2014年12月1日月曜日

『一般人間学』、第01講、 シュツットガルト、1919年8月21日


目次

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■基礎づけ:霊界とのつながりは新たな教育の前提条件(01~02)

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▲《主知的・感情的とモラル的・霊的》-物質主義と霊学(01)

01-01 私たちの課題は単に知的あるいは感性的な仕事ではありません。 それは最高次にモラル的・精神的・霊的な課題です。 ですから、教育という課題に向かうに当たって、まず霊的世界との関連を視野に入れなくてはなりません。 私たちの課題は単に地上的・物質的なものではないのです。 ここ数百年、自分の課題を物質的なものだけに限る傾向が支配的ですし、それが唯一無二と信じ込んでいる人が多いのです。 人間がやるべきことを物質的なものに限定して考えてしまうために、教育も本来のあり方から逸脱してしまっています。私たちの課題は、このずれを修正することです。 それゆえ、私たちが教育という仕事を始めるにあたって、まず次のことに考えを集中したいと思います。 私たち一人ひとりは、霊界の諸力からの委託に沿って働かなくてはなりませんが、私たちはそうした霊界の諸力に対し、どのようにしたら関係を作り出すことができるのか、という点にです。 ですから、これから語る導入の言葉を、私たちの背後に立つ、イマギナチオーン的、インスピラチオーン的、イントゥイチオーン的諸力存在に対する一種の祈りと受け取っていただくよう、お願いいたします。

▲《世界秩序の祝祭的行為》(02)

01-02 …皆さん! この学校の持つ特別な課題を知り、ここでの責務の重要さを感じ取ってください。 この学校では何か特別なことが実現される、という点をしっかりと心に刻むなら、それができるのです。 この学校設立は決して日常的なものではなく、宇宙秩序における祝祭的行為であると見て欲しいのです。 その意味で私はまず、人類発展に寄与すべく、ヴァルドルフ学校設立の決意へとエミール・モルト氏を導いた善き霊たちに深く感謝したいと思います。 貧困と悲惨から人類を救い、教育によってさらなる発展段階へと導かんとする尊き霊の御名において、私は深い感謝の念を捧げます。 モルト氏はこの課題のためには、自分が力不足だと自覚しています。 しかし、私たちが彼と共に、この始まりの瞬間において、この偉大な課題が祝祭的雰囲気の中で宇宙秩序に組み込まれたと感じるなら、氏も私たちの中心にあって正しい力を発揮することができるでしょう。 この観点から、仕事を始めましょう。 ここに会する一同を、カルマが導いた同胞とみなしましょう。そして、ここから始まるのは日常的な事柄ではありません。この祝祭的な宇宙的瞬間を感じ取った者たちの協働から何かが生じるのです。準備のための連続講演がこのような祝祭的な雰囲気の元で開会いたしましたが、この続きは連続講座の最後、つまりすべてを語り尽くし、課題がより具体的になった時点で述べたいと思います。

■第五文化期の教育課題:物質主義とエゴイズムの克服(03~09)

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▲時代の状況と時代からの要求(03~06)

01-03 ここから検討を始めていきますが、それは教育的課題の検討から始めていかなくてはなりませんし、それについてきょうは導入的にお話ししようと思います。 私たちの教育的課題とは、人類がこれまでに果して来た諸々の教育的課題とは別のものです。 このように言うのは、何も私たちが宇宙的秩序からの新たな教育を展開することを自惚れているからではなく、人類の発展には段階的なエポックがあり、エポック毎に人類の課題が新しくなるという事実を、アントロポゾフィーの霊学から認識しているからです。 後アトランティス第一文化期、第二文化期では人類の課題は違っていましたが、そのような変化を経て現在は第五文化期に入っています。 そして、ある文化期で果すべき課題を人類が自覚するのは、通常、その文化期の開始からやや間を置いてからです。 01-04 現在の文化期は、十五世紀半ばに始まりました。 そして最近になって霊的な深みから一つの認識が浮かび上がってきました。 つまり、この文化期における教育的課題が今までとは違うという認識です。 人類は誠意をもって教育的努力を重ねてきましたが、それは後アトランティス第四文化期の古い教育感覚で行われてきました。 ですから、私たちが生きる現文化期の課題を見据え、この時代にふさわしい方向を進むか否かに、多くがかかっているのです。 この方向とは、すべての歴史的発達段階で重要なわけではありません。 まさに私たちのこの時代にとって必要であり重要な方向なのです。 「特定の時代には特定の課題がある」という意識が失われたのも唯物論のせいです。ですから、まず最初に、「特定の時代にはそれぞれ特定の課題がある」と考えていただくよう、皆さんにお願いいたします。 01-05 皆さんがこれから授業を受け持つ子どもたちは、すでに一定の年齢に達しています。 その子たちは、幼児期に両親の教育、ひょっとしたら「誤教育」を受けていると考えられます。 人類が進歩し、親たちが「現代人にとっての課題は、教育の第一歩から特別なものである」と理解したときに、私たちの思いは遂げられるでしょう。 しかし、幼児期の教育で何かが欠けてしまっても、その多くは就学後に取り戻すことができます。 01-06 いずれにしてもこれは明確に認識している必要がありますし、個々の授業もこの点から理解することになります。

▲現代の底流であるエゴイズム(07~08)

01-07 この課題を果すにあたって、今日の文化が精神的領域までエゴイズムから成り立っていることはしっかり覚えていてください。 精神的分野である宗教の現状を囚われなく観察し、この宗教がエゴイズムの上に成り立っているか否かを吟味してみてください。 するとまさに今日の宗教では、非常に典型的に、聴衆のエゴイズムにアピールする説教をしているのです。 たとえば、人々の深い関心である不死性の問題を見てみましょう。 すると今日では、説教すらが、超感覚的なものに対するエゴイズムばかりをクローズアップする捉え方で人間を見ていることがわかります。 人はエゴイズムから、死をもっても雲散霧消せず、自我を保ちたいと熱望するのです。 これはあからさまではないにしろ、一種のエゴイズムです。 今日あらゆる宗教で不死の問題を取り上げ、人びとが持つこの種のエゴイズムにアピールするのです。 それゆえ、今日のほとんどの宗教は、地上生存の両端のうち、一方は置き去りにし、もう一方だけを取り上げるのです。つまり「死」だけを問題にし、「誕生」を忘れているのです。 01-08 これらは明言されているわけではありませんが、そういう基調があることは事実です。 この時代にあっては、あらゆる領域を支配するエゴイズムと戦う必要があります。 そうしませんと、すでに文化的凋落の途上にある人類がさらに堕ちかねません。 地上的人間存在の一端である「誕生」をよりはっきりと認識しなくてはなりません。 そのためには、「死から次の誕生までの長い期間、人間は霊界で成長し続け、ついには霊界から見て死ぬべき地点、つまり、別な存在様式に移行しなければならない地点に達する」、という事実を意識化する必要があります。 そしてこの「別な存在様式」を、人間は肉体とエーテル体を纏うことで手に入れるのです。 肉体とエーテル体を纏うことで人間は、霊界内での成長だけでは決して得られない何かを得るのです。 子どもが肉体を纏って生まれたときから、私たちは子どもを肉眼で見るわけですが、それでも次の意識も持ちたいのです。つまり、子どもがある事柄の延長線上にある、という点です。 人間存在が死後に経験すること、つまり物質的存在から霊界へも引き継がれる点に目を向けるだけでなく、目の前の肉体的存在も霊的なものを引き継いでいること、 そして、私たちの手の届かないところで高次の諸存在が育んできたものを教育によって引き継ぐ、ということにも目を向けようではありませんか。 次のように認識するなら正しい教育的雰囲気が生まれるでしょう。 つまり、「この目の前の人間に対し、私たちは、誕生する前には高次の諸存在が行ってきたことを、行為を通して引き継がなくてはいけない」、と。

▲胎教はマイナス(09)

01-09 現代人は、考え方においても感じ方においても霊界とのつながりを失っていますから、正しい霊界の観方からしたら全く意味のない抽象的な問いを発します。 たとえば、胎教はどうすればよいか、と問うのです。 今日、多くの人が事柄を抽象的に考えます。 特定の領域では、具体的に考えるなら、問いをいくらでも重ねることはできません。 以前にも出した例ですが、道に轍があります。 すると問いが次のように続きます。 「どうして轍ができたのか?」「車が通ったから」…「なぜ車が通ったか? 」「車内の人が、どこかに行こうとしたから」…「その人はどうしてどこかに行こうとしたのか?」……。 現実に即した問いはいつか終わります。 しかし、抽象的な問いでは永遠に「どうして?」と問い続けることができます。 問いの車がころがり続けるのです。 具体的な思索は必ず結末に達しますが、抽象的な思索は、車輪のごとく無限に回転し続けるのです。 身近ではない領域の問いもこのような感じです。 人々が教育について考えますと、胎教まで問うのです。 ところが、人間存在も誕生前は、物質界より高次にある諸存在の庇護の元にあるのです。 宇宙と一人一人の存在との関係については、彼らに任せるしかないのです。 つまり、誕生前の教育とは子ども自身の課題ではありません。 誕生前の教育とは、両親、特に母親の行為の意識されない帰結なのです。 子どもの誕生まで、母親が真の意味で倫理的、かつ知的に正しくあり、自己教育を進めるなら、その結果が自ずと子どもに伝わります。 子どもが地上の光を見る前に教育を施そうなどという考えを捨て、自分自身が正しく生きようとすればするほど、子どものためになるのです。 教育とは、子どもが地上に生まれ落ち、外気を呼吸し始める時に初めて意味を持ちうるのです。

■霊・魂と身体の結びつきとしての誕生(10~12)

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▲霊・魂と身体との結合(10~12)

01-10 子どもが地上に生まれ落ちるときに子どもに何が起こるか、霊界から物質界への移行で何が起こるかを、しっかりと把握しておく必要があります。 ご承知のように、ここでまず明確にしておくべきことは、二つの部分が一体になって人間存在となっている点です。 今日の物質界では全く見えず、アントロポゾフィーの霊学で、霊人、生命霊、霊我と呼ぶ人間の霊が、物質界に入る前にまず魂と結合します。 私たちが修行によって到達しなければいけない超感覚的領域に存在するこの霊人、生命霊、霊我という三つの構成要素は、死から再受肉までの期間中に私たちと何らかのつながりをもっています。 この三者から発する力が、意識魂、悟性魂(情緒魂)、感受魂という人間の魂的なものに浸透するのです。 01-11 死と再受肉の間の存在を経て、物質世界へ降りて来る直前の人間を霊視しますと、霊と魂の合一が見られます。 魂と霊の複合体である人間が、高次の領域から地上存在へと降りてきます。 地上的存在という衣を身に纏うのです。 この高次の構成要素が結合する相手である地上的構成要素についてはこう言えるでしょう。 下の地上では、肉体的遺伝によって作られたものが、この魂霊複合体を待ち受ける、と。 こうして、魂と霊の複合体に肉体的なものが結びつき、三つの霊的存在に三つの魂的存在が結びついたものに、さらに三つのものが結びつきます。 霊魂においては、霊人、生命霊、霊我の三つに意識魂、悟性(情緒)魂、感受魂が結びつきます。 これらは互いに結びつき、さらに地上界に降りて、感受体(アストラル体)、エーテル体、肉体と結びつきます。 しかし、後者はさらに母体とも結びつき、さらには動物界、植物界、鉱物界という三つの世界とも結びついていますから、下側でも三プラス三になっています。 01-12 地上に生まれたばかりの赤ん坊を囚われなく観察しますと、魂霊複合体がまだ肉体ときちんと結びついていないことがはっきりとわかるはずです。 霊的な意味での教育的課題とは、魂霊を肉体にきちんと調和させることなのです。 両者を調和させ、相互に調整し合うようにしなくてはなりません。 誕生間もない子どもでは、まだ両者が調和していないからです。 教育者の課題とは、この二つの構成要素を調和させることなのです。

■二つの教育的課題:呼吸を教えることと睡眠を教えること(13~18)

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▲呼吸、および人間と外界の関係(13)

01-13 この課題をさらに具体的に考えてみましょう。 人間の外界に対するあらゆる関係の中で、最も重要なのは呼吸です。 呼吸は、まさにこの地上に生まれたときから始まります。 母胎中での呼吸はいわば準備的で、まだ外界と結びついている訳ではありません。 本当の意味での呼吸は、母胎を離れた時に初めて始まります。 そして、この呼吸には人間の肉体的三層構造のすべてが関係しますので、人間本性にとって非常に重要な意味を持っています。

▲呼吸と代謝作用(14)

01-14 肉体の三層性ではまず新陳代謝があります。 そして新陳代謝は、その一端で呼吸と密接に結びついていますし、さらに呼吸プロセスは代謝的な意味で血液循環と関連しています。 血液循環のもう一方の側は外界からの栄養摂取と関係していますから、呼吸の一方の側では新陳代謝系全体と関連していることになります。 呼吸にはもちろん独自の働きがありますが、一方の側では新陳代謝系とつながっています。

▲呼吸と神経感覚系の営み(15)

01-15 呼吸はもう一方で、神経感覚系とも関連しています。 吸気の際には脳水の圧力が上がり、呼気の際には下がります。 この運動によって、呼吸のリズムが脳に伝わります。 このように呼吸は、一方で新陳代謝系と関係し、もう一方で神経感覚系とも関係しています。 ですから、こう言えるでしょう。物質界に入り込もうとしている幼い子どもを物質界と結びつけるにあたって、呼吸とは最も大切な仲介者である、と。 しかし幼児の呼吸は、地上での人間的営みをまっとうするところまでは行っていません。つまり、地上に降りたばかりの人間では、呼吸プロセスを神経感覚プロセスの側と正しく調和させられません。このことも念頭に置いておく必要があります。

▲呼吸の営みと発達(16)

01-16 子どもを観察しますと、子どもでは、呼吸プロセスがまだ神経感覚プロセスときちんと協働することができない、と言わざるを得ません。 これも、子ども特有の繊細な問題です。 まず人間の本性を、人間学的・アントロポゾフィー的に理解しましょう。 それゆえ、呼吸プロセスが正しく神経感覚プロセスに統合される様子をよく観察することは、教育上の非常に有効な手段になります。 呼吸する存在として生まれたおかげで得られる贈物を自らの霊性の中に受け取ることを、子どもは高次の意味で学び取らなくてはなりません。 お分かりのように、教育のこの部分では霊的魂的なものにアプローチしているのです。 つまり、呼吸プロセスを神経感覚プロセスに調和させることで、霊的・魂的なものを子どもの肉体的営みに引き込むのです。 大雑把にはこう言えるでしょう。「子どもはまだ内面的な意味では正しく呼吸できず、教育とは正しい呼吸を学ぶことにある」、と。

▲睡眠と覚醒の交代(17)

01-17 子どもにはもう一つ正しく行なえないことがあります。 肉体と魂霊の協調のためには、これもきちんとできるようにしなくてはなりません。 …霊的観点から見ますと、通常の常識としばしば矛盾し、奇異な感じもしますが…赤ん坊は、人間本性に相応しいかたちで睡眠と覚醒を交替させることができないのです。 外面的に見れば、子どもはよく眠りますし、幼い子は成長してからよりもずっとよく眠ります。 それどころか、日常生活でも眠っていると言えます。 しかし、睡眠と覚醒の根底にある内的なものを、子どもはまだ行うことができません。 子どもは地上界でさまざまな経験をします。 四肢をさまざまに使い、食べ、飲み、呼吸します。 子どもは、眠りと目覚めを交代しつつ地上界でさまざまなことをするにしろ、…見て、聞いて、触って、蹴飛ばすなどなど…この物質界での体験を、霊界に持ち帰り、加工し、その成果を再び物質界へ持ち帰ることはできません。 子どもの睡眠は大人の睡眠とは性質が異なる点が特徴なのです。 大人の睡眠では、その人の昼の体験が加工されます。 しかし子どもは昼の体験を睡眠の中へ持ち込むことができません。 睡眠中の子どもは、包括的宇宙秩序の営みに入りきってしまい、睡眠中、この宇宙秩序の中に物質界での体験を持ち込むことはないのです。 正しい教育によって、物質界での体験を入眠から目覚めまでの魂霊の活動に持ち込めるよう導かなくてはならないのです。 教育者である私たちは、より高次の世界から何も子どもに与えることはできません。 より高次の世界から人間に与えられるものとは、睡眠中に与えられるからです。 人間が物質界で活動する時間を有効に利用し、物質界での体験を子どもがしだいに霊界に持ち込めるようにしてやり、さらには、それに伴う霊界からの力を物質界へ環流させ、物質界での真の人間存在となれるのを助けるのです。

▲呼吸と眠りについてのまとめ(18)

01-18 このようにまず、あらゆる教育的行為は、正しい呼吸と、正しい睡眠・覚醒の交替という非常な高みに向けられます。 もちろんこれから、それらを教育的に調整するやり方を学びますし、それは決して呼吸や睡眠・覚醒のしつけなどではありません。 これらすべては、背景になります。 私たちがこれから学んでいくのは、具体的な方策です。 しかし、自らが行なうことの根本を意識していなくてはなりません。 ですから、子どもに何らかの教材を与えるときに、魂霊を肉体に導き入れる方向のものと、物質的な要素を魂霊に送り込む方向のものがあることを意識していなくてはなりません。

■教師の自己教育(19~21)

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▲教師の自己教育(19~21)

01-19 今述べたことを過小評価してはいけません。 なぜなら、自分の行為にばかり目が行き、自分のあり方に目が向きませんと、良い教育者にはなれないからです。 アントロポゾフィーに基づく霊学の存在意義とは、人間が世界に働きかけるのは、行為によってのみではなく、むしろ自分の存在そのものによってである、という事実の重要性を洞察する点にあります。 生徒が待ち受ける教室に入るのが、この教師なのか、別の教師なのかで、すでに大きな違いがあるのです。 そこに大きな違いがあるにしろ、その差は外的な教育技術に長けているか、という点だけにあるのではありません。 授業に本質的に影響するような違いとは、その教師がその存在をかけてあらゆる瞬間に持ち続けている考えの方向、さらには教室にまで持ち込む考えの方向によるのです。 「未来に向かって成長する人間(werdende Mensch)」という考えを絶えず持っている教師は、それについて何も考えたことのない教師とは生徒に対してまったく違った風に働きかけるのです。 皆さんがこうした考えを心に抱いた瞬間には何が起こるでしょうか? 「呼吸プロセスやその変容は、教育の中で、どのような宇宙的意味を持つか」とか、「覚醒と睡眠のリズムにどのような宇宙的意味があるか」といった問いを理解し始めた瞬間に、何が起こるのでしょうか? そうした考えを持ち始めた瞬間に、皆さんの内にある何かが、単なる個人的精神と闘い始めるのです。 その瞬間、個人的精神に根ざすあらゆる判断が抑えられます。人間が地上的存在であるがゆえに持ってしまう何かが消し去られるのです。 01-20 この何かを消し去った状態で教室に入りますと、内的な力によって生徒との間につながりが作り出されます。 初めの頃は、表面的には反対のことが起こるかもしれません。 皆さんが教室に入りますと、腕白な生徒たちが嘲笑するかもしれません。 そのとき皆さんは、今お話しした考えで自らを強め、嘲笑をまったく気にせず、傘を持たずに突然の雨に遭った場合と同じように、外的な出来事を受け止めるようにそれを受け止めなくてはなりません。 確かに愉快な出来事ではないでしょう。 そして一般には、嘲笑と、傘なしで突然の雨に遭うときでは違った受け止め方をします。 しかし、これらを違ったものと受け止めてはいけないのです。 嘲笑を突然の雨と同じように受け入れられるよう、しっかりとこの考えを育てる必要があります。 この考えで自らを満たし、それに正当な信頼を持つなら、…一週間か、二週間か、あるいはもっと嘲笑され続けるかもしれませんが、生徒たちと関係を結ぶという望ましい事柄が舞い降りてくるでしょう。 抵抗があろうとも、私たちは内側からの力でこの関係を作り出さなくてはなりません。 教育的な課題の第一として、まず私たちは私たちの側から、思想的な、教師と生徒の関係を支配するある内的で精神的な何かを作り出さなくてはなりません。 そこからさらに、「この精神的な関係はすでにある。子どもに語りかけるのは単なる言葉や警告ではない。授業もやがて上手にできるだろう」という意識を持って教室に入るのです。 もちろんそうした外的なことも上達しなくてはなりません。 しかし、私たち自身の考えと、授業中の子どもの身体や魂で起きるべき事実との関係をつくり、それを基礎的事実とするのでなかったら、そうした外的なこともきちんと育てることはできません。 「この世に生まれることによって、霊界では為しえなかったことを為しとげる可能性が与えられた」という意識がなければ、授業に対する姿勢は十分とは言えないでしょう。 まず、呼吸が霊界と正しく調和するよう、教育する必要があります。 人間は、霊界にいる間、地上世界におけるのと同じようには覚醒と睡眠のリズミカルな交替を行うことができませんでした。 この睡眠覚醒のリズムを教育によって整え、魂霊に肉体が正しく組み入れられるようにしてやらなくてはなりません。 これはもちろん抽象的に捉えてもいけませんし、授業に直接使うものでもありませんが、人間本質の理解として、自分のものにしておかなくてはならないのです。 01-21 序論はここまでにして、明日からは、本来の教育問題に入りたいと思います。

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