての本能的な農業では当たり前に行なわれていたにもかかわらず、現在では完璧に忘れ去られた事柄があります。 今日は、そうした事柄についてお付き合い願いたいと思います。 ここでは人間は除外しますが、鉱物、植物、動物といった自然界の諸存在は、しばしばそれぞれが孤立したものと見なされます。 植物をそれ自体として見ることから始まり、植物種をそれ自体として見て、隣の別種の植物もそれだけで見ることに慣れてしまっています。 植物を種や属といった小箱にきっちりと分類し、それによって事柄がわかるはずだとしています。 しかし自然界はそうではありません。 自然界、宇宙的存在の中では、あらゆるものが互いに関連し合っています。 常に、あるものが他者に働きかけます。 物質主義の現代では、そうした相互作用も非常に大雑把にしかたどりません。 食べられた物が消化されるとどうなるかとか、動物の糞が畑に撒かれるとどうなるかといった具合です。 そうした大雑把な相互関係しかたどりません。

■07-04

こうした大雑把なものの他に、繊細な諸力やより繊細な素材を介し、熱を介し、大気中に絶えず働く化学エーテルを介し、生命エーテルを介し、絶えず種々の相互作用が生じています。 こうした繊細な相互作用を考慮しませんと、農業実践における特定の部分では前進が望めません。 営農上の動植物の共生を問題にするのですから、そうした自然の親密な相互作用をしっかりと見なくてはなりません。 その際、牛、馬、羊といった身近な動物だけではなく、たとえば植物の中を一定の時期に飛び回るさまざまな昆虫にも目を向けなくてはなりません。 それだけでなく、鳥の世界も理解しつつ見なくてはなりません。 それに加え、現代の人類は、現代生活の諸状況によって特定の地域で特定の鳥が追い出されたことで農業や林業にどのような影響があるかという点を正しく認識していません。 こういった事柄に対しても霊学的な、さらに言えばマクロコスモス的な考察から光を投じなくてはなりません。 洞察を進めるにあたって、これまで身につけてきたことのいくつかを応用します。

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ナシ、リンゴ、プラムなどの果樹はその外見からしても、草本や穀類などとはまったく違います。 事柄に即して見たときに、樹木が草本とどれくらい違っているかを見なければ、自然の営みにおける果樹の役割は理解できないでしょう。 ですからまず、樹にできる果実の話をします。

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さて、樹木を観察しましょう。 自然の営みにおいて、樹木とは何なのでしょうか。 樹木を理解しようとしつつ観ますと、樹木における植物的部分とは、細い茎、緑の葉、花や実において生育するものだけです。 草が大地から生えるように、これらのものが樹木から生えます。 樹木とは、枝先から生えるものにとっての大地の役割を果たしています。 つまり樹木とは、盛り上がった大地で、草やイネ科植物が生える大地よりも生命性をやや多く持っているのです。

■07-07

樹木を理解するには、そこには太い幹があり、それにある意味で太い枝や小枝も含まれていると見なくてはなりません。 そしてそこから、葉や花といった本来の意味での植物が成長し、伸び出てきます。 草やイネ科植物は大地に根を張っていますが、これらの葉や花は幹や枝に根を張っているのです。 すると疑問が生じます。 これらの葉や花は樹木に寄生しているのだろうか、また実際に根を張っているのだろうか。

■07-08

樹木の中に本当の根は見つかりません。 正しい理解のためにはこう考えなくてはなりません。 上の方で花や葉や茎を展開するこの植物は、樹木の上で成長することで根を失ったと。 しかし根がなければ完全な植物とは言えません。 植物には根が必要です。 ですから、この植物の根はどこにあるのかと問う必要があります。

■07-09

根は単に外から見るだけでは見えません。 この場合、根を見ようとするだけでなく、理解しなくてはなりません。 根を理解するとは、どういう意味でしょうか。 具体的に比較しながら見ていきましょう。 草を地面に密に並べて植え、それらの根が絡まり合い、全体がお互い同士もつれ合った根の塊になると思ってください。 この根の塊は無秩序であろうとはせず、一体なるものに統一され、地中では植物内の液が互いに流れ込みあいます。 このように有機化した根の塊では、根の始まりや終わりはわからなくなっています。 こうして、植物における一体的な根の本性が現われてきます(図参照)。


■07-10

ここに描いたものは、現実に存在する必要はありませんが、これでわかりやすくなります。 これが地面です。 ここに植物をすべて植えます。こんな風です。 するとこの下で、すべての根が入り込み合って成長します。 そして非常に平面状になった根の層ができます。 根の始まりも終わりもわかりません。 ここで仮説として描いたことが、樹木の中で実際に起こっています。 樹上に生える植物は、根を失ないました。 それだけでなく、この植物は根から比較的離れ、いわば根とはよりエーテル的にだけ結びついています。 ここで仮説として描いたこの部分は、樹木では形成層に当たります。 形成層とは、樹上に生える植物にとっての根の代替とみなせます。

■07-11

形成層の外観は根のようには見えません。 形成層は絶えず新しい細胞が作り出される形成する層であり、成長はそこから展開していきます。 これは地下の根から草状の命ある植物が上に展開していくのと同じです。 形成層とは新しい細胞を作り出す真の形成的な層で、樹木のそれ以外の層では新しい細胞は作り出せません。 それを持つ樹木では、《地》が樹の中に持ち上がり、《風》に向かって広がり育ってるのが見られますし、そのため生命性をより多く内面化する必要があります。 通常の根も内に持つ生命性を持ちますが、その場合に大地が持つ通常の生命性より多くを内面化する必要があるのです。 これによって、樹木を理解し始めます。 まず樹木を奇妙な存在として理解します。 つまり、その上に生育する茎、花、果実や根といった《植物》を互いに引き離し、霊によってのみ、詳しく言えばエーテルによってのみ結びつけているのです。

■07-12


こうしたやり方で、マクロコスモス的理解と共に成長を観る必要があるのです。 これははるか先にまで続きます。 樹木が生じることによって何が起きるのでしょうか。 次のことが起こります。 樹木の上の方で成長するもの、《風》や外的な《熱》の中にある植物的なものは、地面の直近にある《風》や《熱》の中で育ち、地面から直接生育する草本の植物とは違っているのです。(図参照)。 これは別種の植物世界であり、周囲のアストラル性とはるかに親密な植物世界なのですし、このアストラル性は《風》と《熱》の中に放出され、それによって《風》や《熱》が人間や動物に利用できるより鉱物的なものでありえます。 大地から生える植物を見ますと、それらの周りにも私が述べたアストラル的なものが漂い、雲のように覆っています。 しかし樹木の近くではこのアストラルがはるかに濃密です。 樹木付近ではアストラルが濃く、樹木とはアストラル実質の集積と言えます。 樹木は、明らかにアストラル実質の集めています。

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この領域では、認識をより高めることが最も容易なことを言っておきたいと思います。 この領域で努力をすれば、ここでは容易にエソテリックな領域に達することができます。 霊視力はすぐには得られないでしょうが、地上から生える植物から発せられるさまざまなアロマと、果樹の最初の花から、あるいは森からのアロマに対する特定の嗅覚を育てれば、霊嗅覚は非常に容易です。 すると地面から生える草から匂うアストラル性が微弱な植物的雰囲気と、樹冠から漂ってくる素晴らしい香りのアストラル性の豊富な植物的雰囲気の違いを区別できるようになります。 こうして地面から生える植物と樹木の匂いを区別し、個別化し、嗅ぎ分けていきますと、前者には希薄なアストラル性、後者には、濃厚なアストラル性に対する霊的嗅覚を身に付けることができます。 ……このように農業では容易に霊的嗅覚を身に付けることができます。 近年では、かつての本能的な霊視時代ほどにはこれを利用しなくなりました。 しかし、私が述べましたように、農家の方は霊的嗅覚を身に付けることができます。

■07-14

さらに先へと導いてくれるものを見据えるなら、次のように問う必要があります。 樹冠の寄生的植物は樹の周囲にアストラル的に作用しています。それでは、ある意味でその対極とは何でしょうかと。 形成層によって何が起きているのでしょう。形成層は何をしているのでしょう。

■07-15

樹木の周囲にはかなり広範にアストラル的な霊的大気があります。 草状のものが樹上に生育しますと、何が起きるのでしょうか。 すると樹木は、特定の内的活力、エーテル性、ある種の強い生命性を得ます。 ここで形成層はこの生命性をやや押し下げ、鉱物に類似したものにします。 つまり形成層の作用は 樹木の上方では樹木の周囲にアストラル的なものが生じるのに対し、形成層では内に通常よりもエーテルの欠乏状態が樹木の中に生じるように作用します。 エーテル欠乏が生じます。 樹木の内部で形成層によってエーテル欠乏が生じると、これはさらに根にも影響を与えます。 樹木の根は鉱物的になり、草本植物の根よりもずっと鉱物的になります。

■07-16

しかし樹木の根が鉱物化することによって、今度は根の中に残っている生命性の中に土壌中のエーテル性を吸い取ります。 樹木の根は、その周りの大地を草本植物の周りよいくらかより死んだ状態にします。 これはしっかり理解していなくてはなりません。 そしてこうした自然界の出来事は、いつでも自然の営みにおいて重要な内的な意味を持っています。 ですから、樹冠周囲のアストラル的潤沢性と、樹根周囲のエーテル的欠乏とが持つ自然の内的な意味を探さなくてはなりません。

■07-17

そこでいろいろ見渡しますと、自然の営みにおけるさらなる事柄が見えてきます。 豊かなアストラル性として樹木を貫いているものによって、昆虫の成虫が生き、活動しています。 昨日は人間のカルマとの関係で、霊的なものは常に全体に作用すると述べました。 ここでも同じで、大地内で、さらには樹木全体に広がるエーテル欠乏は、下方においては幼虫に作用します。 ですから、地上に樹木がなかったら、地球上に昆虫も居なかったはずです。 樹木が昆虫の存在を可能にしているからです。 樹木の上部の周り、森全体の周りを飛び交う昆虫は、森の存在によって命を受け、幼虫もまた森の存在によって生きているのです。

■07-18

ここには、根の本質と地下動物の世界との緊密な関係を知る手掛かりがあります。 今まで述べた事柄は、特に樹木を観ると特によくわかるからです。 樹木ではそれが明確です。 しかし最も重要なのは、この樹木において特に明確に現われている事柄が、植物界全体で微妙なニュアンスで存在していて、いわばすべての植物に樹木志向がある点です。 あらゆる植物において、土に取り巻かれた根はエーテルを減らそうとし、また上に生育する部分はアストラルをより密に引き寄せようとしています。 本来、あらゆる植物が樹木への意志を内に持っています。 ですから、樹木において特徴的であることを示した昆虫世界とのつながりは、どの植物にもあります。 この植物と昆虫とのつながりは、さらに拡張して動物界全体へと向います。 昆虫の幼虫は樹木の根があることで地球上に生きられますが、これらはかつてこれらと類似し、程度の差こそあれ生涯を幼虫状態で過ごし、樹木の根的なものからある程度解放され、草本の根的なものと共に生きることができるようになった別の動物に進化しました。

■07-19

さてここで特異なこともわかります。 昆虫の幼虫とはかけ離れてはいますが、地中動物が大地のエーテル的生命性が強すぎるときに、それを調整する能力を持っていることがわかります。 大地が過度に活性化され、生命力が大地においてあふれ出てしまいますと、この地中動物が土壌からこの強すぎる生命力を軽減してくれます。 これによって彼らは、地中に存在する過剰な生命力にとっての素晴らしい安全弁、調整器になります。 こうして土壌に対し非常に重要な役割を果たすこの黄金の動物とは、ミミズです。 本来、ミミズと土壌との共生関係を研究することが望ましいのです。 植物成長にちょうど必要なだけの適度なエーテル性を大地に残してくれる素晴らしい動物だからです。

■07-20

地中には昆虫の幼虫を思わせるミミズやそれに似た動物が居ます。 ですから本来ならある種の土壌に対しては、その様子を見て、そこに居てくれれば望ましいミミズの飼育も視野にいれた方がよいでしょう。 地中の動物界をこのように調節しますと、植生に対しても、さらには動物界にも……これはまた後に見ますが……、望ましい影響が見えてきます。

■07-21

さて成虫として飛び回る昆虫には、動物とのかけ離れた類似性があります。 それが鳥の世界です。 知られているとおり、地球進化の過程で、昆虫と鳥の間に素晴らしいことが生じました。 その成り行きをイメージとして述べようと思います。 昆虫はあるときこう言いました。 「樹木のまわりに漂うアストラルをきちんと収めるには、私たちは力不足だと感じます。 ですから私たちとしては、樹木以外で樹木になりたいと思っている植物を利用し、その周りを飛び回り、樹木を囲むアストラルについては鳥の皆さんにお任せします」。 こうして自然界において鳥と蝶の正しい分業が生まれ、この両者の働きが相まって、これらの飛ぶ動物によって、大地の表面や空気の中で必要とされるアストラルを隅々まできちんと配分されているのです。 この飛ぶ動物を追いやってしまと、アストラルが正常に働けなくなり、その結果、植生が萎縮してしまいます。 つまり飛ぶ動物と大地から大気中に成長して出てくるものは、同属なのです。 どちらか一方を欠くということは考えられません。 それゆえ農業経営においては、昆虫や鳥が正しく飛び回っているかにも目を向けることが望ましいのです。 農業者自身が同時に、昆虫や鳥の飼育についてもいくらかは理解していると望ましいです。 自然においては、何度でも強調しなくてはなりませんが、あらゆるものが関連し合っているからです。

■07-22

事柄を深く洞察するにはこうしたことは非常に重要ですので、これらを非常に精密に心に描き出そうと思います。 飛び回る昆虫の世界は、大気を正しくアストラル化しています。 私たちの体内ではある力が血液を正しく導いていますが、森はアストラルを正しく導きます。 そしてこの森が、大気のアストラル化と相互に作用し合っています。 森は非常に広い隣接地域に対して作用しますが、森がない地域では、こうした影響を別な何かで補わなくてはなりません。 森、圃場、草原が隣接している地域と、彼方まで森のない地方とでは、大地の成長力を支配する法則性がまったく違うことを理解している方がよいでしょう。

■07-23

地球上には、人間が手を加える前から豊かな森であったとわかる地域があります。 特定の事柄については自然は常に人間より賢いのです。 自然の森が存在する地域では、周囲の農業や周囲の田畑に役に立っていると見て良いでしょう。 そうした地域では、森を絶滅させてはいけませんし、むしろよく手入れすることが望ましいのです。 大地は気候的や宇宙的な影響によってしだいしだいに変化しますので、植生が衰えてことに気づいたら、単に圃場に対し、圃場にためにさまざまな実験をするのではなく、農場周辺の森の面積を増やすことを心がけるとよいのです。 また、植物は繁茂するものの十分な種子形成力が失われていることに気づいたら、森の面積を減らすとよいでしょう。 すでに樹木が生えていた場所で森を整備することも農作業の一つですし、その意味合いは霊学的な面から捉えられなくてはなりません。

■07-24

ミミズや幼虫の世界は大地の石灰という鉱物質と、また飛び回る昆虫や鳥の世界はアストラルと相互関係を持つと言えます。 地下のミミズや幼虫の世界は、鉱物質、とくに石灰分をもつものと相互関係にあるために、エーテルを正しい仕方で弱めますし、この点については数日前に述べました。 この役割は石灰分にありますが、この役割を幼虫や昆虫世界との相互関係において果たしています。

■07-25

私が述べてきたことをさらに個別の場合で深めますと、本能的霊視力があった時代には感情によって正しく応用されてきた別な事柄に行き当たります。 私はその事柄をそこまでの確実さでお伝えする自信はありません。 ただ人はそれに対する本能を失いました。 知性がすべての本能を失わせ、知性がすべての本能を根絶やしにしました。 人間がこれほどまでに利口になり、これほどまでに知的になってしまった責任は物質主義にあります。 人間がここまで知的でなかった時代には、利口ではありませんでしたが、はるかに賢明でしたし、感情から物事を正しく扱うことを知っていました。 そして、この物事の正しい扱いを、今度は意識的に行えなくてはなりません。 そのために必要なのは、利口さではなく、あらゆるものにおいて叡智に近づくことなのです。 アントロポゾフィーは決して利口ではありませんが、賢明さを目指していますし、「人間は物質体、エーテル体等々からなり」などとお題目を覚え、レシピのようにそれをブツブツ言っても叡智には近づけません。 そんなことではありません。そうではなく、こうした認識をあらゆるところに導入し、あらゆるものの中に見て、……私がここで皆さんと検討してきたやり方で、真に霊視できるようになりますと……自然界において物事の在り方を本当に区別できるようにまで導かれます。

■07-26

すると、鳥が行なうことを有益なものに変容させる針葉樹林が鳥世界の近くにないと、それが有害になることがわかります。 ここでさらに目を鋭くしますと、別な類縁関係が見えてきます。 鳥類と針葉樹林の奇妙な類縁関係を認識しますと、さらにもう一つの類縁関係が明確に現われてきます。 初めそれは、私が紹介したもののように非常に繊細な類縁関係ですが、より大きなものに置き換えることができます。 高木にはならないにしろ小さい植物でもないもの、つまりハシバミのような灌木類に対し、哺乳類が内的な類縁関係を持っているのです。 ですから農場において哺乳類相を改善するには、灌木を植えるとよいのです。 灌木類が存在するだけで、農業に良好な作用を及ぼします。 自然においてはすべてが相互に関係し合っているからです。

■07-27

さらに進みましょう。 動物は人間ほど愚かではないので、彼らはこうした類縁関係にすぐに気づきます。 そして自分たちが灌木を愛していること、灌木への愛を生まれつき持っていることに気づきますと、動物は喜んでその灌木類を食べ、他の餌に対する非常に大きな調整力のために必要なものを食べ始めるのです。 自然におけるこうした親密な類縁関係を辿りますと、そこから害虫類の本質について見えてくるものがあります。

■07-28

針葉樹林が鳥に対して、灌木類が哺乳類に対して緊密な関係を持つのと同じように、菌類全般(キノコやカビ)は下等動物やバクテリア類、つまり有害な寄生生物に対して密接な関係を持ちます。 有害な寄生生物は菌類と共生しており、菌類が拡散的に現われる場所で成長します。 これによって植物の病気が生じ、植物の大きな損傷となるものが生じます。 それゆえ農場の近くに森だけではなく低湿地があれば、低湿地の土壌は菌類に最適ですので、農場に対して非常に特別な作用を及ぼします。 そして、低湿地の土壌に菌類が生育しているかを見るとよいでしょう。 すると、奇妙なことを経験するでしょう。 つまり、それほど広くないにしろ、この菌類が繁殖する低湿地が農場の近くにありますと、菌類がバクテリアや他の寄生生物と類縁関係であるために、それらを他の地域から引き離すのです。 菌類は他の植物よりもこれらの寄生生物と共生しやすいからです。 植物に有害な生物の駆除についてこれまで述べてきた事柄と並んで、低湿地を作ることで、有害な微小生物や小害虫などを農場に近づけないための大きな可能性が生まれます。

■07-29

森、果樹園、灌木、自然の菌類繁殖地としての低湿地を適切に配分しますと、農業にとって有益で、それによって耕作面積が多少犠牲になったとしても、より多くが得られます。 私の話をすべて無視した方が耕地を増やせるなどと頭で考え、可能な限り土地を使い切っても、それは決して経済的なやり方ではありません。 作付け面積を増すこともよくないですし、他を犠牲にして面積を拡大することで得られる結果もずっと悪いことになるでしょう。 農業のように自然と向き合う実業は、自然界の諸関係、自然界の相互作用についてこうしたやり方で洞察を深めなければ続けることはできません。

四大の視点から観た動物と植物の関係


■07-30

さて、残った時間は、植物の動物に対する関係、あるいは逆に動物の植物に対する関係を心に描くための視点を洞察することにしましょう。 動物とは何であり、植物世界とは何なのでしょうか。

■07-31

植物世界では、植物世界全体として語らなくてはなりません。 動物とは何であり、また植物世界とは何なのでしょうか。 この両者の関係を明らかにしなくてはならないにしろ、その出発点は、これについて何かがわかるにしろ、家畜についてしか理解できないという点にありまります。 植物と動物の正しい関係のもとで行なわれているときにのみ、給餌も正しく行なわれうるからです。 動物とは何でしょうか。

■07-32:動物について

動物をあるがままに眺め、解剖することもできます。 すると骨格があり、そのフォルムに喜びを覚え、また、以前述べたように研究することもできます。 また筋肉や神経組織を研究することもできます。 しかし自然界の営みの中で動物がどのような位置にいるかは、それではわかりません。 それを明らかにするためには、 動物がその周囲において何と非常に密接な相互関係を行なっているかを見なければ、それは明らかになりません。 動物は《風》や《熱》を介してその周囲からやって来たものすべてを、神経感覚系や呼吸系の一部で直接に加工しています。 動物は個としての存在ですから、本質的に神経感覚系を介して、《風》と《熱》に直接手を加えるのです。

■07-33



動物はこのように図式化できます(図参照)。 神経感覚系や呼吸系の一部といった動物の表層にあるものすべてにおいて、動物は個的存在で、それは直接に《風》と《熱》の中に生きています。 《風》と《熱》に対し動物は非常に直接的なつながりを持ち、月と太陽の作用が《熱》によって仲介されることで、《熱》からその骨格系が形成されます。 また《風》からは動物の筋肉組織が形成され、そこでもまた月と太陽の作用が《風》に仲介されています。

■07-34

それに対し直接的な作用によって動物は、《地》や《水》を作りかえることはできません。 《地》や《水》は直接には作りかえることができないのです。 《地》と《水》を動物は自分の内部に取り込まなくてはならず、それゆえ外から内への流れを持つ消化管が必要になります。 そしてその内部で、《熱》と《風》からなるものと共に、代謝系と呼吸系の一部によってそれに手を加えます。 このとき呼吸系は代謝系へと移行していきます。 呼吸系の一部と代謝系の一部を用いて動物は《地》と《水》に手を加えます。 《地》と《水》に手を加えるにあたって動物は《風》と《熱》を介さなくてはなりません。 動物は《地》と《水》の領域ではこのように活動しています。 ここで述べている加工とは、当然ながら物質的な意味というよりは力的なものです。 これに対し、植物ではどうなっているかを見てみましょう。

■07-35

動物は《風》と《熱》に直接に関係していますが、植物は《地》と《水》に直接に関係しています。 それゆえ植物は、一種の呼吸を介し、また感覚系と離れたものと似た何かを介し、動物が《風》と《熱》を取り込むのと同様に、《地》と《水》を直接自分の中に取り込むのです。 つまり植物、直接《地》と《水》で生きています。

■07-36

ここで皆さんはこう言うかもしれません。 動物が《風》と《熱》で生きるように、植物が直接《地》と《水》で生きることがわかれば、動物が《地》と《水》に体内で手を加えるのと同じように、植物はその内部で《風》と《熱》に手を加えるはずだろうと。

■07-37

しかし実際はそうではありません。 もし霊的真理に到達しようとするなら、知っていることからアナロジーで類推することはできません。 事実はこうです。 動物が《地》的なものと《水》的なものを取り込み、それに内で手を加えるのに対し、植物は《風》と《熱》を地面で共に体験することで、《風》と《熱》をまさに外に排出しているのです。 つまり《風》と《熱》は植物内に入るのではなく、あるいは、本質的には深くまで入ることはなく、外に出ていき、植物によって消費し尽くされる代わりに、排出されるのです。

■07-38

ここで問題になるのが、この排出プロセスです。 有機体として見た場合、植物はさまざまな点において動物と表裏の関係にあります。 動物では栄養摂取が重要であるのに対し、植物では《風》と《熱》の排出が大切で、動物が栄養摂取によって生きることには、植物では《風》と《熱》の排出によって生きることが対応します。 ここから植物は無垢であると言えるでしょう。 つまり、自らの本性からは何一つ取り込もうとせず、反対に動物が世界から取り込み、それによって生きるものを与えるのです。 このように植物は与え、与えることで生きのです。

■07-39

このgive and take に注目しますと、ここでもまた古い本能的な認識ではこの事柄が重要な役割を演じていたことを認識したことになります。 アントロポゾフィー的考察から引き出された定理です。 「自然界の営みでは、動物が受けとるものを植物が与える」。 これはかつて、本能的な霊視的自然洞察から言われていたことでした。 こうした事柄に特に感性が豊かだった人々の間では多くのことが後代まで残っていましたし、ゲーテがよく言っていたぴったりの言葉が見つかります。 「自然界ではすべてが与えることと受け取ることで生きている」。 ゲーテの作品を読んでいきますと、この言葉に出会うはずです。 ゲーテはこの言葉を本当には理解していませんでした。 しかし彼はそれを昔の用法や伝統から掘り起こし、それに対し、「この定理には、自然界における何らかの真実が表現されている」という感情を持っていたのです。 彼以降の人々は、これらについてもはや何も理解できませんでしたし、ゲーテが与えることと受け取ることと語る際にどのような意味を込めていたかも理解しませんでした。 ゲーテは呼吸もまた、それは代謝と相互関係を持ちますから、受け取ることと与えることであると述べています。 明瞭に、また不明瞭に、彼はこの言葉を暗示していました。

■07-40

地上において森、果樹、灌木類が植物成長を正しい仕方で形づくるための調整者であるとおわかりでしょう。 また地下におけるそれに類する調整者は、石灰と共に働く幼虫、ミミズ、その他の動物です。 このように、 蔬菜栽培、果樹栽培、家畜の関連を見るのが望ましく、そこから実践に移るのが望ましいのです。 私たちに残された最後の講義では、こうした事柄を可能な限り検討し、素晴らしい実験グループ「リング」のみなさんが実践的にさらに進められるようにしましょう。

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